#52 そのランクたる所以
遺跡の奥で出くわしたのは、ランクCの魔物――ナイトストーカーだった。
「やばいわね。二人とも、走って。フィリア、ライトをお願い」
「わかった……。ライト!」
フィリアが両手で杖を握ると、先端から光が広がる。それを頼りに、奴から逃げるため走り出した。
「あいつ、何なんだ」
「詳しくはわからない。とにかく、捕まえた人間の血を吸い尽くすって聞いたわ」
「それだけなら、魔法で何とかできないか?」
血を吸う魔物なら、近づかれなければどうってことないだろう。
「それで済んだらランクCなわけないでしょ。何かあるってことよ」
ティアナは話しながらも、足を止めず走り続けている。
「そこ左! 次は――右行くわよ」
入り組んだ通路を利用して、逃げ続ける。だが、背後は不気味なほど静かだった。
俺たちが遅れていないか確認するように、ティアナは後ろを何度も確認しながら先陣を切る。
ティアナに負担をかけまいと、俺も必死で後を追った。
* ――――――
「はぁ、はぁ、っあ!」
俺たちは壁裏の狭いくぼみに隠れ、肩で息をしている。
本来なら息を殺して身をひそめるべきだ。だが身体は言うことを聞かず、必死に空気を求め続ける。
暗がりの中、二人の姿を確認する。
数歩先の通路には燭台があり、おかげでお互いの顔がうっすらと見えた。
「上手く撒いたようだな」
耳を澄ませているが、奴の気配は感じられない。
「――いや、ちゃんと確認するか」
問題はなさそうに見えるが、万が一奇襲されたらひとたまりもない。
俺は杖を構え、魔法陣を展開した。
「ミドルサーチ」
乱れる息を少しでも落ち着かせつつ、周囲の状況を確認する。しかし、反応があったのは二人分だけだった。
「奴の反応がない」
「な、何とかなったわね」
ティアナは眉をひそめ、額に雫を伝わせながらも、俺たちに視線を配る。彼女の瞳に映る俺の姿も、きっと同じような顔をしているだろう。
「ナイトストーカーって、結局何なんだ」
「だから、あたしも知らないわよ。噂と図鑑で知ってはいたけど、見るのは初めてよ」
「……」
ランクC。でも、逃げる俺たちのことを捉えられなかった。動きはきっと遅いのだろう。
そんな奴が、6人でも苦戦したワイバーンより強い評価のランクCというのは、どうしてだろうか。
「ねえ、アルトくん」
「フィリア。どうしたんだ」
「探知魔法で反応しないって、おかしくない? 最初は、二人で反応があったって確認したもん。なのに、反応がないなんて……」
「そういえば――」
もし見つかったのであれば、血眼になって俺たちのことを探すのではないか。
しかし、なぜか忽然と反応を消している。
まるで、最初から何もいなかったかのように。
* ――――――
「二人とも、そろそろ動ける?」
ティアナは俺たちに身体を向ける。
「うん、もう大丈夫」
「俺もだ」
少しの間休んで疲労を回復させた俺は、腰を上げる。
「それじゃ、魔物調査再開ね、燭台の道沿いに進みましょ」
「ああ、でもさっきみたいなのは勘弁してほしいな」
「あはは、あたしも」
進む道を確認した俺たちは、目を合わせ――
「!?」
思わず目を見開いた。
情報の整理が追いつかない。
何が起こっている!?
奴が、ナイトストーカーが、何もないところから突如現れたのだ。
――フィリアの、すぐ後ろの足元に。
「フィリア、後ろ!」
ティアナの言葉より先に、奴は何かを掴むように右手を強く前に出した。
その瞬間、フィリアの身体は見えない糸で引かれたかのように前に引き倒され、荷物の下敷きになる。
彼女の杖は、すぐ横に力なく転がった。
「フィリア、大丈夫!?」
ティアナはフィリアに駆け寄り、肩を支えながら顔を確認する。
後ろには、ナイトストーカーの姿が――!
「させるか! アイスニードル」
俺は杖を構え、魔法陣を展開した。
魔法陣から出現した氷の槍は、まっすぐ飛んでいき――
奴の身体に命中し、一歩後ろに後退した。だが、それだけだった。
「くそっ、怯ませることしかできない!」
俺は二人を守るため、もう一度奴に同じ攻撃を放つ。
その間にティアナはフィリアを抱きかかえ、立ち上がった。
「アルト、こうなったらしょうがないわ。戦いましょ」
俺は黙って頷く。
「フィリアを、お願い」
ティアナは、倒れているフィリアを俺の近くに寄せ、鞘から剣を抜く。
そして、奴に向かって走り、思いっきり剣を振り下ろした。
しかし、奴の身体はティアナの剣を、強く反発するように弾く。攻撃を通せなかったティアナは弾かれた反動で奴の前に足を揃え、しゃがみ込むようにして綺麗に着地した。
「そんな……」
ティアナの声は、わずかな焦りが混じっていた。
「アイスニードル」
俺は奴にアイスニードルを放ちつつ、フィリアを一瞥する。幸いにも、血を吸い取られた跡は見当たらない。
息はある。フィリアを何としてでも回復させないと。
フィリアは、どうやって俺の傷を癒していた?
