【1993年4月中旬】
【1993年4月中旬】
この4月から、忍たま乱太郎の放送が開始されている。俺が命を落とした2025年まで、30年以上放送されていくはずのこの番組は、オープニングが当初の光GENJIから、ジャニーズの各グループに歌い継がれていく「勇気100%」で、エンディングはスーパーモンキーズ……、安室奈美恵嬢がボーカルを務めるグループの楽曲が使われていた。
この年には、ウィンドウズ3.1が発売されて、グラフィックとアイコンを用いた、直感的なパソコン操作が本格的に普及し始める。また、Jリーグが始まる年でもあった。
日本のプロサッカーは、ここで爆発的な流行を見せる。マスメディアがこぞって持ち上げ、その勢いの中ではプロ野球は古く落ちぶれたものと断じられ、プロサッカーこそがおしゃれで新しいものと認定されていた。野球は、後の言葉となる「オワコン」扱いである。
ここから展開される、プロサッカー界による地域に根づいていこうとの方向性が、間違いだったと言うつもりはない。ただ、サッカーは芝の養生の関係や選手の一試合あたりの疲労度のため、週一試合ペースが基本となる。となれば、ある程度の人口がない地域では、入場料モデルでの興行として成立しづらい構造なのだが、この時点では気づかれていなかったのだろう。
国際的な事件としては、カンボジアに派遣されていた文民警察官が襲撃を受け、一名が殉職となった。前世でも記憶があるので、変わらずに起こってしまったという状態のようだ。
PKOも含む国際協力は、この後も紆余曲折を経ながら行われていくはずだった。
そんなある日、ゲーセンでの早番勤務から戻ってばあちゃんとハチと昼ご飯を食べていると、来訪者があった。
玄関で息を切らしているのは、こもれび食堂を手伝ってくれている桜庭さんだった。
「どうしました、そんなに慌てて」
「ちょっと、その、厄介な人たちが来ていて……、応援をお願いできませんか」
「すぐ行きます」
ばあちゃんに後を頼んで急行すると、入口まで紗良ちゃんが駆けてきた。
「エル様が怪しい人たちと言い争いになってしまっていて……」
「怪しい人たち?」
ぜーはーと息をしている桜庭さんに視線を向けてみると、たどたどしい答えが返ってきた。
「当初は……、なごやか、だったんです……」
エルリアは、机を挟んで二人の中年の御婦人となにごとか言い合っている。剣呑な表情は、彼女の容姿を際立たせていた。傍らには、美羽ちゃんが寄り添うように立っている。
そして、自習王子と第二自習王子が揃って、迷惑そうな視線を向けてきていた。
「平和を求めないなんてありえないでしょう。子どものうちから、正しい歴史認識を育まないと」
「平和は大事だとはわたくしも同意しますが、戦力を放棄することが平和への道だとは思いません」
「あなたたちみたいな若い人は知らないだろうけど、日本はかつて軍国主義に支配されて、戦争への道を歩んだのよ。それで、罪のない市民がたくさん被害にあったの」
「トミさんの話によれば、旭日やら押売やらの新聞に扇動されたにしても、市民が戦争を強硬に求めた一面があったそうです。アメリカ軍による原爆投下や市街地空爆などの一般市民を標的にした攻撃は問題ですし、悲劇的だと思いますが、旧日本軍だけを悪者にするのもまた間違いだと思います」
歴史の一面の事実だとは思うが、反日に近い反戦思想に凝り固まった相手に告げても……。案の定、相手は逆上して憤怒の表情である。
「悪いのは軍隊です。市民は、巻き込まれたのです。そんな誤った知識で……」
「わたくしの発言に、どこか誤りがありましたか」
錯乱気味につかみかかろうとしてきた手が、ぴしゃりと払われた。俺は、慌てて割って入った。
「失礼。暴力は控えていただきたい」
「なんですか、あなたは」
「沢渡悠真と申します。この施設の所有者、ということになります」
「ああ……、あなたが。いったいなんなんです、この外人は。こんな偏った思想の持ち主を子どもに触れさせるなんて、なんのつもりですかっ」
「いや、子どもたちとは、特に政治的立場に関する話はしていません。むしろ避けている認識です。……今回は、あなた方が政治の話を持ち出したのでは?」
「子どもに、正しい平和教育を施すのは当然です」
「いや、一方的な思想を押し付けるのは、よくないことだと思いますが……」
「一方的ではありません、平和、反戦はこの世界の真理です。軍国主義の復活は防がなくてはいけません。そして、市民主導で日本を……」
「ですから……」
