#58 慢心
小部屋の天井で蠢くゼリー状の物体は、程なくしてぼとぼとと大量に床へと落ちてゆく。
べちゃりと響く音が、とてつもなく生々しい。
「こいつ、スライムだ!」
フィリアたちと出会ったばかりの時、スライムは最低ランクの魔物と聞いた。だが――数があまりにも多すぎる。
ざっと見る限りでも、50は確実に超えている。
ゼリー状の物体――スライムは、その場でぷるぷると震えたかと思うと、一斉に俺へと飛びかかった。
「くっ……」
一体だけならかわすことはできるはず。だが、この数だ。かわしきれない。
柔らかいボールをぶつけられる感触がして、思った以上に痛い。
「くそっ」
杖を構え、魔法陣を展開する。
腕や足に当たるのは仕方ない。詠唱が妨げられないように、顔だけは守らないと。
「アイスニードル」
魔法陣から生み出した3本の氷の槍を放ち、こちらに飛びかかったスライムたちをその場で返り討ちにする。
だが、この数全てを倒すには、何度も魔法を使わなければならない。
「アイスニードル、アイスニードル、アイスニードル!」
必死に大量のスライムを倒し続ける。だが、魔法の詠唱が追いつかない。
こんな時、仲間がいれば祝詞を乗せられるのに……。
祝詞さえ使えれば、奴らを簡単に一掃できる。だが、そんな長い詠唱をしている余裕はない。
何とかできる方法は無いのか!
氷の槍を放ちながら、状況を打破する作戦を考える。
――風魔法だ。
氷魔法でスライムを倒しつつ、風魔法で追い払う。
これなら、奴を倒しつつ、攻撃を受けずに済むはずだ。
昔、フィリアに聞いた話では、普通の人間が二重魔法を扱うのは不可能らしい。
だが、その不可能を可能にするのが、アルカディアに住んでいた経験を持つ、この俺だ。
氷の槍を生み出す魔法陣を維持しつつ、周りを吹き飛ばすための魔法陣を構築する。
「ワイドガスト」
広範囲に群れる奴らを吹き飛ばしたい。その思いをアルカディアで使っていた言葉に乗せる。すると、俺の周囲にいた大量のスライムが一斉に風で吹き飛ばされた。
即興だったけど、上手くいった……。
これなら、奴から攻撃を受ける心配はない。
それどころか、祝詞を乗せる余裕すらある!
俺は目を閉じ、杖を強く握りしめる。
そして、風魔法の維持と祝詞の詠唱に全神経を注いだ。
冷酷なる氷の精霊よ、か弱き我に力を――
前方から冷気が伝わると共に、パキパキと音が小さく響く。
氷よ来たれ。氷葬の弾丸――
魔法に願いを込め、目を見開いた。
青白い魔法陣から白い冷気が絶え間なく噴き出ている。
「コールドバルカン」
言葉と共に、杖を前方に振りかざした。
刹那、魔法陣から夥しい数の氷の弾丸がスライムたちを目がけて一斉に撃ち出された。
祝詞を乗せた氷の弾丸を受けたスライムたちは一匹たりとも動かない。まるで、氷そのものに捻り潰されたかのように原型を失っている。
「何とか、倒せたな」
ふっと胸をなでおろすも、スライムに突撃された身体の節々は痛いままだ。
何事もなく、というわけにはいかなかった。
俺はその場で周囲を見回す。スライムの死骸が、視界の至る所に転がっている。
ティアナがいれば、こいつらの素材を持ち帰れたんだよな――
魔物素材を回収しようにも、解体用のナイフと手袋は持っていないし、そもそも解体の方法がわからない。
「仕方ない。素材は諦めよう」
小さく溜め息を漏らし、懐から地図を取り出す。
それに視線を移して、道を確認した。
「奥の扉を開けたら、左に進んで階段を昇る――か。面倒な構造だな」
建物の構図が複雑すぎて、迷わせる意図を持って建てたようにすら感じる。
とはいえ、それに文句を言っても仕方ない。
俺は前方の扉に視線を移し、まだ少し残る痛みに耐えながらも足を動かす。そして、あたりの様子を窺いながらゆっくりと扉を押した。
扉の向こうを見回すも、魔物の姿は無い。
床を埋め尽くすレッドカーペットにも、足跡らしきものは見当たらなかった。
とはいえ、警戒するに越したことはない。念のため、探知魔法を使っておこう。
「ミドルサーチ」
魔法を唱え、地図に記された道の先に反応がないか確認する。
――階段を昇るまでは大丈夫そうだ。
安全を確認できた俺は、扉の向こうへと足を踏み出した。
だが、地図とは逆方向の、右方向はいくつか反応があり、そのまま進んでいくと魔物に挟まれるのではないかと思うような場所すらある。
地図があって良かった。
というより、地図があるからFランク依頼と判断されたのだろう。
手当たり次第に探すしかないのなら、こんな依頼をFランクにするはずがない。
「だから、ティアナはあの時必死に止めたんだ」
元々ここに来たことがあって、地図が無いせいで危険な目に遭ったのだろう。
そもそも、俺とティアナではここに来たときの条件が違っていたんだ。
そう思うと、安心したのもあって思わず笑みがこぼれる。
地図の通りに進めば、大丈夫だ。
さっきのスライム部屋も、オーリリア城跡地の中では比較的安全な道として記されていたのだろう。
確かに、スライムの大軍ならFランク相当だと思うからな。
俺は地図の通りに進んでいき、その先の階段をゆっくりと昇った。
この時、最も重要なことを忘れていたんだ。
地図はもちろん大事だが、それ以上に重要な、あのことを……。