――回復魔法だ。
二重詠唱ならお手の物。だが、回復魔法など今まで使ったことがない。
昔、俺がアルカディアにいた頃は、回復はすべてアルカギアに任せていたからだ。
正しい発音はわかる。魔力の込め方は――わからなくてもいいからとにかくやるんだ!
「ヒール」
奴への攻撃の手は止めず、フィリアに回復魔法を試みる。
フィリアと同じ魔法を唱え、魔力を込めると、二つの光が魔法陣の上に出現した。
しかし、二つの光はふわふわと浮かび上がるだけで、フィリアの身体に吸い込まれていかない。
――回復は、できなかった。
こんなことになるなら、フィリアからちゃんと教わっておけばよかった。
後悔の念で満たされる俺。
――いや、なんで諦めているんだ。
他に考えろ。奴を牽制しつつ、フィリアを助ける方法を。
ナイトストーカーへの攻撃の手は止めず、俺は必死に頭を回転させる。
今は、とにかく時間がほしい。
「もう一度逃げよう」
俺の提案に、ティアナが頷く。
フィリアが動けない以上、祝詞を使う時間なんて無い。
アイスニードル程度であればすぐ発動できるが、致命傷に至らない。
動きを止めるだけで精一杯だ。
奴が倒れるより先に俺の魔力が底を尽きるだろう。
もう、逃げるしかない。
* ――――――
ティアナはフィリアを抱えたまま、俺の横をすり抜けるようにして奴に背を向け、通路の奥へ走り出す。
それを確認した俺はフィリアの杖と荷物を抱え、ティアナを追う。
「くっそ、動きづらいな。フィリアはいつもこれを持って歩いていたのか」
腰からはみ出るほどの大きなリュックはそれほど重くなく、背負ったままでも走れそうだが、この大きさだ。動きづらくて仕方ない。
せめてストレージで収納ができれば――
そういえば、露天市場でノインから買った薬が、まだストレージの中に残っている。
これを使えば!
だが、その前に奴から逃げないことには始まらない。
俺はティアナの後を必死で追い、奴から逃走した。
燭台の光が煌々と辺りを照らす遺跡の中。
壁を使いながら奴の視界から逃げるようにして走っていたティアナは、一瞬だけ周囲に耳を澄ませるように動きを止めてから、俺に顔を向けた。
その足は、撒いたことを確信するように止まっている。
「上手く撒けた……。と思うけど、さっきみたいなことがあったから心配だわ」
「ああ、気を付けよう」
さっき、フィリアの足元に何の前触れもなく現れたのは何だったのだろうか。
そこには何も存在していなかったはずだった。探知魔法にも引っかかっていない。
今までの常識では考えられない、異様で恐ろしい体験だった。
「そうだ! フィリアは大丈夫か?」
「……う、うぅ」
フィリアは目を閉じたまま、ティアナの腕で小さく声を上げる。
意識は戻ったようだ。
回復魔法だと、フィリアを完全に回復してあげられない。
ノインの薬を、使うしかない。
「ストレージ!」
魔法陣を展開し、杖の先に小さな穴を出現させる。
その中から、薬ビンを手に取り、フィリアに使った。
「……」
祈るような気持ちで、フィリアを見つめる。
フィリアは次第に指先をぴくりと動かし、エメラルド色の瞳がゆっくりと開いた。
「よかった……」
張り詰めていたものが、ほんのわずかに緩む。
「フィリア、痛むところはあるか?」
「うぅ。まだちょっと痛いかも。でも、もう平気」
フィリアはゆっくりと地面に足を付ける。膝は心なしか震えていた。
よく見ると、フィリアの手はひどく汚れていて、右手首には血がにじんでいる。
――無理をしているのは明らかだった。
* ――――――
「アルト、探知魔法は使える?」
ティアナは、妹のフィリアではなく俺に聞いてきた。攻撃を受けた後だから無理をさせたくないのだろう。
俺は頷き、魔法陣を展開する。
「ミドルサーチ」
周囲の状況を確認する――が、またしても反応が無い。
「反応が無い。けど、おかしいよな?」
「そうね。さっきのことがあったし、まるで気配を隠しているようで――」
ティアナが俺の方を向くと、表情を激変させた。
「アルト、後ろ!」
俺が振り向くと、再び奴が目の前に――
そして、首に強い衝撃が走った。
気付いた時には、足が地を離れ、身体が宙に浮いていた。
――なっ、なんだこれ!
声が出せない。視界に黒がちらついている。
視界の端に映る二人の顔は、絶望の色を浮かべていた。
ただ、意識が少しずつ遠くなる中でも俺は確信した。
奴は、気配を消しながら確実に俺たちを追いかけてきている。
まるで、効率よく消耗させるように。そして、計算高く確実に仕留めるように。




