第十四話 蚤の市帰りの憂鬱
「ちょっと、ユマくん――。聞いてよぉ。」
聞き馴染みのある声に振り返る。
そこには、ダークブラウンの髪を靡かせ駆け寄る一人の少女がいた。
――なんて言えば聞こえは良いが、迫る形相は猛獣そのものだ。
「また、出発したんだって。今度はなんと三十人。」
目の前に差し出された三本の指。
どうやら今日は、視覚と聴覚に訴える作戦らしい。だが、その後がどうにも締まらない。
勢いに任せて押し切るつもりだったのだろうが、詰めが甘い。
「じゃあ、バルドのところに行こっか。」
「……私も。カルダモンロール、食べたい。」
ユグドラシルに囚われて早一ヶ月。
――現実世界ではおよそ五秒。
その間、多くのプレイヤーがミルズガルズを目指して旅立っていった。
だが、僕たちはいまだ始まりの街から離れられないでいた。
――先日の黒麦酒事件。 あの時に負った怪我の治療で、僕たちは大きく出遅れてしまった。
ポーションでも飲めば忽ち全快。 そんなゲーム的な期待は、あっさり打ち砕かれる。
《高い……。》
どんな怪我でも治す魔法の薬――ポーション。 駆け出し冒険者の必需品であり、定番のアイテム。
少なくとも、僕はそう思っていた。
だが、ユグドラシルでは違った。
一本で普段の稼ぎ十日分。 しかも二本必要。
思わず道具屋のNPCに、『この守銭奴が!』と食って掛かったのも無理はない。
そのせいで僕の蓄えは底を突いてしまった……。
追い打ちをかけるように、あの逃走劇の最中。 ゴブリンの包囲をこじ開けるため、短槍まで投げ捨てる羽目になった。
商売道具であり、苦楽を共にした相棒でもあった。
当然、回収する余裕なんてない。
あれも今頃は森のどこかで、落ち葉に埋もれていることだろう。
もしくはゴブリンの誰かがそれを使っているのだとしたら……泣ける。
「……ねぇ、これからどうしよっか?」
蚤の市からの帰り道。 手に提げた袋からはカルダモンロールのスパイシーな香りが漂っていた。
声を掛けたアイリに、先ほどまでの切迫感は見られない。 少しは落ち着いたのだろう。
それでも時折伏せられる視線だけは、不安を隠し切れていなかった。
僕は黙って視線を落とす。
――これから先、どうしたら良いのだろう。
「……そう言えば、その仮面。まだ、外せないのか?」
《コロンビーナの仮面》
あの日――ヴァルプルギスの夜に出会って以来、アイリがずっと身につけている黒いスエードの仮面だ。
アイリは食事の時も、寝る時も、ずっと外そうとはしなかった。
「別に、外せるけど。……見る?」
「へぇ、そうなんだ。でも、今は良いや。君が本当に見せたいって、思ってからで。」
「えっ。」
「それに僕だって、その……心の準備ってものがある。」
「ふぅん……。」
「…… ……?」
「なにぃ!?それはどういう意味だぁ!」
「パコッ!」
◇
二人の影が伸びる頃、ようやく僕たちは酒場に辿り着いた。
煤けた木板に刻まれた――『斧と杯』
この黒ずんだ木造の建物と煙突から上がる白煙はいつ見てもこの名前にピッタリだ。
「おかえりなさい。」
ユマークの声より先にナンナが出迎えてくれた。出掛ける前まで巻いていた右腕の包帯が無くなっている。
――目立った傷跡はない。
どうやら、治療は上手くいったようだ。
ポーションを飲めば、みるみる傷口が塞がっていく。 そんな都合の良いファンタジーを想像していたが……、
どちらかと言うと傷口を縫い合わせたみたいな感じで、しばらくは安静が必要となった。
だから、今日の買い物も泣く泣くお留守番となったわけだ。
ただ、もう一人。
深手を負った女の子がいたはずだが、その子は僕たちが寝込んでいる間も、平然とした顔をしていた。
「あぁ、ただいま。はい、お土産。」
