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【1991年3月】 

【1991年3月】 


 プレイタウン・フラッシュに、アヴェニューファイター2が入荷した。俺はゲームの導入計画には関わっていないため、早番での出勤時に、突然名作と遭遇して感嘆する場合も多かった。


 ただ、名作だと知ってはいたが、前世ではほとんどプレイしたことはない。お客さんが来る前に試しにやってはみたが、いきなり操作を会得できるわけもない。筐体は古くからあるテーブル型ではなく、目の前に斜めの画面が置かれているタイプとなる。


 昼過ぎには、そーちゃんと瑠夏が顔を出した。ふたりとも、稼働状況が気になっていたようだ。瑠夏が一人プレイでゲームを進めていく。


「なかなか歯ごたえがあるね。これなら、人気になりそう」


「いいよな、これ。二台じゃ足りなかったかな」


「まあ、人気なようなら追加すればいいようにも思うが、対戦台じゃないのか?」


「対戦台とは? 2プレイは、普通にできるだろ?」


「一台でやるんじゃなくって、向かい合わせで……」


「いや、そんなの設定されてないぞ」


「なにそれ、もっと詳しく」


 詰め寄られて、少し気圧されてしまう。


「えーと、向かい合わせで、2台目は乱入専用台なのかな? 詳しくはわからんが」


 瑠夏とそーちゃんは、なにやら相談を始めている。


「……いけそうね。あの子を呼び出せる?」


「結菜っちだよな。電話番号は知らないな」


 なにやら話が進展しそうだ。


「久世経由でなら、呼び出せるかもしれないが……」


 そのとき、自動扉が開いて結菜が現れた。


「……なによ」


 三人に凝視されては、そんな反応になるのも無理もない。


 ……そして、突貫工事が行われ、その日のうちに対戦台が形になった。テレビへの出力も実現したが、こちらはかつての学園祭での経験があるので、軽く対応できたそうだ。


「ここまでくれば、プロジェクター導入もありかな? 通りに向けて映像を流せば、集客になりそうな」


「現状だと、あまり人を集めてもしょうがないかな。でも、テレビくらいは置いてみようか」


「店の前を通る人も、足を止めて見てくれるかも」


「対戦が始まれば、自然と人は集まるよ」


 こうして、小金井の裏通りに「アヴェツー」街頭テレビが設置されることになったのだった。


 ゲーセンを出る頃には、夕方の街が少し活気づいていた。武蔵小金井の北口では、東急ストアと西友の食料品売り場が買い物客を集めているが、周辺には幾つかの商店も存在している。


 買い物をする御婦人たちと、学校帰りの中高生で通りはそこそこの人出となっていた。


 立ち寄ったのは魚屋で、ぼちぼち片付けを始める頃合いとなっていたようだ。手早く調理できる鯛の柵を買い求めて、俺は帰路についた。


 フラッシュのある武蔵小金井北口エリアから沢渡家までは、住宅街を通り抜ける道が幾筋かあり、気分次第で選択することになる。この時代はまだ野良猫が普通に存在していて、経路ごとに別のにゃんこと顔を合わせることになる。


 顔見知りのトラ猫が目ヤニを溜めていたので取り除いたら、ふにゃあと背中をこすりつけてきた。縄張りを主張されているのだろうか。


 帰宅すると、ばあちゃんが出てこようとするので慌てて制止した。今月に入って、少し体調を崩している状態だった。


「すぐご飯にするから、ちょっと待ってね。お刺身用に鯛の柵を買ってきたけど、お刺身にする? 鯛茶漬け風?」


「それなら、鯛茶漬けがいいねえ。前にも言ったと思うけど、仲の良かった友達が佐世保に嫁いでねえ」


 そこからばあちゃんは、旧友が小金井に遊びに来た時に、鯛茶漬けをご馳走してくれた話を機嫌良さげに話してくれた。ゆっくりしゃべる分には、体調に悪影響は生じないようだ。


