【1990年8月中旬】
【1990年8月中旬】
夏休みには、武蔵小金井駅北口のゲーセンのある雑居ビル「カストルム小金井」が、本格的に仲間内のたまり場になってきていた。
西城高校組では、翁敬義塾大学の藤沢湘南キャンパス、FSCに進学した市川透も顔を出して、旧交が温められていた。翁敬のFSCは今年開設されたばかりで、授業はやや手探り状態のようだが、学問分野横断的で英語が多用される、刺激に富んだ環境だそうだ。政策方面の学問を志向するこの人物は、どういう未来を選ぶのだろうか。期待したいものである。
「今年もなかなかの暑さだなあ」
いつの間にか、たまり場の小型の冷蔵庫から水色の棒アイスを取り出した久世がぼやいている。学部の一年生なので、まだ研究に追われる状態ではないようだが、それだけに先のことを考えているようだ。
「三年前みたいな停電があったら、冷凍庫のアイスも溶けちゃうわけだな」
英語の文献を片手で読みながら、市川がやや恨めしそうな視線を久世に向けている。確か、あのガリガリ君は最後の一本だったはずだ。
「アイスが溶けるだけならまだいいが、猛暑の中で病院の生命に関わる装置や冷房なんかが止まれば、生命の危険に繋がるな」
「確かに、このヒートアイランドの世の中じゃ……、都心の方はもっとなのかな」
ヒートアイランドという言葉を前世の終盤ではあまり聞かなくなっていたのは、地球温暖化に紛れたからなのか、一般化しすぎて話題にもならなくなったのか。
「冷房がもっと普及すれば、夏場の電力需要はますます増えちゃうよね。今後の電力は、やっぱり原子力と火力が中心になるの?」
スパナを握った島崎結菜が話を向けたのは、東都工農大の同級生である久世湊に対してだった。彼女が対峙してモーター部分に油を差しているのは、年代物の扇風機である。
「コストの面からだと、原子力が一番なんだろうが、火力も必要だな。ただ、化石燃料は枯渇の話もあるし……」
この時代、炭酸ガスによる地球温暖化の話も出てきてはいるが、後年ほど社会の中心的な課題とはなっていない。むしろ、「このペースで使い続ければ二十年後に石油は枯渇する」といった言説の方が懸念されていた。
前世の記憶をたどれば、令和の世に入るまで石油は枯渇しなかった。掘削技術の進展と、シェールガスの採掘、利用が広まったためだと思われる。
「変動対応には、火力発電は必要だもんな。調整分については、ある程度はコストを度外視するしかないだろう」
「ただ、チェルノブイリみたいな事故が起これば、コスト感は一気に変わってくるよな。……原発の安全性については、どう評価している?」
俺の問い掛けに、一瞬の沈黙が流れた。原子力発電の是非については、やや慎重に扱うべき話題とされている。気の置けないこの面々でもそうなのだから、通常ではタブー扱いなのだろう。
「従来型を運転していく分には、危険性は低めだと思うが、先進的な話にはちょっと眉唾的なものが多いな」
まず反応したのは市川だった。
「先進的と言うと、核融合とかだよな。実現するとしてもだいぶ先の話だろうから、現時点で眉唾なのは仕方がない。一方で、従来型もな……。商用原子炉は二十年前くらいから相次いで作られている。正直、当時の技術レベルはやや怪しいところがあったんじゃないかと思う。ただ、石油の枯渇や、現状のホルムズ海峡ルートの不安定さなんかも考えれば、使わないわけにはいかないしな」
引き取った久世は、やや苦しげである。東海村で原子力発電が始まり、副島原発も稼働してから、既に20年が経過している。1970年頃と言えば、戦後25年経過時点でしかなく、技術の蓄積が充分だったとは言いづらいだろう。
「想定外の地震、津波、火山の噴火、あるいはテロがあったときの安全性が気になるわね。それは、配備済みの核ミサイルでも同じことが言えるんだけど」
三人とも、少なくとも全面賛成ではないようだ。
「津波は、確かに怖いよな。電源を喪失してしまえば、制御不能になるだろうから」
俺の脳裏には、副島第一原発の建屋が水素爆発で吹き飛ぶ光景が浮かんでいた。
「そうなんだよな。歴史的には、東海や三陸は大きな津波があったはずだし……」