エルリアの舌鋒が発揮されそうになるのを、俺は手を挙げて制した。さすがに非生産的だと感じたのか、素直に口を閉ざしてくれる。感謝。
「さて、平和をどう追い求めるかの見解は分かれているようですが、そもそも本日はどのようなご用向きでしょう。論破しに来られたのですか」
そこで口を開いたのは、寄り添うように立っていた……ように見えたが、実際にはエルリアを押し留めようとしていたらしい美羽ちゃんだった。
「最初は、子どもへの援助活動をするのなら、一緒にやらないか、との話だったんです。助成が得られやすいからと。ですけど、条件として自衛隊の海外派兵反対や、男女同権を求める活動への参加を求められて……」
まだ昭和の残り香が漂うこの時期、市民の権利を求める活動は反体制の色彩を帯びており、福祉充実や賃上げを求める声は、自衛隊反対、護憲、女性の社会参加、差別反対、さらには反米や反資本主義といった主張とパッケージ化された状態となる。そして、特にある程度以上の世代にとっては、共産主義、社会主義を理想世界として目指す方向性は、まだ維持されている。
本来は、それぞれの分野ごとに賛成、反対が判断されるのが自然である。社会的資源の配分を見直したいからといって、自衛隊反対や反米まで直結する理由はないはずだ。さらには、女性の社会参加を求める人が、必ずしも社会主義を支持する必要もない。
そういう組み合わせの自由があってよいはずなのだが、現実には一体化した主張の束ができあがってしまう。そして、その中に入れば、逸脱することが許されないらしい。そこのところは、俺が前世での人生を終えた頃まで、本質的には変わらなかったと言えるだろう。
令和の頃には、さらにLGBTや欧米的な多様性、ポリコレの強要、違法滞在状態の外国人への擁護に、反原発、自然エネルギー一点張り主義辺りも盛り込み、一般人からはやや敷居が高い状態になっていたとも思える。
経緯についての美羽ちゃんの説明自体には、党派的な偏りはなかったはずだが、来訪者は発言者をきっと睨みつけた。
「あなたも、偏った思想の持ち主なのね。これだから、片親の子はダメなんだわ」
美羽ちゃんの顔からすっと表情が消え、能面のようになる。流れから察するに、ここに至る対話の流れで境遇を告げていたのだろう。
もう一人が「ちょっと」と袖を引いたが、ここは反応せざるを得ない。
「無礼でしょう。差別的な言説は取り消していただきたい」
俺の言葉に、ご婦人がさらに逆上した。
「理非の分かってない子どもを非難してなにが悪いの」
「論説を非難すること自体は、議論においては問題ないでしょう。けれど、人格否定に結びつけるのは、不適切です」
「なんですって。あなた……、知ってるわよ。殺人犯の息子でしょう」
決定的な言葉に、空気がぴしっと音を立てたように思えた。俺は、自分がわりと有名人だったことに意外さを覚えながら、言葉を返した。
「ええ。そして、その犯罪者から身を挺して守ってくれた母の子でもあります。……いずれにしても、あなた方のような人たちと連携はできません。お引き取りいただけますか」
「こちらから願い下げです。行きましょう」
ぷりぷりしたご婦人と、やや懸念を抱いていたらしいもう一人が去っていく。なんにしても、優先すべきは美羽ちゃんのケアだった。
「偏っていようがいまいが、美羽ちゃんのお母さんは立派に親をやっているし、美羽ちゃんも……」
「いえ、いいんです。一人親家庭だと、偏見から罵詈雑言を浴びせてくる人はいるんです。これまでは同年代だったんですけど、きっとあの人たちは精神年齢が低いのでしょう」
強い言葉を返した美羽ちゃんだったが、指先はわずかに震えていた。紗良ちゃんが、そっとその手を握る。
「だいじょうぶ。美羽ちゃんのお母さんがどれだけがんばっている人か、みんなが知ってるから」
「……うん」
短い返事だったが、その声には少しだけ湿り気があった。
「あの方々は、耳触りのいいことを口にしていましたが、実際は差別意識に囚われているのでしょう。そして、まったく話が通じませんでした。自分の頭で思考しているとは思えません」
エルリアの声は冷ややかである。
「幼い頃からあの方向性に触れて、一連の思想を正しいものだと認識すれば、体系となっているだけに世界観の整理がしやすい、というのはありそうだね。その体系を是とする人の中にいれば、異を唱える人はいないわけだし」
「それでは……、宗教ではありませんか」
「まあ、そういう感じかもしれない。世界がどうであるかを他者の見解に委ねれば、そこを考える必要がなくなって楽なんだろう」
「楽……ですか。他になにかを考えているのなら、成り立つのかもしれませんが」
