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最適解では生きられない ――正しさを捨てられない君と、選び続ける僕の話  作者: 希主果
第二章 全員敵対プロトコル

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第十八話 同じ匂い

 「んっ!?」


 司祭室――長の部屋ともあって広めの室内。だが、石壁に囲まれているためか、どこか肌寒く感じる。

 三人とレグナスはテーブルを囲んで腰を下ろしていた。


 テーブルの上には焼き菓子が所狭しと並べられていた。

 こんがりと焼き色のついたシナモンロール。砂糖をまとったジンジャークッキー。しっとりとした艶を帯びるチョコケーキ。そして、甘く爽やかな香りを漂わせるカルダモンロール。

 焼きたての生地と香辛料の香りが混ざり合い、部屋の冷たい空気さえ少しだけ和らいだように感じる。


 「いつものと違う……。」


 アイリは小首を傾げたまま、手にしたカルダモンロールを見つめていた。どうやら想像していた味とは少し違ったらしい。

 僕は彼女の飾り気のない性格に、時々ヒヤヒヤさせられる。


 「ははっ。ここで作らせたんだが、お気に召さなかったかな。」


 厚手のロングコートを纏った痩身の男――レグナスが申し訳なさそうに眉を下げる。


 ただ、一番心配だったのは隣に座るナンナだ。警戒しているのか、目の前に並ぶ焼き菓子にはまだ手をつけようとはしていない。


 それでも、アイリはお構いなしにジンジャークッキーを頬張っていた。


 「あっ、これは美味しいよ? でも、バルトの方が好きかな。」


 悪気の欠片もない感想だった。

 レグナスは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに苦笑を浮かべた。


 「なるほど。そいつは手強いな。」


 その様子に僕は胸を撫で下ろした。


 (……二人の胃袋を掴んでいるバルトって、やっぱり凄い奴なんだな。)


 少し困った表情を浮かべたレグナスはわざとらしく咳払いをしてから話し出した。


 「まずは、これを届けてくれたことにお礼を言いたい。ありがとう。」


 「……そして、先ほどの非礼を詫びたい。すまなかった。」

 

 レグナスはそう言って深々と頭を下げた。


 僕は思わず面食らってしまった。

 《黄昏の航路》の長。数多くの冒険者を束ねる立場の人間だというのに、その態度に驕りは微塵も感じられない。


 「別に気にしていません……、と言えば嘘になります。」


 「ですが、僕たちに僕たちの考えがあるように、あなたにもあなたの考えがあるのでしょう。」


 「それを咎めるつもりはありません。」


 「そう言ってもらえると助かるよ。」


 はっきり言って、この手の交渉ごとは現実世界でも避けて通ってきた。

 目の前の優男には、経験という点で到底敵わない。

 レグナスを前にしたら、それを嫌でも思い知らされる。


 「この剣を拾った理由、知りたくないんですか?」


 僕はレグナスに問いかけた。


 「あぁ。諜報部隊から大方は聞いている。」


 「調べた……のか。」


 思わず顔が強張る。

 レグナスが終始会話の主導権を握っていたのは、そのためか。


「すまない。だが、これも現実世界に戻るためだ。」


 レグナスは申し訳なさそうに目を伏せた。

 隣では、チョコレートケーキへ伸びていたアイリの手が止まっていた。


 甘い香りの漂う部屋に、束の間の沈黙が落ちる。この空気では変に意地を張ることもできず、僕は渋々と剣を差し出した。


 鈍い光を放つ長剣。

 刀身には、見覚えのある「R」の刻印が刻まれている。


 「確かに。」


 レグナスは剣を受け取ると、そっと刀身を撫でた。


 「この子は先日入隊したばかりの新人でな。西門の警備に当たらせていたのだが……。」


 レグナスは言葉を詰まらせる。


 「この世界じゃ遺体も消滅するだろうから、生死も分からないんだがな。」

 

