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【1993年11月中旬】


【1993年11月中旬】


 結婚式の後、二日を沢渡家で過ごしたところで、ばあちゃんの容態は悪化した。病院に戻ってすぐに昏睡状態に陥り、翌日の晩に旅立ってしまった。


 明確に聞き取れた最後の言葉は、ありがとう、というものだった。亡き夫……、会ったことのないじいちゃんには、もう会えているだろうか。


 葬儀は、茜音さんが取り仕切ってくれた。結婚式のときには、尻込みしていた感じだったのだが、ばあちゃんとは交流があったので、本人が希望してくれていたのなら是非に、との話になった。


 参列者の精進落としは、龍栖神社境内のこもれび食堂で開催されている。ばあちゃんは俺を含む近親者とともに沢渡家へ戻っていた。


 少し呆けた時間を過ごしていると、声をかけてきたのは弁護士の卵の利音さんだった。


「少し、時間をもらえるかな。うちの所長……、祖母が来ていて」


「何度か見舞ってくれたと聞いています。ばあちゃんも喜んでいたとか。ごあいさつさせてください」


「無理のない範囲でね」


 俺は本気で心配されるような表情をしているのだろう。前世と今世を通じて肉親との縁が薄めだった俺からすると、無条件で存在を肯定してくれたばあちゃんの存在は想像していたより大きかったのだろう。今生での母さんとは、また別の関係性だったし。


 利音さんとやってきた黒衣に身を包んだご婦人……、西園寺きみよ女史は、年輩ではあるようなのだが、しゃっきりとした立ち姿が美しい。


「あんたが、沢渡悠真かい」


「はい。利音さん経由でお世話になっております。ばあちゃんにもよくしていただいたようで」


「いや、あたしがよくしてもらったのさ。この辺りで、ちょっとやりすぎていたところに、手を差し伸べてくれてね」


「そうでしたか。……ばあちゃんも、来ていただいて喜んでいると思います」


「ん。……悼むにしても、これからの話もしないとね。奨学金……、いや、支援金だったか、あれはどこまでやる気なんだい?」


 このところ、ばあちゃんとのやりとりを思い返してばかりだったので、スイッチを切り替えるまでにしばらくの時間が必要だった。


「そうですね……。返還を求めない給付型とするのは大前提となります。近隣の児童養護施設出身者のうち、成績優秀者は手厚く、それほどでもなければ、就職組と同等の一定額を支援。ひとり親家庭、困窮家庭出身者の進学者はもう少し手厚く、というのが現行方針です」


「ほほう」


「地域や、対象者は広げていくかもしれませんが、どこまでかは考えどころです。関連して、博士課程向けの資金提供や、就職支援あたりでしょうか」


 こうして答えている間は、心に空いた隙間から目を背けることができそうだ。そんな俺を一瞥して、弁護士の女性は頷いた。どこまで心境を見透かされたのかは不分明だった。


「なるほどね。まあ、金があるなら好きにするがいいさ。あんたがやりたいことは、若者の支援以外にはないのかい? 破綻企業の再生は主軸じゃないんだろう?」


「企業再生は、確かに本題ではありません。ただ、若者の支援以外となると、どのあたりでしょう。福祉方面はそれこそ行政の役割でしょうし」


「働き手支援は?」


 このきみよさんは、かつては左翼系の闘士で、その流れで労働争議系の紛争を手掛ける場合が多いらしい。


「労使紛争そのものに手を出すつもりはないですが……、派遣で働く人たちの支援は考えてみたいですね」


「ほう、派遣かい。そこは確かに、従来型の労働組合の視野には入りづらいかもね。具体的にどうやって」


「そうですね……」


 派遣はこの時点ではかなり職種が限定されているが、徐々に緩和されていって、郵政解散を仕掛ける大泉総理の頃にかなり拡大することになる。


 そして、これからの雇用状況は土砂降りから氷河期へと進み、就職戦線はずっと厳しい状態になる。派遣が働き方の選択肢として存在することは悪くないが、派遣中心の働き方を余儀なくされる環境下では、派遣元が肥え太っていくわりに、働き手への配分が少なかったのは間違いないだろう。


「派遣会社だけが儲かる状況は招くべきではないでしょう」


「そうは言っても、資本主義の世の中さ。会社が儲けを最大化しようとするのは無理もない話だろうに」


「派遣社員への配分を重視する派遣会社があれば、話も変わるのでは?」


「株式会社としてではなく、ってことかい?」


「形態は株式会社でも、分配を強めにすることはできるでしょう」


「そんな酔狂な資本家がいるわけないさ」


「ここにいます。配当は求めません。……どうです、お願いできませんか?」


「はぁ? あたしがかい?」


「スタッフを集めるのも、派遣先を探すのも、学歴のない小僧には難しいんで。きみよさんなら、できるんじゃないですか?」


「ああ、お前さんは高卒なんだっけか。他人の進学は支援しておいて、自分は大学に行かないんだから、ひねくれてるやね」


「おっしゃるとおりです。資金は億単位で準備できます。人は出せません。それでよければ」


 きみよさんは、じっとりとこちらを睨んできた。そして、ゆっくりと息を吐き出した。


「好きなようにやらせてもらう。それが条件だ」


「あ、いや、提案をさせてほしいんです」


「はぁ?」


「登録者が自然に資産形成できる仕組みを、半ば強制的に組み込みたいのです。本来なら会社の取り分になる部分から、一部を積立投資に回す感じで」


「投資先が破綻したら、丸損じゃないか」


「そこは、うまくやります。働き手に回す金額をそもそも多くした上でやる分には、方向性として問題ないでしょう?」


「それはまあ、そうなんだがね」


「後は、派遣契約とは別に、稼働年数に応じて別途報酬を出すとか」


「だ、か、ら、好きなようにやらせないなら、受けないよ」


「単なる提案です。受け容れるかどうかは、きみよさんの判断でお願いできれば」


「まあ、そういうことなら。……そうなると確認しておきたいんだが、実際問題、あんたの政治思想はどの方向なんだい?」


 この問いへの対応は、注意を要するだろう。現在の日本は、ヤマト新党の細海党首を首班とする内閣が運営しており、ソーシャル党は野党第一党の座を占めている。


「旭日新聞は苦手だけど、経産新聞って感じでもないなあ。性に合うのは、日本景気新聞の競馬欄くらいかな」


「ふ……、拝金主義を気取るつもりかい」


「お金が大好きなのは、間違いないけど。……きみよさんは、左翼の闘士という認識でいいですか?」


「闘士……ってのは、語弊があるね。あたしは、共産主義者でもなければ、全共闘世代でもない。市民派だとは思うけど」


「資本家は敵?」


「在りよう次第さね」


「念のため、外交方針も聞いてみていいかな? 俺は、アメリカには思うところもあるけど、自力で重武装するわけにもいかないから、どうにか仲良くするしかないと思っている」


「従米主義者か。若いんだから、反骨心くらい持ってほしいもんだが。……とは言え、冷戦の決着もついたようだしねえ」


「自衛隊の存在は否定?」


「素直に条文を読めば違憲なのは間違いないけど、無くすべきだとも思わない。軍国化は避けるべきだけど」


 意外と現実的な思想の持ち主のようだ。社会主義的派遣会社になったら、遠くから眺めようかとも思っていたのだが、まっとうな存在になっていくかもしれない。再び利音さんの手を煩わすことになるかもしれないが、推移を見守っていくとしよう。


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