#47 束の間の休息と迫る期限
空が星に包まれる夜。
俺は宿の隅で小さく明かりをつけ、銅貨と銀貨、それから紙幣を広げて所持金を数えている。
「残りは10日で、カノンの日記は――あと8万リルだ」
数日前に宿屋の新メニューにカレーを提案したときの報酬が思ったよりも良く、カノンの日記はもうすぐそこ――だが、悠長にはしていられない、絶妙なところだ。
一方、メイルさんはカレーをお客さんに出せるよう毎日練習に励んでいるようで、俺たちが採取依頼から宿へと帰ってきたときにはよく厨房から美味しそうな香りを漂わせている。
メイルさんも頑張っているし、俺も頑張ろう。
俺は決意を胸に秘め、所持金を袋に戻した。
* ――――――
夜も更けて来た頃、俺は寝付けなくて目を開く。
何も見えない。目を閉じているときと同じだ。
しかし、隣からは「すぅすぅ」と呼吸の音が聞こえて、ここがあの時の「無」ではないことを再認識させてくれる。
ティアナとフィリアは眠っているのだろう。
俺は頭をぼりぼりと掻きながら二人を起こさないよう、ゆっくりとベッドから起きる。
――お風呂に入ってリフレッシュしよう。
静かに支度を進め、部屋を後にした。
浴場内に入ると、もわっとした湯気が立ち籠っていて、湯船に浸からずとも暑かった。
この宿の浴場は何度も利用しているが、今日ほど滑る日は初めてな気がする。
歩くときは気を付けないとな。
俺は細心の注意を払いつつ、身体を洗う場所へと向かった。
「はぁ~」
全身を洗い終え、湯船に浸かった俺は、思わず息を漏らしてしまう。
熱すぎず、ぬるすぎない丁度良い温度は、全身の凝りと疲れをほぐしていく。
今までの苦労を忘れてしまいそうな、癒しの空間がそこにはあった。
幸せだ――
このままいつまでも入っていたいとすら思う。
心地よいお湯に包まれた俺は、しだいに瞼が重くなっていく。
「――ダメだ寝ちゃ。危ない危ない」
我に返って首を振ると、思わず右肩が目に付く。かつて紫に変色していた肩も今では面影もなく、元の色に戻り、自由に動かすことだってできる。
「ノインの薬、すげえ効いたなあ」
改めて、ノインに感謝の念を抱いた。
浴場から出て、身体についている水滴を丁寧に拭く。
そして、いつものように衣類洗浄の魔導具から服を取り出し、身にまとった。
身体はすっかり温まっており、よく眠れそうだ。
俺は欠伸を噛み殺し、部屋のベッドへと向かった。
* ――――――
外から聞こえてくる喧騒で目を覚ます。
窓からは強い光が差し込んでいた。
こもったような空気が居心地悪く、窓を開ける。すると、どこからともなく潮の香りが漂ってきた。
「アルトが寝坊するなんて、珍しいじゃん」
ティアナはすっかり着がえを済ませていて、薄い金木犀色をした髪につけられたカチューシャがきらりと光を反射させている。
「俺、そんなに寝ていたのか」
「うん。すっごい爆睡だったわよ」
「依頼を受けに行かないと――って、フィリアは?」
「そこにいるじゃん」
ティアナが示した先で、フィリアは静かに本を開いていた。姉と同じ色をした髪の左右には深紅のリボンがぴっと丁寧に結ばれている。
ぱちっと目が合うと、そっと微笑んでくれた。
「そろそろギルドに行く?」
「そうだな」
俺たちは準備をしてから、ギルドへと向かった。
* ――――――
ギルドの扉を開けると、独特な土の匂いが鼻をぬけた。様々な冒険者が出入りしているのもあり、床はまるで室外の地面のように汚れている。
俺たちはそんな決して綺麗とは言えないギルド内の、壁に貼られた依頼を一つずつ確認した。
カノンの日記があと一歩のところまで迫っている。なるべく割の良い依頼を選びたい。
無数に貼られた依頼のうち、一つが目にとまった。
ルーンストーン3つの採取依頼。報酬10万リル!?
採取依頼は高くても3万リルが多い。しかも2桁単位での採取が求められるのに、これはたったの3つで10万リル。こんなにいいのか。
詳しく見てみよう……。
場所は、オーリリア城跡地。主に図書室だった場所でよく手に入る――か。
依頼書にはルーンストーンの絵だけでなく、ご丁寧に地図までついていて、危険な場所もマークしてある。
ランクもFと大丈夫そうだ。
こんなに割の良い依頼、他の冒険者にとられる。
俺は依頼書に向けて手を伸ばす。
腕が前に伸び、指先が紙に触れた瞬間――
「絶対だめ」
その瞬間、俺の身体はぴりっと凍り付いたように止まる。
制止したのは、ティアナだった。
「どうしてだ? 条件良さそうなのに」
「オーリリア城跡地は危ないわ」
危ないって、そのためにランクがあるのだろう?
思い返せば、ティアナは俺が選ぶ依頼に対して結構うるさく言ってくる気がする。
俺だって、冒険者になったばかりとはいえ魔法を扱えるんだ。本気を出せば、祝詞を乗せれば……。
いや、今言うのは違うな。パーティーなんだからちゃんと従おう。
「わかったよ……」
俺は呟き、手を引っ込める。
仕方ないんだ。これは。
「アルトく~ん、お姉ちゃ~ん」
俺の不満をよそに、フィリアが依頼書を持ってこちらに近づく。
「この依頼はどうかな」
フィリアが依頼書を広げたので、確認する。
ラッカ遺跡の魔物調査依頼。
「魔物調査って具体的に何するんだ?」
「魔物調査は、魔物を倒して素材を分析するの。私たち冒険者は、出会った魔物を倒して素材をギルドに渡せばおしまいだよ」
「討伐依頼に似てるんだな」
「討伐は脅威になってる魔物を直接倒す依頼なんだけど、魔物調査は倒した魔物の素材からその場所に起きている異変を確認するの。似てるけど全然違うんだよ」
つまり、魔物を倒すのは同じ。でも、その先に何が起きているかを見るのが魔物調査依頼ってことか。
フィリアの説明は相変わらずわかりやすい。
「でも、あたしたち冒険者にとっては一緒よね」
「そうだな」
ティアナの言葉に、一応同意する。すると、ティアナは広げた依頼書を手に取り、俺とフィリアへ交互に視線を向けた。
「それじゃ、この依頼にしよっか」
「うん。頑張ろうね、アルトくん」
「そうだな」
依頼を決めた俺たちは、依頼書をギルドに提出し、ラッカ遺跡へと向かった。
「そういえば、ラッカ遺跡までどれくらいかかるんだ?」
「んー、半日くらいかな。往復も含めたら一日じゃ終わらないわね」
「うげっ、それを早く言ってくれよ……」
今回の依頼報酬は8万リルだ。本来ならこの時点でカノンの日記は届く。
しかし、パーティーに所属している以上、報酬は山分けしなければならない。
カノンの日記のタイムリミットまであと10日。
その10日という数字が、やけに重く感じた。




