【1993年8月中旬】
【1993年8月中旬】
この夏も、技術検討会が開催された。
カストルム小金井で使えるスペースが増えたことで、より多様な題材が取り上げられるようになった。
本来なら、パソコンで資料を調整し、共有しながら進めたいところだが、この時代のパソコンの勢力図は混沌としている。ビジネス系は、98と呼ばれる機種群がこれまでの主力だったが、海外で普及しているDOS/V機が前年に本格的に進出してきて、いわゆるコンパックショックが発生していた。
コンパックは、単に海外の値付けで持ち込んできただけなのだろうが、この一時をもって日本では安売りメーカー扱いされてしまうという悲劇が、今回も繰り広げられそうだ。
グラフィカルなUIを本格採用したアップルもやや迷走気味で、その方向性を取り込んだウィンドウズ3.1も道半ばである。本格的な普及は、ウィンドウズ95が登場してからとなるのだろう。
それを踏まえて、現状ではパソコンの全面的な導入には至っておらず、資料はOHPシートを投影しての共有が中心となっている。一方で、すべての討議を録画して保存するようにもしていた。現状はビデオテープでの保存だが、将来的にはデータとして残すことになるだろう。
同世代組は、それぞれが研究室に加入済みで、幾人かは同級生や先輩を連れてきていた。蒼衣さんと交流のある研究者も顔を出し、魚の陸上養殖に関心を持つ倉持芽依嬢の工農大での指導教授もいた。
俺もできるだけ顔を出すようにしたのだが、政策的な話ならどうにかついていけても、技術的な……、特に素材や機械構造の深い話となると、正直なところちんぷんかんぷんである。
対してエルリアは、どんな場面でも果敢に質問を試みていた。初歩的なことや、ピントが外れた問いになることも多いが、本質を貫く場合も幾度かあった。つられてか、専門外の面々が質問や意見を口にする風習が生じ始めているようでもあった。
これは、学会で恐怖体験として語られる、大御所による「素人質問で恐縮ですが」的な内容ではなく、本気の別角度からの問い掛けである。この場での発表は特に成果になるわけではないため、発表側も歓迎して脱線する場面が多く生じていた。
ジャンルは、電動モビリティやラジコンなどの機械工学系、蓄電池や太陽電池を中心とした素材系、災害対策の他、農業、水産業にも展開している。特に、小水力発電は浮体型にして大きな河川で使う方向での試作をしているようだし、陸上養殖は海水魚向けの好適環境水をほぼ実現して、研究室ベースで海魚の育成が進んでいるようだ。
蒼衣さんが連れてきた自動運転基礎研究の候補者は、突貫作業で仕上げた研究計画を、多方面からツッコミを入れられてうれしそうだった。線は細いのだが、神経の方はわりと図太そうで、頼もしい限りである。
結菜は師匠を得て、ばあちゃんの電動モビリティの改良も含めた研究生活に入っているようだ。制御用のマイコンを組み込むそうなのだが……、どうなるのかは正直よくわからない。まあ、本人がいきいきとしているのでよしとしよう。
前年の研究成果の冊子には断続的に注文が入って、通販書店の主力商品となっている。そこから、取次の利用に広げる形で徐々にではあるが拡大は続いていた。そこは、引き続きバイトの立場ながら早乙女航がまとめてくれている。
三日間にわたって開催するので、昼には軽食を、夜には派手にならない程度の酒食を提供することにした。最終日は、まあ、ある程度は豪華にするとしようか。
夕食向けに準備していた瓶ビールの中に、コロナビールを見つけて反応したのは蒼衣さんだった。
「お、コロナビールじゃない。気が利いてるわね。……ライムはある?」
「いや、用意できなかった。酒場じゃないんでね」
「そっかー」
しょぼんとしてしまわれると心苦しい。と、そこで声を発したのは倉持さんの師匠である工農大の西影教授だった。
「あるよ、ほら」
カバンの中から取り出されたビニール袋には、翠色の果実が詰まっていた。
「これは……、大学で栽培しているんですか?」
「いや、趣味だな」
「露地栽培ですか?」
「ああ、温室じゃない。府中の研究室近くの庭で、植木鉢で育てている」
「ほほう……。それは、倉持さんも世話を?」
「他人行儀だなあ。芽依でいいって。ライムは、みんなで育ててるの。酸味がいいよね」
「なら、芽依。府中の露地で育つのなら、小金井でも栽培できるよな」
「まあ、隣の市だし、そうでしょうね」
俺の関心に気づいたようで、西影教授が問いを投げてきた。
「ん? ライムを栽培したいのか?」
「できれば。……地元の菜園で栽培できる高付加価値植物がほしい、ってのは芽依に言ってたよな」
「うん、聞いた気がする。陸上養殖の交換条件みたいな感じで」
「いや、別に人質にしたつもりはないんだがな。国産のライムをある程度まとめて出荷できれば、特産品づくりにつながると思わないか」
「コロナビールに入れるくらいしか、使い途がない気もするが」
「それでも充分だけど、ライムジュースとか、ライムのかき氷とか。あとは、陸上養殖の餌に使って、ライムサーモンとか、ライム鯛とか」
「え、なにそれ、おもしろそう」
みかんや柚子、かぼすを養殖の餌に使って、香りを良くするという手法は未来の養殖で取り入れられるはずだ。ライムはさすがに例がなかったように思うが。