ナンナに差し出したのはカルダモンロールの入った袋。だが、中身はところどころ叩き潰したように歪んでいた。
「あれ?」
不思議そうに袋と僕の顔を見比べるナンナ。
その仕草に思わず右頬を押さえる。
「は、はぁ〜ん。」
「なんだよ。」
「別にぃ〜、ねぇ。なんでもないですよ。」
ニタッと笑うナンナにぷいっと横向くアイリ。
(最近、ますますアイリに似てきたな。)
「相変わらず、騒がしい奴らだな、全く。」
奥の席で手を上げる鉄色のフルプレートの大男。 ただでさえ大きいのに、最近はさらに一回り大きくなったように見える。
「アルクさんたち、ずっと待ってたんですよ。」
ナンナはこの前の一件でアルクのことをすっかり気に入ったらしく、今日も一緒に食事をしていたようだ。
実際、テーブルには空になった皿がいくつも並んでいる。
アルクも満更ではなさそうだが、如何せんあの貫禄だ。親子に見えて仕方ない。
「それで、今日はどうしたんだ?」
僕はチラリとアルクに目をやった。
「まさかナンナと飯を食うためだけに待ってたわけじゃないよな。」
「おっ、察しがいいな。まぁ、立ち話もなんだ。久し振りに付き合えよ。」
テーブルの上には肉料理が所狭しと並んでいた。もちろん『斧と杯』名物のラビットミートの黒麦酒煮込みもある。
エールを一気に飲み干したアルクは、
「ところで、お前たちはこれからどうするんだ。」
エールの泡が口ひげのようにこびりついたアルクの目は真剣だ。
「今日は三十人、この前は二十人だったか。眈々と機会を伺ってた古参が動き出したって話だぜ。」
「やっぱり!」
僕の隣でアイリが勢い良く身を乗り出した。
「ほら、ほら、ほら。だから私が言った通りじゃない。」
「私も、もう大丈夫です。」
包帯の取れた右腕を差し出し、矢を射るポーズをしてみせた。
「きっとお役に立ってみせます。」
「ねぇ、ユマくん。」
「ユマークさん。」
二方向から同時に声が飛ぶ。
まんまとアルクに唆された二人を止めるのは骨が折れそうだ。
「そういうアルクはどうなんだ。」
「それだけの実力がありながら、なんでまだ……。」
フルプレートの三人組は顔を見合わせた。
「それはアルクさんがリッカの姉貴と……。」
鈍い打撃音。その後に咳払いが一つ。
「来月、ミルズガルズ攻略を目指す連中が大規模な遠征隊を組む。」
先程までの豪快な笑みは消えていた。
「成功すれば、一気に前線が動くだろう。」
酒場の空気が一瞬、張り詰める。
「――俺たちも参加を考えている。」
「えっ、なになに?それって凄くかっこよくない?」
勢い余って声が裏返る。アイリの厨二病スイッチを見事直撃したようだ。
「これは生半可な作戦じゃない。少なからず帰らぬ者も出るだろう。」
誰も口を開かなかった。
唾を飲み込む音だけがやけに大きく響く。
「だが、あの森を切り抜けたお前らにはその資格がある。少なくとも俺はそう思っている。」
アイリが目を輝かせてこちらを見つめ、ナンナは必死で手の震えを抑えている。
「どうだ、一緒に行かないか?」
アルクの大きな顔がぐっと近付く。
「……ない。」
「あ?」
「ないんだよ。」
「何がだ。」
「槍。」
一瞬だけ、全員の思考が止まる。
「……は?」
「だから槍だよ。」
「あっ。」
ここでようやくアイリは僕が言いたいことが分かったらしく、一つ『ポンッ』と手を叩いた。
「そうそう。ユマくんね――実は大事な槍を失くしちゃったの。」
「な、失くしたぁ!?そんなの買い換えりゃいいだろ。」
「金も無い。あれで最後だ。」
指さした先には歪な形のカルダモンロール。
「えぇっ!」
アイリとナンナの悲鳴が重なり、アルクたちはそろって目を逸らした。
――こうして、《ラビットハンター》の遠征隊参加計画は、槍と資金と菓子パンという、なんとも締まらない三重苦によって、一先ず保留となった。