市川は歴史にも詳しいようで、懸念を深めているようだ。ただ、あまり示唆しすぎると、女神による禁則事項に抵触しないとも限らない。俺は、話題を少しずらすことにした。
「万一の場合を考えて原発依存を減らすなら、自然エネルギーが候補になるか? 水力とか」
この時点で、水力活用に大きく舵を切っていれば、色々と話は違っていただろう。電源構成の方向性を指し示す司令塔が存在していれば、という話ともなる。
「ダムは、コストの話もそうだが、環境破壊とされる場合もあるからな。他の自然エネルギーとしては、太陽光、風力、波力あたりか」
「そちらもコストがな……」
やはり、炭酸ガスによる地球温暖化の話が本格化しないと、再生可能エネルギーへの方向転換は起こらないのだろう。史実では、原発事故が起こって、太陽光へのシフトが起こるわけだが、効率性に欠けるやり過ぎの動きだったとみなす向きもあった。
「それに、再生可能エネルギーは、太陽光にしても、風力にしても、出力の調整が難しいから、どちらにしても調整電力が必要になるわけで」
電圧の調整が上下どちらに振れてもブラックアウトが生じるというのは、この面子では前提として理解されていた。
「そこで出てくるのが、蓄電池なんじゃないの?」
結菜の問い掛けを、同じ大学所属の久世が受けた。
「ただ、蓄電池開発は、現状だとどちらかというと車載向けの話が中心なんだよな」
「そうなのか? 系統向け蓄電池とかは視界にないのか」
「系統向けというと、家庭やビル向けじゃなくって、電力網全体向けな感じか?」
「電力系統を小分けにしていけば、ある程度の大容量蓄電池があれば、災害時の自立ができそうだからな。レドックスフロー電池、ナトリウムイオン蓄電池あたりか。全固体蓄電池は、むしろ車載向けかな?」
腕組みをした久世は、やや苦しげである。
「確かに、大容量の蓄電池ができれば、色々解決するわな。系統の細分化の方が、ハードルが高いかもしれないが」
久世の言葉に鋭く応じたのは市川だった。
「障害となるのは技術的にか?」
「いや、政策的に……、あるいは電力会社の都合として、だな。まあ、小分けであっても首都圏全域であっても、蓄電池側の対応としては変わらないが」
そこで、結菜がふと首をひねった。
「改めて考えると、広域に送電線を張り巡らせる仕組みも、だいぶ綱渡り状態よね。遠方への送電となれば、寸断リスクは高まるわけで」
「まったくだ。理想は小分けになっていて、それぞれで発電ができて、蓄電もしておいて、融通し合えるってとこかな」
「そこまでいかなくても、終端に大規模蓄電池を配置できれば、だいぶ管理は楽になるはず」
俺と市川は、期待を込めた視線を久世に送った。当人は、降参とでも言いたげに首を振った。
「それは蓄電技術の話じゃなくて、政策だよ」
「確かにな。……まあ、電力網以外にも、この国の綱渡りは色々ある。国家の財政もいい状態とは言えないし、道路行政だって」
市川が言明した通り、世はいわゆる第二次交通戦争が進行中で、年間の交通事故による死者は一万人超で推移している。
「高速で動く乗り物を、ちょっと教習しただけの人間が乗り回すのも、ある意味では綱渡りよね」
久世が、発言者に気遣わしげな視線を送った。彼女は弟を交通事故で亡くしたと聞いている。
「車道と歩道を分けられればいいんだが……、実際には難しいな。アクセルとブレーキのペダルの踏み違えも多いしな」
「交通事故を減らすには、自動運転かなあ。少なくとも、運転支援的なものは実現されてほしい」
「未来技術だな」
画像処理で周囲の状況を検知して制御というのは、確かにこの時点からはしばらく先の時代の話となる。早めることは、できるだろうか。
言葉が途切れると、市川がノートにペンを走らせる音が室内に響いた。少し引っかかっているようにも聞こえるので、そろそろインク切れかもしれない。補充しておくとしよう。
と、扉が開かれ、雨宮瑠夏が入ってきた。
「あらあら、先輩方が雁首揃えて何の話?」
「自動運転の話かな?」
「いや、綱渡りについてだろう」
市川と久世のやり取りに、瑠夏が苦笑する。
「なによそれ。あ、アイス食べる? 箱買いのホームランバーだけど」
久世も含めた全員の手が伸びた。思考には糖分が必要なのだ。たぶん。




