#60 ティアナが止めた理由
遠くに見えるカノンの姿に釘づけになった。
腰まで伸びた銀色の髪、琥珀色をした瞳。そして、俺とおそろいの、青色をしたペンダント。
全て、何もかも、あの時と同じだ。
「カノン……!」
目元が熱くなる。気付けば雫が頬を伝っていた。
どれだけ、彼女に会いたかったことか。
自然と彼女の方へ足が動いていた。だが、彼女はびっくりした顔を浮かべ、俺から逃げるように遠くへ走っていく。
「待って!」
俺の声に反応することなく、彼女は図書室から飛び出してしまった。
「お願い!」
涙を拭き、必死でカノンを追いかける。
なんとか見失わずに済むくらいの距離だが、諦めたらすぐ引き離されてしまいそうだ。
どうしてここにカノンがいるかはわからない。
だが、今はとにかく話がしたい。
「頼む! 待ってくれ!」
縋る気持ちで、喉元から声を振り絞る。
だが、カノンは無視している――というより、俺の声が全く届いていないようにすら感じた。
逃げ続けるカノン。必死で追いかける俺。
呼吸が乱れ、口の中が苦味で満たされる。
この時、俺は地図のことなど頭から離れてしまっていたのだ。
カノンが階段を下るのに合わせ、俺も階段を下る。
体力の限界に近付いてきた俺とは裏腹に、彼女は余裕そうだ。
途中でちらりと俺の様子を確認しながら逃げている。
なんで逃げるんだよ。
会いたがっていたのは俺だけで、カノンはそうじゃなかったってのかよ。
くそ――ッ!
追いついたら、文句の一言くらい言わせてもらおう。
* ――――――
あれからしばらくカノンと追いかけっこを続けていたが、彼女が小部屋の一番奥まで入り込んだところでぴたりと足を止め、振り返る。
それに合わせて、俺も足を止めた。
「どういうつもりだ?」
彼女からの返答は無い。
無表情のまま、ただただ俺のことをずっと見続けている。
そして――
「会いたかった」
ぽそりとカノンから言葉が漏れ出る。
ちゃんと聞いていないと聞き逃してしまうくらいの小さな声だ。
じゃあ、どうして逃げたんだよ。
ちらりと浮かんだ考え。
だが、彼女も俺と同じ気持ちだったのだ。それだけで、逃げたことなどどうでも良くなる。
「俺もだ」
足が、ゆっくりカノンへと一歩ずつ進んでいく。
そして、カノンまで触れられそうな距離に差しかかったところで、突然身体にふわりとした感覚が襲った。
「!?」
何が――起こっている?
視界が一瞬で切り替わる。
足が床についていない。風が下から上へと強く流れていく。
次の瞬間。身体に凄まじい衝撃が走った。
「ぐっ」
全身が潰れそうな程に痛く、苦しい。
杖が手から離れていく。
身体中にでこぼことした何かが、まるで棘のように突き刺さった。身体を動かすたびに、でこぼこがより深く食い込んでいく。
――これはただの床じゃない。瓦礫の上だ……。
立ち上がろうとするも、痛みで起き上がれない。
カノンを追いかけたはずなのに、なんで俺は落ちているんだ。
そもそも、落ちる場所などなかったはずだ。
俺はゆっくりと上へと視線を向ける。
「……!?」
あまりの異様さに、言葉を失った。
天井が、崩れていたのだ。
俺の重みで床が抜けた?
いや、違う。
最初から、その場所に床なんて無かったんだ。
その瞬間、俺は我に返った。
「ちょっと待て。俺は今、どこにいる?」
懐から地図を取り出す。だが、俺が今どこにいるのかは地図を見てもわからなかった。
さっきまで、懸命にカノンを追いかけ続けていた。その間、俺は全く地図を確認していない。階段をいくつ上り下りしたのかも、どの小部屋に入ったのかも全て頭から抜けていた。
地図上には、危険な場所に近づかないようバツ印がされている場所がいくつもある。
俺がいる場所が、バツ印のされている場所だったら――
崩れた天井を見ていると、端からカノンの顔がちらりとこちらを覗いてきた。
そして、カノンはそのままゆっくりと落ちてくる。
俺のときのような落ち方じゃない。紙が宙を舞うような――明らかにおかしな落ち方をしている。
「……!」
その姿を見た瞬間、全てを悟った。
いや、今までずっと気付けなかっただけだ。
さっきまで追いかけていたカノン――あれは、カノンだけどカノンじゃない。
もし本当にカノンだったら、アルカギアを使って降りるはずだ。
だが、そこにいる彼女は頭を下にして、長い髪をぶらぶらと左右に揺らしながらゆっくりと落下している。
どうして気付かなかったんだ。
思い返せば、変なところはいくつもあった。
俺の声が全く届いていなかったこと。そして、俺を見るなり逃げ出したこと。
全て、俺をここに誘導するためのものだったのか。
落下したカノンは、その姿をぐちゃぐちゃと変形させる。
そして、姿を現したのは腕ほどの長さをした杖を持った、道化師のような恰好をした奇妙な存在だった。
人型で、全体的に緑色と黒の縞模様をした格好を身にまとい、真っ白な顔が印象的なそいつは、薄ら笑いを浮かべながらくねくねと身体を動かしている。
とてつもない恐怖。
どんな存在なのかがわからない。ただ、これだけは言える。
――こいつは、魔物だ。
姿形を変える存在など、聞いたことが無い。
アルカディアに住んでいたときだって、そんな魔法など誰も使っていなかった。
魔物ランクはわからないが、今まで遭ってきた中でも間違いなく上位の存在。
ティアナの言葉が、ちらりと頭をよぎる。
「オーリリア城跡地は危ないわ」
俺を止めたのは、それが理由だったのか。
3人だったとしても、地図をもってしても危険な場所。
そんな場所に、俺はたった一人で足を踏み入れてしまっていたのだ。