「ライムなら、問題なく育つだろうが……、フィンガーライムって知ってるか?」
「なんか、キャビアみたいなライムだっけ?」
「よく知ってるな。オーストラリアで自生している果物なんだが。高付加価値というなら、栽培してみるのもいいかもしれないぞ」
「小金井で育つ?」
「いや、ハウスじゃないとつらいかな」
「確保してみるよ」
「取り寄せるのには、費用かかりそうだが」
「必要な資金は準備できると思う」
西影教授は、俺の言葉に目を丸くしている。
「農家のぼんぼんとかか?」
「教授ってば、話したじゃないですか。寂れた神社を再興して、子どもに食事を常時無償で振る舞っている謎の若者がいるって」
「ああ、それがあんたなのか。どっかの学生かと思っていた」
「このビルのオーナーなのよね?」
「まあ、形としてはそういうことになるな」
沢渡商会の代表は、書類上はばあちゃんなのだが、実質は確かに俺が経営者ということになる。
「ほほう。倉持くんがやってる陸上養殖は、事業化するつもりあるのか?」
「うちには手掛ける人手はないんだ。誰かがやるなら、もちろんバックアップする」
「小金井鹿島神社って知ってるか?」
「……わりとよく知ってるかも」
「話が早いな。そこから、土地はあるんで、なにか商いをという話が来ている。ただ、あの辺りは陽当たりが微妙でな」
「国分寺崖線の下の、野川の河岸辺りかな。ハケの道で、良い水は出てるはずだけど」
「わさびなんて案もあったんだが、陸上養殖とか、どうだ?」
「環境好適水で、海魚を確保できれば、名物にできるかもしれないな」
「魚種はなんだ。やっぱり、トライアルで育てていたサーモンか?」
「海外でも三陸でも養殖実績はあるわけだし、陸上養殖にすれば、寄生虫の心配なく生の刺身が食べられるのはいいね。鯛なんかもいいし、ボラあたりでも」
「清浄な水でのボラ養殖とは、ロマンがあるな。……となれば、カラスミもいけるか。それなら、チョウザメもありか」
「夢は広がるけど、まだ実験室レベルなんじゃ?」
「そりゃあそうだが、先行きを考えておくのはありだろう。ライム栽培は、そっちだけでやるか?」
「いや、鹿島神社方面でやってもかまわないよ。うちで運営している龍栖神社と、小金井鹿島神社は巫女舞の復興で協力関係にある。有馬千尋って子が、南口の銭湯でこもれび食堂……、子どもへの食事の無償提供拠点を取り仕切っている」
「千尋ちゃんの知り合いか。世間は狭いな」
コロナビールから話が転がったが、目に見える成果が出てくれば、この技術研究会にもさらに勢いがついてくれるかもしれない。目先の利益は考えずに、進めてみるとしよう。
一方で、実利の話としては、書籍通販はさらに顧客を獲得できそうだ。各大学の研究室は、それぞれ馴染みの本屋はあるようだが、専門性のある書籍が入手しづらいのはやはり共通の悩みだという。
沢渡商会が手掛ける通販書店は、早乙女航が中心となって発展期に入りつつある。この技術研究会での討論集を提供して、そこからの付き合いで近隣の各大学から引き合いが来るようになっていた。
航本人は東都経世大学に在学中で、如才なく営業活動を展開していた。同時に、雑誌や新刊マンガなども手掛けているようで、売上は緩やかながら伸びを見せている。各大学で駐在員的に手伝ってくれる人員も確保中で、もちろん報酬も支払っている状態だった。
軽食の提供が終わって、人が減ってきた控室にうぃーん、という動作音が響いていた。背面から今日の議事メモを吐き出しているのは、瑠夏が持ち込んだワープロだった。
「すまんな、久世も討議に参加しているのに」
「いや、かまわんさ。……正直、議論が分野をまたぐから、別視点があってもいいのかもしれない」
「各分野の若手に下書きしてもらって、ボス級に手を入れてもらう感じか」
「持ち回りにすると、時間もかかるしな。素材系の蒼衣さんと、機械系の結菜の先輩、農業分野は芽依の師匠で、情報系はとりあえず瑠夏か」
「そんなもんだろうな。それぞれで完結して、また、取り上げ方の違いにも意味が出てくるから」
「資料としても充実するか。……そうなると、フォーマットを合わせたほうがいいよな。ワープロも一台しかないし」
「原稿に仕上げられればなんでもかまわないけどね。パソコンの本格導入は、もうちょっと先の予定なので」
「パソコンなら一太郎か」
「まあ、いずれはWordかな。いずれにしても、テキスト化である程度は変換もできるし。……今回から、書き手を増やしたほうがいいか? 俺も入るぞ」
「いや、だいじょうぶだ。市川が論文の追い込みで来られてないからな。ちょっと負荷がかかってる程度の話さ」
そう言いながら、久世は顔を天井に向けて、目元をつまんだ。
「だいぶ疲れているようにも見えるが」
「ああ、家がちょっとごたごたしてるんだ。でも、だいじょうぶだ。オロナミンCでも飲んで乗り切るさ」
「ユンケルくらい提供するが……、なにか困ったことがあったら知らせてくれ」
「ああ、おっつけ仕上がる。できれば、それを蒼衣さんに渡したいからな」
「悪いが頼む」
返事代わりにキータイプ音が響き始めた。後で、なにかアイスでも差し入れるとしよう。




