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最適解では生きられない ――正しさを捨てられない君と、選び続ける僕の話  作者: 希主果
第一章 ラビットハンター

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第十話 誰も一人にしない

 「ナンナ、悪かったな。それで……、少しは落ち着いたか?」


 部屋に入るとナンナは、ひどく疲れ切った表情を浮かべていた。

 それでも僕を見ると、努めて笑顔を作ってくれる。


 「は、はい。大丈夫だと思います。一暴れしたので、今は疲れて眠っています。」


 迂闊だった。

 アイリの性格を考えれば、こうなる事は大体予想がついたはずだ。


 『未帰還者の遺品回収依頼』

 誰より敏感なアイリがこれを無視する事など出来るはずが無い。

 ――張り紙を見た瞬間、身を翻して駆け出したアイリは、さながらホップラビットのようだった。身を乗り出し制止を試みるも、その腕はするりとすり抜けてしまった。

 幸い、仕入れから戻ってきた店主の協力もあり、酒場を飛び出す寸前でどうにかその腕を確保できたのだが――


 「どこに行くんだ。」


 「ユマークは放っておくの……。」


 鋭い眼差しが彼女の腕を掴んだ僕を突き刺す。


 「そんなつもりは無い。だが、今すぐ君が飛び出していい話でもない。」


 「……誰かが行くなら、私でもいい。」


 ギシギシと噛み締める歯の音が聞こえ、掴んだ細腕は小さく震えていた。

 今、この手を離すわけにはいかない。


 「駄目です……、一人で行っちゃだめです。」


 次いで、ナンナもアイリの腰元へ縋りつく。


 「アイリさんが行くなら、私も行きます。……怖いですけど、……本当は行きたくないですけど。」


 震える声で、それでもナンナは顔を上げた。


 「それでもアイリさんが行くというなら……、私たちはいつも一緒です。」

 

 「……ナンナ、準備しろ。僕たちも第三街道へ向かう。」


 「アイリ……、僕たちは君を一人になんてしない。だから、せめて相談はしてくれよ。」


 「私が間違っていました。ごめん……なさい。」


 小さく項垂れたアイリは、それ以上何も言わなかった。

 ――そして現在。


 「……それで、今は眠っています。」


 困ったように笑うナンナを見て、僕は小さく息を吐いた。


 「そっか……、」


 安心したせいか、ユマークに強い眠気が襲ってきた。


 「ふふっ、ユマークさんもお疲れですね。昨日は何時までだったんですか?」


 「えっ?」


 「知ってますよ。昨日、リッカさんやアルクさんと遅くまでお話してましたよね。きっと、あの張り紙のことで……。」


 「いや、別にそんなんじゃ……。」


 「全く、素直じゃないですね。これじゃアイリさんと代わりませんよ。今日は私がユマークさんの代わりをしますから、少し休んで下さい。」


 「いや、だいじょ……。」


 「……アイリさんが起きた時、ユマークさんがいた方が安心しますよ。」


 「ちょっ、なんで。」


 有無を言わせないように微笑むと、ナンナは小さな籠を抱えて部屋を出ていった。


 ◇


 (うぅ、首が……。)


 やっぱり、ここの椅子はうたた寝には不向きだ。質素な造りのこの椅子は全身に木の質感が伝わってくる。


 「あっ、やっと起きたか。監視役が居眠りしてたらナンナに怒られちゃうぞ。」


 顔を上げると、さっきまでの険しさが嘘のように、彼女の表情はいつもの柔らかさを取り戻していた。


 「いや、別に監視だなんて……。」


 「そんなに心配しなくてももう勝手なことはしないわよ。さっきは本当に……ごめん。」

 

