【1990年8月上旬】
【1990年8月上旬】
「あっさり占領したのねえ。電撃戦って言うのかしら」
新聞を読んでいたばあちゃんが、感心と嘆きが混ざったような声を漏らした。
対するエルリアは、テレビ画面での戦況解説を食い入るように見つめている。
「これが……、この世界の戦争なのですね。ここまで速攻が行われるとは」
「イラク・クウェート両国の力関係だけなら、イラクの方が圧倒的だからね。ただ、アメリカを含めた国々が参戦するんじゃないかなあ」
前世での史実通りなら、多国籍軍がイラクを攻めることになる。憲法上の制約で派兵できない日本は、資金拠出で存在感を示そうとするが、「ショウ・ザ・フラッグ」の流れの中で、平和維持活動、PKOへの参加が議論されていくことになる。これを軍国主義の復活だと阻止しようとするのが、ソーシャル党や左派メディア、それにいわゆる市民活動だった。
「アメリカからは、だいぶ遠いのではありませんの?」
「中東は油田が多いこともあって重要視されている地域だから、放置はできないだろう」
実際には、イラクに力を与えたのはアメリカである。イランの伸長を阻止するために、アメリカがイラクを強化したことで両国による長い戦争になっていた、というのが大きな流れとなる。イラン・イラク戦争が終わって力を得ていたイラクが、このタイミングで隣国クウェートに攻め込んだのだった。
このイラクに限らず、アメリカは世界各地で「敵の敵」を育てて、やがてそれらの勢力に牙を剥かれることになる。これから先で言えば、タリバン、アルカイダがそうだし、少し前のパナマのノリエガなどもその部類に入るだろう。
「アメリカが参戦するとして、その戦いは空からの攻撃になるのですか?」
「いや、最終的には地上戦になって、装甲車両が中心の軍勢が出ていくだろう。もちろん、航空支援はあるにしても」
異世界から来た彼女にとって、この地での戦争の形はあまりにも異様に映っているようだ。
彼女のいた世界では、剣と魔法による戦闘が中心で、銃器は存在していないらしい。魔法も飛び道具だと思うが、お互いに使い手がいれば相殺される場面が多いそうだ。それだけに、魔力を持つ貴族が、魔法を使えない領民に対して強く優位に立つ状態なのだろう。
魔物とも戦わなければならないとのことで、剣と魔法は単なる支配の道具というわけでもないのだろう。わりと荒んだ世界なのかもしれない。
エルリアの魔力は、公爵令嬢にしては弱かったはずが、ばあちゃんの危機に際して発揮した治癒術は飛び抜けて高度なものだったという。そのレベルの治癒の再現は難しいようだが、切り傷程度は自在に治癒ができている。遊びに来る子どもたちの怪我した時にも、おまじないを装ってわりと気軽に治癒魔法が使われていた。
「この国も、いつかは戦争になるのでしょうか」
「今のところ予兆はないけど、備えておくべきだろうな」
「自衛隊は、でも、違憲なのですよね」
「憲法の条文を虚心に読めば、そうなのかもしれない。でも、解釈で合憲だということにしているのが現状となる」
令和の世に、自衛隊は違憲だから廃止すべきだとする論者は、そう多くはなかった。だが、この平成初頭の時代には、非武装中立論を本気で唱える者たちが勢力を得ている。やがて生じるPKO否定の動きも、その文脈なのだろう。
「そこは、西城高校の先生でも見解が分かれていましたね」
「エルリアの国では、軍隊はどういう位置づけだった?」
「王が直轄する騎士団、兵団の他に、諸侯の指揮する手勢や、騎士団なども存在していました」
「わりと多様な組織があったんだな。軍は、どう扱われていた? 暴力を生むとして否定される存在だった?」
「いえ、むしろ国や地域を守るものと捉えられていました」
「攻め込む……、侵略することはあった?」
「ええ、頻繁にではありませんが。戦さは世の倣いと捉えられ、乱れた勢力があればむしろ打倒すべきとされていました」
「この世界でも、かつては侵略戦争それ自体が必ずしも否定されるものではなかった。その後、価値観が変わって、現在では断罪されるようになっている。少なくとも建前の上では」
「そういうことでしたか。違和感を抱いていたのですが、ようやく腑に落ちました」
エルリアと俺の対話を聞いていたばあちゃんが、しみじみと口を開いた。
「戦争に負けて、多くの人が考えを変えたのは確かだねえ。そもそも、旭日や押売といった新聞が国民を煽りに煽って戦争賛成の世論を作っていたわけだし。逆に、世論が戦争を求めていたから、それに応える記事を書いた面もあったのかもしれないけど」
「メディアと世論が、互いに煽り合っていたかもしれないわけか」
「そうね。……戦争に負けて、我がこととして反省した人もいれば、軍部に騙されていたとして、徹底的に軍や戦争を嫌う人たちもいた。旭日新聞の人たちは、自分たちが戦争礼賛をしていたのは確かだけれど、それは誰かが悪いんだと思いたかったんだろうね。だから、徹底的に批判したかったんでしょう」
「自分たちを正当化するために?」
「本当のところはわからないけどね。そう考えると、合点がいくから」
「……ばあちゃん、そう思っていながら、どうして旭日を読み続けてるのさ」
「行く末を見届けたい、というのはあるのかもねえ」
この時期、旭日新聞は後に取り消しをする、いわゆる従軍慰安婦関連の記事を多く掲載し続けている。サンゴ礁の「KY」事件も含めて、なんの意図も働いていないと捉えるのは難しいだろう。
「政治的な立ち位置が絡む内容は、どのようにして正解を見つけていくべきなのでしょう? 教科書や参考書も記述がまちまちですし、授業では詳しく触れられませんでしたし。新聞もそうですけど、先生も見解が分かれているようでしたの」
「まあ……、実際のところ、正解はないんだろうな」
「正解が……ないんですの?」
「立場によって、正解が違う、とでも言うべきなのか」
大きなハテナマークがエルリアの頭上に浮かんでいるのが見えるようだった。
「……たとえ話をしてみようか。ミケには内猫でいてほしいか、外猫でいてほしいか。どう思う? 安全面を考えれば、内猫でいて欲しい。でも、自由さを第一に考えれば、外猫にするべきだとも考えられる」
「シャルロットには、ずっとうちで一緒に生きていてほしいです」
「外猫であるべき派の言うことも理解できる?」
「それはまあ……、言いたいことはわかります」
「極端な立場に立てば、内か外かが確定するかもしれないけれど、実際に考えるべきは安全か自由かだけじゃないよね。同様に、国の在りようや方向性も、様々な要素が絡むから絶対の正解はないんだと思う」
「複雑な考え方をするのですね」
「どこかの典型的な立場に考え方を寄せてしまった方が、楽な面はあるかもしれない。そうすれば、用意された正解だけを信じればいいから」
「楽だから考え方を寄せるのはどうかと思いますが、考え方が近いと思える人の見解は参考にできそうですね」
「そうだと思う」
エルリアがようやく得心した様子を見せたところで、ミケがにゃあと一声鳴いた。視線の先を見やると、杉森紗良ちゃんが門から入ってくるのが見えた。
「紗良ちゃんが一番乗りなのは、めずらしいわね。準備に入りましょう」
ばあちゃんが立ち上がって、この日のこもれび食堂としての活動が開始された。




