【1993年10月】
【1993年10月】
ばあちゃんが、入院している。
胸が苦しいというので受診したら、そのまま緊急入院となったのだった。あとから聞いたところ、心臓に持病があったそうで、だいぶ悪化していたらしい。医師からは早々に、あまり長くはないとの話をされてしまった。
衝撃を受けたのはエルリアである。弱っているとの認識はあったにしても、本人が気丈に振る舞っていたこともあり、そこまでの状況だとは考えていなかったようだ。
病室で、ばあちゃんが彼女の手を握っている。
「エルちゃん、そんな顔しないで。悠真とあなたと暮らせて、とても幸せだった。その分、あの人をだいぶ待たせちゃったからね。……また会えると思うと楽しみなのよ」
「ですけど……」
「あなたたちなら立派にやっていってくれるはず。だから、楽しく暮らしていってね」
二人の姿は、俺の視界の中でじんわりとぼやけていった。
目尻をこすって廊下に出ると、そこにいたのは鷹岡さんだった。ばあちゃんと同世代とまでは言えないが、密に交流してくれている。
「悠真くん。……トミさんからは、絶対言わないでねと頼まれてたんだけど、だいぶ心配しているの」
「なにを、でしょうか」
「自分が逝った後の、エルリアちゃんについて。……トミさんを、安心させてあげられないかな」
その時、少し遅れて部屋から出てきた話題の人物が、後ろ手に扉を閉めた。どうやら、話は聞こえていたらしい。
「それはつまり、悠真と結婚してはどうか、ということですよね。わたくしは、良い案だと思います。悠真はどうですか?」
「だが、エルリア。それでいいのか?」
「……今のこの世界では、恋愛結婚が基本だということは理解しています。ただ、それも、少し調べると、ここ数十年の潮流でしかなく、それ以前は私のいた世界同様に見合いと呼ばれる家同士の結婚が普通だったようですから」
「家と言っても……、沢渡家をどうしていくかは、この場合は本質的な問題ではない」
「そこは同意します。わたくしたちが大事にすべきは、トミさんの心情です。婚姻関係を結ぶことで、安心してもらえるのなら」
「それだけか?」
問うてみると、エルリアは一瞬だけ目を伏せた。
「それだけではありません」
いつになく小さな声だった。
「わたくしは、この世界に来たとき、何者でもありませんでした。戸籍もなく、家もなく、過去も証明できずにいました。けれど、トミさんは、わたくしを家の中に置いてくださいました。悠真は、わたくしをこの世界に繋ぎ止めてくれました」
彼女はそこで、少しだけ息を整えた。
「その縁を、形にすることができるのなら、わたくしはそれを拒みません」
俺は、すぐには答えられなかった。
前世の俺にとって、結婚など遠い世界の話だった。自分の生活を維持するだけで精一杯で、誰かと家庭を築く未来など、真面目に想像したこともない。
だからこそ、ここで軽々しく頷いてよいのか、少し怖かった。
だが、目の前にいるエルリアは、すでに家族だった。ばあちゃんも、きっとそう見ている。互いに恋愛感情がなくとも、それは瑣末なことなのだろう。
「……まあ、戸籍的にも確定するしなあ」
エルリアと俺の会話を聞いていた鷹岡さんが、呆れたような声を発した。
「ちょっとちょっと、そこはまず二人の気持ちからなんじゃないの」
「ですけど、トミさんの結婚は、互いをほとんど知らない状態で結ばれたと聞きます」
「そりゃあ、昔はね。うちだってそうだったし」
「その点、わたくしたちはお互いの人となりを把握できています。問題はないものと思います」
「意向は分かったけど、ちょっと早まらないでよ。トミさんにじんわりと伝えていくから」
「はい、そこはお任せします。悠真、よろしいですね?」
「ああ」
こうして、俺たちの婚姻の方向性がほぼ固まったのだった。