 「謝るようなこと、あったか?それより、依頼の話だろ。」


「ふふっ、そうね。そのためにはちゃんと準備しないとね。そう言えば……ナンナは?」


 部屋を見渡したが、ナンナの姿はない。まだ、出掛けたきり戻ってはいないようだ。


 「手提げ籠を持っていたから、買い物だと思う。僕の代わりをするって言ってたし。」


 「……まだ戻ってないのか」


 小さく呟いたアイリの表情が、わずかに曇る。


 「それじゃ、急いで追い掛けましょ。女の子一人じゃ、少し心配だわ。」


 「よし、それじゃまずはマルシェだな。」


 橙色に染まった石畳を抜けた先、夕方の市場はすでに店じまいの気配を見せていた。人通りもまばらで、残っているのは数人の客と片付けを急ぐ商人だけだ。


 ナンナの姿はない。

 数名のプレイヤーからそれらしい話は聞けたが、決定打にはならなかった。

 日が傾くにつれて、通りの音が少しずつ薄くなっていく。


 「……ナンナ」


 呼ぶ声だけが、やけに響く。

 隣でアイリも同じように名を呼ぶが、その声は次第に焦りを含んでいった。

 そんなときだった。


 「おっ、ユマークじゃないか、どうしたんだ?」


 声をかけてきたのは蚤の市一のパティシエ、バルドだった。


 「ナンナを見ませんでしたか。朝、私たちと一緒にいた女の子です。」


 勢いよく詰め寄るアイリに、バルトは思わず仰け反った。


 「あぁ、あの子か? ならさっきうちに来て――」


 バルトはそこでしまったと言わんばかりに口を噤み、気まずそうに目を逸らした。


 「……なんでもねぇ。」


 「お前、絶対なんか知ってるだろ。」


 「いや、ほんと。忘れてくれ。」


 これ以上口を滑らせまいと、バルトは慌てて口を手で覆う。

 意外に義理堅い男だ。こうなると、これ以上は何も話さないだろう。

 僕たちは、先ほどバルトが視線を向けた通りへと足を向けた。

 

 「実はもう、酒場に戻ってるんじゃ……。」


 僕はその可能性を即座に否定した。

 酒場へ戻るなら、今通ってきた道を引き返すしかない。だが、バルドの視線は明らかにそちらへ向いていなかった。


 向いていたのは――西側へ伸びる第三街道。

 この街で、今もっとも危険な場所だ。


 周囲の人影は、時間が過ぎるごとに減っていく。

 それでも、ナンナの姿は見つからない。


 ――あの子に限って。

 そう自分に言い聞かせるほど、足は速くなっていた。

 防壁を越えれば、そこはもう、何が起きてもおかしくない場所だった。

 

 防壁の西門は、背後から射す夕陽に呑まれ、その姿を霞ませていた。

 だが、その手前から伸びる一筋の影だけは、輪郭が曖昧でも誰なのか分かった。


 「ナンナ!」


 僕の声に反応して振り返った少女は、間違いなくナンナだった。

 だが、その表情は再会を喜ぶには余りにも不釣り合いだった。

 ――それを言葉にするなら、恐怖。


 次の瞬間だった。

 背後から吹き抜けた風と共に、大剣を携えた影が西門へ駆け抜ける。

 そして、夕陽を裂くように、大剣の軌跡が閃いた。


 「ギィィィィィ。」


 断末魔が鳴り響くと、妖しく光る双眸が闇へ沈んだ。


 「アイリ……ちゃん。」


 崩れ落ちるナンナの元へ駆け寄ったアイリは、夕陽に照らされ、二人の影が重ねった。


 「遅くなってごめんね、もう大丈夫だからね。」


 この言葉を聞いた瞬間、張り詰めていたものが切れたのだろう。

 二人は子供のように泣き出した。


 夕陽に染まる西門には、しばらく嗚咽だけが響いていた。

 僕はそんな二人を見守りながら、小さく息を吐く。

 ……間に合って、本当に良かった。


 ふと、その時だった。

 背筋を撫でるような違和感に、僕はゆっくりと視線を巡らせる。

 そして――視界の端に転がる死体に目が止まった。


 《ゴブリン》

 何故、こいつがこんなところに……。


この世界ではさして珍しくもない魔物。

 だが、こいつらは人間に近い知恵を持つと言われるほど狡猾で、同時に酷く臆病だ。

 自分に益があるかどうかを何より優先し、危険と見ればすぐ群れごと姿を消す。

 そんな奴が、わざわざ《侵入禁止エリア》の近くを単独で彷徨くなど、自殺行為に等しい。

 たまたま、通り掛かった……。


 辺りを見渡すが、それらしい物陰は見当たらない。

 ――やはり一匹か。


 ようやくナンナの嗚咽も落ち着き、そろそろ事情を聞けそうになった頃には、すっかり日も落ちていた。

 辺りを照らすのは、ランタンの頼りない灯りと月明かりだけだった。


 「じゃあ、そろそろ帰ろうか。僕たちの家に。」


 「家では無いです。部屋です。」


 充血した目を隠しもせず、それでもナンナは安心したように軽口を返せるくらいには落ち着いていた。


 「そんなの、どっちでもいいだろ。ナンナは変なところで細かいな。」


 「あっ、アイリさん。これ、お土産です。」


 「ふふっ、変な顔。」


 アイリの間の抜けた声に、ナンナが小さく吹き出した。

 夜風にランタンの火が揺れ、三つの影が石畳の上にゆっくりと伸びていた。

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