【1993年8月上旬】
【1993年8月上旬】
前月、総選挙の投開票日を翌週に控えた時期に、奥尻島での津波を伴う地震が発生した。日付まで完全に記憶していたわけではないが……、今後の大規模な震災もそうなのだが、自然災害を含め、人命に直接関わる事象への介入はできないとの制約があるので、どうにも手が出せない。亡くなった人の冥福を祈るしかないのが情けない。
エルリアは津波という概念に触れ、噴火や地震だけではないのかと愕然としていた。
そして、総選挙でも大変動が生じていた。与党の事理民本党は敗北し、ヤマト新党などの新たな保守三党が勢力を伸ばした。
このタイミングで、選挙後に退陣した宮川総理の後を引き継いで、事民党総裁に就任していた川野氏が、どさくさの中で戦時中の従軍慰安婦の強制性を認める談話を出す。
戦争加害の反省の文脈の中の話で、その方向性自体を否定するつもりはない。ただ、強制性を裏付ける証言などがない中で断定してしまっており、ここからのいわゆるムービングゴール論も含めて、将来に禍根を残すものとなる。
そして、非事民・非共産連立政権が成立する運びとなった。首班は、ヤマト新党を率いる、前熊本県知事の細海氏が務めることになる。
そして今月に入って、お台場への玄関口となるレインボーブリッジが開通した。この頃。空き地だらけと揶揄されたお台場は、やがてなかなかに発展するのだが……、長期的視点での持続性はどうなのだろう。俺の前世の最後の頃には、どこか閉塞感があったようにも思える。
現時点で空き地が多いのは、バブル崩壊の影響である。そして、起爆剤として期待された世界都市博覧会は、前世では都知事に就任する赤島氏によって中止にされるわけだが、今回はどうなるのだろう。
バブル崩壊の影響は、多摩地域でも顕著になっている。武蔵信金からは、「プレイタウン・フラッシュ」のあるカストルム小金井と同様のスキームでの救済話が幾つか持ちかけられていた。不動産価格の先安感は色濃く、うちの保有資産の評価額ももう少し下がるかもしれない。そう考えれば、まずそうな案件は早めに処理したいのが人情だろう。
カストルム小金井については、フラッシュの三浦社長との関わりから積極的だったのだが、特に関連のないところであれば、単純にメリットがあるかどうかの判断となる。結果として、まずは武蔵小金井南口の再開発の対象になりそうな地域での雑居ビルの一部区画と、西武線の武蔵砂川駅近くの家屋を幾つか獲得する流れとなった。どちらも、アメリカ株で獲得している資金からすれば、小口の商いという形となる。
とりあえずは土地建物だけのつもりだったのだが、傾いた会社を買わないかとの話も出てきている。当面は対応予定なしと応じたが、候補リストを渡されてしまった。さすがに、現行で破綻企業の再生は手に余りそうだが……。
並行して、ヤスさんが主導するファンド……、イニシャル基金も始動している。こちらは、表向きはうちとの関連はない状態で、武蔵信金絡みも含めたもう少し微妙な案件を手掛けていた。
いくら創始会と切れたと言っても、彼らの出自は任侠である。厄介な筋とも話を通して、着々と仕込んでいるようだった。創始会の地元の植田では、そこまで開発話は進んでいなかったので、多摩を基盤に都心や近隣地域に手を広げる方針のようだ。まあ、必要に応じて連携していくのはいいことなのだろう。
武蔵小金井南口の銭湯を借り受けたこもれび食堂の拠点は、順調に滑り出している。
龍栖神社側のこもれび食堂とにゃんこハウスの運営は順調で、桜庭さんと美羽ちゃん、紗良ちゃんを中心に盤石となっている。対して、銭湯側ではそもそも話を持ち出した有馬千尋嬢と、鷹岡夫人が回ってくれていた。
「それで、銭湯としてはどうしているんだっけ?」
エルリアと一緒に訪れた俺は、千尋嬢に質問してみた。