 鯛の柵をまな板の上に置き、包丁を入れる。未来では、東京都下のスーパーで手に入る鯛は、養殖の比率の方が多かったように思えるが、現時点での、特に魚屋では天然物がほとんどだった。養殖物が増え始めた頃には、養殖否定派が多かった印象があるが、実際には脂が乗っていて品質も安定する養殖魚は受け容れられていく。


 脂が乗るのを至上の価値とするか、本来の旨味を優先するのかは、後の牛肉におけるサシの入ったA5和牛と赤身の肉と同様に、二項対立ではない好みの話なのだろう。それぞれに適した調理法があるのだろうし。


 そして、鯛茶漬けとなれば、天然物の方が向くのだろう。今日は刺身にしてから少しだけ漬け込み、だし茶漬け風にするつもりだった。


 台所からは、居間のテレビの音が小さく聞こえてくる。ニュースの時間らしく、キャスターがなにやら真面目な声で話していた。


 ばあちゃんはこういう時間が好きらしい。別にニュースの内容に興味があるわけではなく、夕方の家の静けさを厭うているようだ。夫を亡くしてから、娘と孫が転がり込んでくる間は、この家に一人暮らしだったわけで、さみしい思いをしていたのかもしれない。


 醤油と日本酒を煮切ったタレを、冷蔵庫に入れておいただし汁で割れば、つけ汁が完成する。鯛の刺身を入れてゴマを散らしてから、ヤカンを火にかける。そのタイミングで、居間に向かって声をかける。


「今日は、こっちに来ていた子どもたちはどうだった?」


「ぼちぼちだねえ」


 返ってきた声は、穏やかな調子だった。ばあちゃんは、そのまま言葉を続けた。


「今日は冷えていたから、温かいものがうれしいみたい。今日は悠真風の味噌汁を三回おかわりした子もいた」


「三杯?」


「体が温まるんだろうねえ」


 そこで少し間が空いた。龍栖神社の敷地にあるこもれび食堂がオープンしているが、こちらの沢渡邸でも来る者拒まず状態は続いている。そのため、夕食向けの汁物を事前に作って、要望に応じて提供する場合が多かった。


 利用する子どもたちは、居場所を求めて来る子もいれば、腹を空かせてやってくる子もいる。少し遠くから来る子の中には、ここぞとばかりに食べ溜めをしていくこともあるのだった。


「今日は、紗良ちゃんがこちらに来ていて、よく手伝ってくれてね」


「遊びに来ていたはずが、すっかり運営側になってきちゃってるね。美羽ちゃんは?」


「あの子は、今日は神社の方だったの。……美羽ちゃん、こないだのピューロランドのこと、今でもうれしがってるみたいだよ」


 その言葉に、俺は少し手を止めた。ヤカンからは、沸騰間近らしいシュンシュンという音がしている。


「それはよかった」


「買ってきたキティちゃんのぬいぐるみをいつも鞄に入れていて、落ち込んでる子がいたりしたら取り出して、しゃべらせているの」


「美羽ちゃん、そういうのうまそうだな」


「そうなのよ。声音を変えて、生きてるみたいでね」


 ばあちゃんの声は、とてもうれしそうだった。


「ねえ、悠真」


 居間から届く声の調子が、少しだけ変わった。


「ん?」


「お仕事の調子はどう?」


「うん、楽しくやらせてもらっている。社長も同僚もいい人たちだし」


「そう。それはよかった」


 ばあちゃんは、くすっと笑ったようだった。


 食事の下準備が整ったところで、玄関の戸が開く音がした。


 少々の時間経過のあとで、廊下から声がかかった。


「ただいま帰りました」


 エルリアのあいさつの調子は、堅めのまま変わらない。


「おかえり、エルちゃん」


 俺は茶碗を並べながら声をかけた。


「今日は、鯛茶漬けにしたぞ」


 玄関の方から、少し弾んだ声が返ってくる。


「それは嬉しいですわ」


 どうやら、今日は機嫌が良さそうだった。穏やかな夜が、この家の中にも静かに降りてきていた。



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