#53 絶望の糸を辿る
痛い。苦しい。息ができない。
意識が飛びそうになるのを、必死でこらえる。
「……っ!!」
叫ぼうとしても、声が出ない。
力がどんどん抜けて、杖が手から離れてしまう。
冒険者登録をして、正式に同じパーティーに入ったあの日、フィリアからもらった杖。
それが床に落ちた音は、あまりに軽いものだった。
「アルト!!」
ティアナの叫び声が聞こえる。
視界に黒が混ざりゆく中で、彼女が剣を構えてこちら――ではない、その先のナイトストーカーを突き刺すように見つめている。
長いようで短い時間。そして、彼女が剣を構え、奴に向かって剣を振り下ろそうとしたとき、全身に強い衝撃を感じて――
ティアナの剣は、俺の頭に向けられていた。
奴は、俺を盾にしようとしたのだ。
「こいつ……!」
ティアナは歯を食いしばり、無理やり剣の軌道を逸らす。
彼女の機転で俺は剣を受けずに済んだが、代わりにティアナは膝をつき、前のめりに着地してしまった。
「アイスニードル」
青白い光が視線の先に浮かび上がった。
刹那、鋭く尖った氷の槍がこちらに向かって飛んでいく。
それが俺のすぐ横を通り過ぎると、首を締めていた力が突然消えた。
力の抜けた身体が、重力に引かれるまま落ちていく。
「ぐあっ、はあっ」
膝が、身体が、顔が床に叩きつけられた。
視界がぐらぐらと揺れ、焦点が定まらない。頭が破裂しそうなほどに痛い。
「アルトくん、大丈夫!?」
辛うじてフィリアが杖を抱えてこちらに駆けよってくるのが見えた。
「チェインヒール」
ぼんやりと緑色の光が視界に映り、俺の身体を優しく包み込む。
すると、彼女の焦燥しきった瞳、下がった眉、そして、激しく揺れる金木犀色の髪が次第にはっきりと見えるようになった。
首の痛みもある程度収まったが、掴まれた後の鈍い衝撃が生々しく残っている。
「ありがとう。助かったよ」
落とした杖を拾い、立ち上がると、奴の手がこちらに伸びてきている!
咄嗟に避けると、奴の手は空を掴みながら、俺のすぐ前を通り過ぎた。
「二人とも、攻撃魔法に祝詞を乗せたい。時間を稼げるか?」
「うっ、うん。私に任せて」
そう言ったフィリアの手が、杖とともにわずかに震えている。
「時間を稼ぐだけだからね」
ティアナは凛々しく剣を構えているものの、エメラルド色の瞳はわずかに濁っている気がした。
――まずいな。祝詞魔法が効かなかったらどうしよう。
いや、言い出した俺が不安になってどうする。
俺は杖を構え、意識を集中させた。
杖の先端から魔法陣が展開される。
氷魔法は効果が薄そうだ。それなら、炎魔法で――
この世界に来たばかりの時、フィリアの杖で炎魔法を使ったことを思い出す。
死線を彷徨ったあの日、タイガーウルフを炎魔法で奇跡的に倒したこと。
あの時の魔法で奴を倒すイメージを、何度も何度も浮かべる。
俺は目を閉じ、深く呼吸をした。
紅蓮の精霊よ、か弱き我に力を――
杖を前に掲げ、魔力を送る。
すると、先からちりちりと音が聞こえてきた。
炎よ穿て。灼熱の紅矢――
魔法に願いを込め、目を見開く。
杖先には紅く染まった魔法陣が浮かんでいた。その上に鋭い炎の矢が佇んでいて、焼けるような熱さが頬に伝わってくる。
「フレイムウィング!」
俺は気持ちと共に、ナイトストーカー目がけて炎の矢を放った。
ティアナはまるで俺の攻撃が見えているかのように、後ろを向いたまま炎の矢をひらりとかわす。
そして――
炎の矢が奴に触れた途端、雷鳴のような爆発が遺跡にこだました。
爆発と同時に熱を帯びた煙と粉塵が巻き上がり、視界が一瞬で白と黒に染まる。
「やったか?」
俺たち3人は息を呑み、煙の向こうを見つめた。
次第に煙が分散していく。
そして、煙が晴れた時、俺は言葉を失った。
奴の身体はところどころ燃えながらも、まるで泥人形のようにその場に残っていた。
「ギュイイイイイン!!!」
奴の呻き声が響いたと思ったその瞬間、ナイトストーカーは地面に溶けるようにしてその場から姿を消してしまった。
「やった――いや、そんなわけがない」
狡猾な奴のことだ。これで終わりなはずないだろう。
「絶対何か来る」
「そうね。アルト、フィリア。絶対に油断しないで」
「わかった」
フィリアは杖を強く握りしめた。
俺たちはお互い周囲を警戒している。
ここから退散することもできたが、不意打ちで攻撃されたらひとたまりもない。
きっと二人も同じ気持ちで、動かないのだろう。
少しの時間のはずなのに、やけに長く感じた。
「二人とも、後ろ!」
ティアナの声が耳を突き刺すように響きわたる。
ばっと振り返ると、ナイトストーカーが十歩ほど先のところにぬらりと立っていた。
だが、全てがおかしい。
奴の肩から伸びているはずの二本の手がなく、切り離されたかのように床から生えている。
地面を滑るように、しかし人が全力で走るよりも速く俺たちに迫ってくる。
「アイスニードル」
俺は迫りくる一本の手に向かって魔法を放つと、手は動きを鈍らせた。
もう一本の手は……!
「アイス――っ!」
フィリアは首を掴まれ、手が上へ上へと伸びていくうちに、彼女の身体は宙に浮かび上がった。
まるで人形ように動かない。杖が彼女の手から離れ、落ちていく。
――さっきの俺と同じだ。
鼓動が激しく速く、そして背筋が冷たくなっていくのを感じた。




