#61 たった一人の攻防戦
瓦礫の上でうつ伏せのまま動けない俺を、そいつは薄ら笑いを浮かべたまま見下ろす。
カノンではない。道化師のような姿へと変えた、奇妙な存在だ。
腕ほどの長さをした杖の先が、不気味な紫色に光る。
――立ち上がらなければ、死だ。
身体を起こそうと瓦礫に手をかける。だが、瓦礫は砂のようにぼろぼろと崩れた。
支えを失い、身体が再び瓦礫へ叩きつけられる。
身体に瓦礫が食い込み、思わず息が詰まった。
痛みで立ち上がれない俺を見て奴は杖をこちらに向け――
次の瞬間、火球が一直線に迫る。
避けられない!
俺は全身にかかる痛みを堪えながら、すぐ横に転がっている自分の杖に手を伸ばした。
もう、魔法で相殺するしかない。
必死に指先を伸ばす。杖まで、あと少しだ。
頼む。届いてくれ――
杖にひっかけようと、中指をぴんと張る。すると、指先に硬い感触が伝わった。
――届いた。
指先から指へ、指から手へと夢中で手繰り寄せた。
そして、杖の柄を掴んだ俺は手を固く握りしめ、杖先を火球へと向ける。
「アイスニードル」
急いで魔法陣を展開し、氷の槍を放つ。氷を受けた火球は白い煙を小さくあげながら、勢いを失った。
火球が消えた場所から、水滴だけがぽたぽたとしたたっている。
間に合った……。
瓦礫が身体に突き刺さる痛みで動けないながらも、奴の様子を窺う。
体を左右へとくねらせている。だが、奴の視線は俺に向けられたままだ。
――このままでは、助からない。立たないと。
瓦礫が崩れないように手をかけ、力を込める。だが、思うように起き上がれない。
回復しようにも、薬師のノインから買った薬はナイトストーカーとの闘いで全部使い切ってしまっていた。
もう、俺に残されたカードはほとんどない。
片手に握りしめる杖だけが、俺の命を繋ぎ止めている。
回復魔法は――俺には使えない。
ナイトストーカーと戦ったあの時、絶対に練習しようと思っていたはずなのに。
日記の焦りで、何も見えていなかったんだ。
俺にできることは、少しでも攻撃魔法で奴に抵抗することだけ。
たった、それだけなんだ。
「アイスニードル」
魔法陣を展開し、奴に氷魔法を発射する。
奴は薄ら笑いのまま表情を崩さず、踊るようにして攻撃をかわした。
ダメだ。当たらない。
けど、奴に隙を与えてはダメだ。
「アイスニードル、アイスニードル、アイスニードル!」
当たらないなら、何度だって放ってやる。
奴の動きを予測しながら氷魔法を放つ。
だが、奴は最初からそれすらも読んでいるのか、いとも容易く氷の槍をひらりとかわす。
魔法に祝詞を乗せて効果を高めたい――けど、祝詞を乗せる一瞬の時間さえ惜しい。
攻撃を避け続ける奴へ、氷の槍をひたすら放つしかなかった。
俺の魔法をかわし続けていた奴が、突然ケタケタと笑い出した。
次の瞬間、奴の杖が青白く光り、魔法陣が浮かび上がる。
それが、攻撃開始の合図なのは明らかだった。
させるものか。
俺も杖を構え、魔法を放とうとする。
だが、俺の魔法より先に奴の魔法陣から棘のようなものが高速で迫る。
――くそっ、間に合わない。
俺は全身の痛みに耐えながら身をよじり、迫りくる棘を避けようとする。
棘が俺のすぐ横を通り過ぎた時、頬に鋭い衝撃が走った。
「うっ……!」
神経が切れたような激痛に、思わず片手で頬を抑えてしまう。
手のひらに、べっとりとした感覚が絡みつく。
目を向けると、手のひらは真っ赤に染まっていた。
* ――――――
状況を整理している間も、奴が止まることは無かった。
次々と魔法陣を展開し、攻撃の準備を進めている。
頬から血を垂らす俺を見て、奴は三日月のように口角を吊り上げた。
あいつはまだ傷一つ負っていない。
俺だけが一方的に追い詰められている。
回復魔法をきちんと習得していれば。
薬をちゃんと準備していれば。
そもそも、カノンに釣られて奴の罠にかかっていなければ。
いや、反省は後だ。
今考えるべきことは、この絶望をどう打開するかだ。
立てないながらも、俺は必死になって奴に魔法で抵抗を続けた。
しかし――
「アイスニードル」
放ち続ける氷の槍が、突然途切れる。
魔法陣は消え、杖先の光は失われた。
「アイスニードル!」
詠唱しても、何の反応も無い。
なんでだよ! 魔法が使えないと、俺は――
いや、本当はわかっている。わかっているんだ。
魔法の使い過ぎ――つまり、魔力切れだ。
魔力がないと、詠唱しても何も起こらない。
俺は、奴に抵抗する手段を失ったのだ。
ガチガチに歯を震わせ、奴を視界に入れる。
奴はとどめと言わんばかりに、杖を強く光らせ、魔法陣を展開させた。
オーリリア城跡地で、ルーンストーンの回収。
そう。本来は、ただの採取依頼のはずだった。
ティアナに止められ、こっそり依頼を受けた先に、こんな結果が待っているなんて。
正しかったのはティアナで、間違っていたのは俺だ。
――もう、終わりだ。
動けない俺は奇妙な存在に殺されるのを、ただ待つことしかできなかった。
* ――――――
突如、部屋中に爆発音が響き渡る。
思わず音がした方向に視線だけを向けると、そこにあったはずの壁が吹き飛ばされていた。
埃が宙を舞っていて、その先が良く見えない。その向こうからは、走るような音が聞こえてくる。
そして――
「助けに来たよ」
埃の向こうから姿を現したのは――ティアナとフィリア、そしてノインだった。




