【1991年1月】
【1991年1月】
前年までの初詣対応は、見回りと身内への甘酒、豚汁の振る舞い程度だった。
ただ、参拝客にも振る舞うようになって、品切れ状態が生じていたので、今年は炊き出し展開をしつつ、茶屋的な屋台も出すことにしていた。お汁粉やお雑煮と飲み物まで提供すれば、参拝客もだいぶ分散するだろう。
ここでも子どもには無償提供で、大人にも一杯百円とお手頃価格となっている。
手伝いの人には、ばあちゃん作の簡単なおせち系の料理を供していて、若い世代には好評だった。わざわざ用意するのは面倒でも、正月気分は味わいたい、というところだろうか。
そして、ふらっと立ち寄ってお参りだけしていく人たちも相当数いた。小金井の北側あたりは、周辺に大きな神社があまりないため、気軽な初詣場所となってきているのかもしれない。
境内の空気は、冬の朝らしくぴんと張り詰めていた。吐く息は白く、参道の砂利には霜が降りている。
近所の家族連れが手を引き合って歩いてきて、小さな子どもが賽銭箱の前で背伸びをしていた。
「お願いごと、ちゃんと言えたか?」
父親らしい人物がそう声をかけると、子どもはうん、と力強く頷いていた。
その様子を見ながら、ばあちゃんがぽつりと言った。
「初詣ってのはねえ、お願いをする場所でもあるけど、区切りをつける意味合いもあるんだよ」
「区切り?」
「去年のことは去年のこと、ってね」
そう言って、ばあちゃんは甘酒の鍋を軽くかき混ぜた。
湯気と一緒に、生姜の香りが立ちのぼる。つられてか、自然と列ができていた。
「甘酒、二つください」
「はいはい、ちょっと待ってくださいね」
そう言って、紙コップを並べているのは紗良ちゃんのお母さんだった。手作り感のある運営だが、それだけに落ち着いた空気が漂ってもいた。
こもれび食堂は年末年始も平常運転となっている。特に母子家庭などでは、長期の休み時期こそきつい、という実情もあるのだろう。杉森家は夫婦して神社を手伝ってくれていて、一人娘の紗良ちゃんは巫女としての活動に加えて、こもれび食堂でも活躍していた。ほんわかした奥様も、機嫌よく雑煮の振る舞い役を務めてくれていて、ありがたいけれど、なんだか申し訳ない気にもなってしまう。
紗良ちゃんとは相棒的存在である美羽ちゃんも、回復したお母さんと一緒にこもれび食堂と猫ハウスの手伝いをしてくれていた。食事などは、手伝いなしでも無償で提供しているのだが、申し訳ないと感じて動いてくれたようだ。
一方で、他の子どもやその親御さんには、単にゆっくりしてくれるのも歓迎だとも強めに発信している。幸いにして、今のところ傍若無人系の人たちは居着いていない。久世や市川が顔を出してくれている効果も大きいかもしれない。
正直、ちょっとやんちゃな感じの親御さんがやってくることもあるそうなのだが、男子陣が出入りしていると、居心地が悪いのだろう。まあ、子どもだけで来てくれていれば、問題はない。
猫ハウスでは、ミケの子らが元気に過ごしていた。仔猫だった四匹も既に成長していて、茶トラの兄弟、アマナツとイヨカンはやんちゃで室内を駆け回っている。黒猫のクロはクールで機敏で、三毛猫のリリィは人懐っこい。この姉妹は正反対のようだけれど、仲はとても良かった。
現在の猫ハウスに住む猫たちは、母子五匹となっているが、念のため男女別の配置としている。今後は、雄のアマナツは去勢して、雌の子はそのままにして近親交配を回避していく流れで検討している。一方で、雄猫の引き取り手が見つかれば、話も変わってくるだろう。
とはいえ、完全な内猫生活に移行するには、まだ少し不安がある状態だった。ミケはわりと無頓着なようだが、仔猫時代に外遊びをしていた子どもたちは、未練がある素振りを見せているらしい。
猫ハウスの扉は、外に出られないように二重にしてある。人が出入りするときは必ず内側の扉を閉めてから外側を開けるようにしていて、来客にも念を押している状態だった。
それでもアマナツとイヨカンは、ときどき扉の隙間をじっと見つめている。外の光や音が気になるのだろうか。
「そのうち慣れるさ」
休憩がてら遊びに来ている久世がそう言って、猫じゃらしを振った。
気づいたアマナツが駆け寄り、その勢いのままに飛びついた。イヨカンも遅れて参戦する。
「おお、いいジャンプ」
「運動不足にならないようにしないとね」
猫ハウスの中には、段差になる棚板や構造物がいくつも置かれている。結菜が「キャットタワー的なもの」として、端材を組み合わせて作ったものだった。久世が猫じゃらしでそちらに誘導すると、柑橘系の名を持つ茶トラの兄弟は縦方向も含めて駆け回り始めた。
そんな喧騒を、クロは少し離れた棚の上から静かに眺めている。
人懐っこいリリィは、こちらも休憩に来た紗良ちゃんの膝の上で丸くなっていた。
「リーちゃんはほんと甘えん坊ね」
優しげな少女に撫でられて、茶トラの仔猫は喉を鳴らした。
こもれび食堂を利用している子どもたちも、猫ハウスにはよく顔を出す。とはいえ、動物の扱いについては、最初にきちんと話をしている。
「追いかけないこと。無理に抱かないこと。寝ているときは邪魔しないこと」
これが守れない場合には、退出してもらうしかなかった。
今のところ、子どもたちは思ったよりも上手に猫と付き合っている。むしろ、大人より慎重なくらいだった。まあ、ミケ一族はいずれも、理不尽な扱いを従容と受け容れるタイプではなさそうだが。
小さな男の子が、そっと手を伸ばしてクロの鼻先に指を近づける。クロは少し匂いを嗅いでから、すっと身を引いた。
「今日はだめみたいだね」
その子はそう言って、すぐに手を引っ込めた。猫とのあいさつも、自然と教え合うようになっているようだ。
ここは、あくまでも猫の住処である。人間の都合で交流してもらっている以上、無理に触れ合わせるのは違う気がしていた。
ミケは、猫ハウスの奥の座布団の上で丸くなっていた。子どもたちの様子を、ときおり目を細めて眺めている。
「完全にミケがボスって感じだな」
給水器の水を入れ替えた久世は、感心した口調である。
「まあ、ここで一番偉いのは間違いないな。もしかすると、この神社全体の主かもしれないな」
そう言うと、紗良ちゃんがくすっと笑った。
「参拝客より偉いのですか?」
「かもしれない。少なくとも、猫ハウスの中では、まず間違いないだろう」
イヨカンとアマナツは、天井近くの棚でじゃれ合っているようだ。猫たちが落ち着いていると、場の空気も不思議と穏やかになる。
「さて、そろそろ戻るかな」
「屋台は、夕方までだよな?」
「ああ、その予定だ」
初詣対応は、日中のみとしている。夜も一応は開放しているが、明かりをつけるのみの対応である。
社務所方面へ向かうと、美羽ちゃんとエルリアとすれ違った。二人も、猫ハウスでにゃんこに癒されるのだろう。
参道には、豚汁の香りが微かに漂っている。境内にこぼれる陽射しは柔らかで、穏やかな正月となっていた。