 再び静寂が訪れた。

 今ばかりは流石のアイリも膝の上に手を置き、神妙な面持ちで話を聞いている。


 「君たち自身のことも少し調べさせてもらった。」


 「ラビットハンターだったかな。最近は兎狩りでそこそこ名が知れていると聞いている。先日は、そのゴブリンとも戦ったそうじゃないか。」


 アイリは照れ臭そうに頭を掻いた。

 少しずつ頬が緩んでいく。


 「アイリさん。」


 ナンナがそっと耳元に口を寄せる。


 「それ、ちょっとしたストーカーですよ。騙されないでください。」


 「はっ!?」


 アイリは弾かれたように顔を上げた。


 「僕らを探ったって、あんたには何の益もないはずだが?」


 戸惑いの行き場を失った言葉が、そのまま口をついて出る。


 気付けば口調まで刺々しくなっていた。

だが、それを取り繕う余裕は今の僕にはなかった。


「今度の遠征隊の話は知っているかい?」


「あぁ、少しばかりは……。」


 余裕を崩さないレグナスに飲み込まれまいとするだけで精一杯だった。

 それを見透かしたように、レグナスは静かに言葉を続ける。


 「我々はこの世界についてあまりにも無知だ。」


 「ミルズガルズはおろか、虹のビフレストの所在さえ未だ掴めていない。」


 「このまま手をこまねいていては先へ進めない。今この瞬間も、同胞たちが当てもなくこの広大な世界を彷徨っているはずだ。」


 レグナスはそこで一度言葉を切った。


 「だから私は、その者たちの礎になる。」


 「圏外拠点を築くために。」


 レグナスはそう言い切ると、アイリへ視線を向けた。


 「だから、そこの大剣使いの彼女にも参加して欲しいと思っている。」


 「わたし?」


 アイリは自分を指差しながら目を丸くした。


 「君なら私たちの戦術にも合う。前衛をお願いしたいと思っている。」


 「ユマークとナンナは?」


 アイリは振り返るように僕らへ視線を向けた。


 「遠征の目的は平原での新拠点探索だ。これまでにも多くの部隊が出ていったが、一人も帰ってきていない。」


 「前線で身体を張れない者は、ロストするだけだ。」


 「案外、遠慮がないんだな。」


 「帰るためさ。」


 レグナスは迷いなく言い切った。


 「現実世界に、帰る……。」


 アイリがぽつりと繰り返す。

 いつの間にか、彼女の手は焼き菓子から離れていた。


 「それで……、勝算は?」


 アイリは真っ直ぐレグナスを見つめた。


 「そんなものはない。だが、勇者ならここで引くわけにはいかないだろう。」


 その言葉に、アイリの肩がぴくりと反応した。


 「勇者?」


 アイリは首を傾げる。


 「子供の頃の話さ……。忘れてくれ。」


 レグナスは苦笑しながら肩を竦めた。


 (やっぱり……。)


 そんなのは理想論だ。

 耳障りのいい言葉を丁寧に並べてはいるが、肝心な部分が見えてこない。

 こいつを信奉する連中ならいざ知らず、そんな話が他で通用するはずが――。


 僕は隣へ視線を向けた。

 いまだ怪訝そうな表情を崩さないナンナと――


 (ここにいたかぁ……。)


 目を輝かせ、身を乗り出しているアイリ。


 『ゴホンッ』

 わざとらしく咳払いしてみる。

 だが、アイリの耳には届いていないようだった。


 「勝算もない遠征に、大事な仲間を預けるわけにはいかない。」


 「だから君は連れていけないんだ。」


 「……っ!?」


 思わず言葉に詰まる。

 レグナスはそんな僕を真っ直ぐ見据えていた。


 「君は生き残るために生きる人間だ。」


 「だが、私は違う。」


 「私として生きるために、無様に生き残っている。」


 その言葉には妙な重みがあった。


 「そして――」


 レグナスはアイリへ視線を向ける。


 「彼女にも同じ匂いがする。」


 「それが、彼女を誘った本当の理由でもある。」


 アイリは目を見開いたまま黙り込んでしまった。

 普段ならすぐに言葉を返すはずなのに、その瞳は揺れていた。


 「私は行く。帰って来られる保証もない。だから無理にとは言わない。」


 レグナスは静かに背もたれへ身を預けた。


 「すぐに答えを出さなくても良い、考えておいてくれ。」


 その顔に焦りはなかった。

 引き留めることも、言葉を重ねることもしない。

 断られることさえ織り込み済みということなのだろう。


 誰もその話の続きを口にはしなかった。

 けれど、レグナスの言葉だけは確かにアイリの中へ残っているようだった。


 その後、程なくして話し合いは終わり、僕たちは司祭室を後にした。

 それでもアイリは黙ったままだった。いつもなら焼き菓子の感想でも話している頃なのに。


 俯いたまま何かを考え込んでいる。

 そんな姿を見るのは珍しかった。


 僕は小さく息を吐く。

 ――嫌な予感しかしない。

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