「一般向けは夜だけにさせてもらって、朝から夕方までは親子連れに開放してるんだ。早めに夕食準備して、そこから銭湯の営業に移行する流れで」
「それは……、人手は足りるのかい?」
「鷹岡さんが連日入ってくれてるんだけど、ちょっときついんだよねー。親子連れのお母さんに手伝ってもらったりしながらなんとか。積極的な人が何人かいてね」
鷹岡さんとは、龍栖神社のこもれび食堂を切り盛りしてくれていた女性である。
「それは心強いな。定期的に手伝ってくれる人には、報酬を出して問題ないから。ただ、ご家庭ごとに事情があるだろうから、押し付けにならないようにはしてほしいけど」
「ん。状況に応じて相談させてもらうね」
と、着いて早々に子どもをあやしていたエルリアがやってきた。
「千尋さんが常駐しているんですの? 学業との兼ね合いは問題ないのでしょうか」
「ここで勉強しながら、対応させてもらってる感じ。だから、だいじょうぶよ」
「そうですか……。ご無理はなさらないように。わたくしも、できるだけ入るようにしますので」
「助かるけど、そちらも無理しないでね。エルさまには、龍栖神社の巫女としての役割に加えて、境内のこもれび食堂の運営もあるんだから」
「それは、トミさんの……、いえ、もちろんしっかりやっていきます」
ばあちゃんが始めた子どもへの食事提供は、臨時の単発的な取り組みから、二つの拠点での常設的なものに移り変わっている。その流れを主導したのは、エルリアに間違いない。
本人にもその自覚はあるようで、このところは手を動かすよりも目配りの方に移行してきているようだ。
「ところで、茜音さんの方はどうかなあ」
「小金井鹿島神社の巫女舞の話かな?」
「そうそう。もうねえ、龍栖神社の復興は、近隣の神社に刺激を与えまくりでね。舞だけに頼るのはどうかと思うんだけど、起爆剤になるのは間違いないから」
千尋嬢の親戚筋が、南口の坂下の小金井鹿島神社の運営に携わっていて、巫女舞の復興を望んでいるのだそうだ。
「検討は進めてくれているみたいだ。ただ……、巫女舞を継続して実施できるのかな」
「確かに、そこが肝心よね。いとこがやる気だから、しばらくはできると思うけど、永続的かと言われると……」
「龍栖神社は、エルリアと紗良ちゃんがいて、後続が生まれているわけだが」
「見習わなきゃね。とりあえず、どうにもならないときには、わたしが。踊りのセンスはまったくないんだけど」
「あー、なるほど」
「納得しないでよっ。決死の覚悟なのに」
「いや、龍栖神社でも、紗良ちゃんの相棒的存在が踊りを苦手にしていてね」
エルリアが頷くと、金色の髪が波打った。
「美羽ちゃんのことですね。巫女舞は神様との対峙ですから、舞の技量は本来的には関係ないのですけれど」
「まあ、複雑なんだろう」
そのやり取りを見ていた千尋嬢は、やや苦い表情を浮かべた。
「なんか、段階がぜんぜん違うなあ。こちらは、当面は単独での舞になるかもしれないっていうのに」
「龍栖神社も昨日や今日に始めたわけじゃないし、最初はそれでいいんじゃないか。……ただ、ちょっと振り付けの方向性で迷ってはいるみたいなんだ。だよな? エルリア」
「ええ。鹿島神宮は、昭和になってから整備した巫女舞を中心にしているのですけれど、茜音さんはそれを引き写しても仕方がないとお考えのようで」
「ふーん。できれば、派手な方がいいけどなあ」
「実際に舞う人物の意向も踏まえた方がいいんじゃないか?」
「本人も、たぶん動きがあった方がいいと思うけど。なにせ、剣術少女だから」
「そうなのですか。伝えておきますので、聞き取りがあったら調整をお願いしますね」
そんな話をしている間にも、何組かの親子連れが訪れていた。男の子が遊んでいるミニ四駆は、結菜が差し入れたものだそうだ。広間的な空間には、のどかな時間が流れていた。