「思索が得意じゃない人もいるのかもな」
その頃には、こもれび食堂の広間にはいつもの空気が戻り、二人の少年は興味を失ったように自習に戻っていた。
「……で、あの連中は何を求めてきていたんだ?」
「どうやら、よそでなんらかの支援活動をしているようです。不躾に様子を尋ね、やがて連携を求めてきたのです。……けれど、実際には」
「傘下に入れってことか?」
「おそらくは」
「ほほう」
ここ小金井を含めた多摩地域は、比較的左翼系の思想を持つ人が多いと言われている。発展したのが戦後になってからで、安保闘争や学園紛争を経験した世代が住居を得やすかった、だとか、明治時代の自由民権運動からの伝統であるとか、江戸期に地域の大半が幕府直轄の天領で、自衛を余儀なくされて独立心が育まれたんだ、など色々と言われているが、必ずしも定かではないようだ。
コミュニズム党方面は、さすがに過去の武力闘争や内ゲバの印象が強く、なかなか一般人が支持できる状況ではない。なので、この時点ではソーシャル党がその辺りの層の受け皿となっている。
前世の通りに進めば、やがてヤマト新党の細海党首を首班とする連立政権が成立する。その政権が崩壊した後、事理民本党、ソーシャル党、新党はやがけの三党で政権を取る「事ソは連立」が成立するだろう。
政権に入るために、ソーシャル党は政策方針を急転換させて事実上瓦解し、一部は民本党に、残りは漸進的に社会主義を目指す漸社党などにばらけていく。
一時期は政権まで取る民本党は、紆余曲折あって立憲民本党と国民民本党に分かれていき、ソーシャル党からの流れは立憲民本党へとたどり着くことになるのだった。
前世で昭和から令和に突入するまでを見届けた俺からすれば、彼らの主張に荒唐無稽さも感じるのだが、今の時代はまだ冷戦が終わりたてのほやほやである。安保闘争、学園紛争、ベトナム戦争に絡む反戦運動、中核派や革マル派による武力闘争、テロ活動は、大人世代の記憶に残っている。また、それらが冷戦期の国際政治の文脈と無縁だったとするのは無理がある話となる。
この先、ソ連の影響力はやや薄れるが、やがて中国が伸長して影響力を増していく。また、韓国と北朝鮮との関係性も、そちら方面では無視できない要素となる。
いずれにしても、既存の市民団体とは少し距離を置いた方がよいように思える。
「エルリアとしては、どうかな。今日来た二人は論外だが、理性的に話せる相手がいるのだとしたら、福祉や社会改善の分野でならば、協力することも考えられなくはないが」
「関わるべきではないと考えます。悠真が来る前には、ここの運営資金についてだいぶ探りを入れられました。おそらく、活動資金を確保できないかとの思惑があったのでしょう」
「そう思える発言があったってことか。正直、単発の有用な活動になら支援してもいいんだが、左翼的な一連の活動に組み入れられるのは、色々な意味で避けたい。……美羽ちゃん、紗良ちゃんからは、どう映った」
「そうですね……。最初から値踏みするような感じでしたし、あの空気感は、ちょっと覚えがあって。……紗良ちゃん、丸山先生にちょっと似てない?」
「確かに……。あ、丸山先生というのはですね、北高の先生でだいぶ活動家っぽい感じなんです」
「まあ、日教組も含めて、そっち系はいるよなあ。話が押し付けがましいんだよなあ」
桜庭さんも含めて、全員に心当たりがあったようだ。そして、誰もそちら系に傾倒はしていないようでもあった。
「なら、こちらからは関わらないようにしよう。なにか言ってきたら、俺に繋いでくれ」
「邪魔などしてこないでしょうか」
「どうだろうな。……氏子人脈で、少し探ってみるかな。逆に、あちらは調べもせずに、乗り込んできたわけか」
「今のところ、龍栖神社に協力してくれているのは、新来の勤め人家庭が中心のようですから、接点がなかったのかもしれないですね。あの方たちは、口ぶり的に古くからの住人のようでした」
「なるほどな。……あるいは、彼らの領分を荒らす存在になるかもと思ったとかか」
「あの人たちとこもれび食堂は、競合関係になるんですか?」
紗良ちゃんからの質問に、俺は首を振る。
「いや、うちの運営に公費からの補助は入っていないから、ぶつかるところはないはずだな。ただ、あちらがどう取るかはわからんが」
「であるなら、自前でやっていくべきですね」
「その方向で、問題ないと思う」
市民団体、政治方面と関わりを持つ前に、あっさりと関係が断絶した状態だが、左翼……、後のリベラル系と連携する未来図は描いていなかったので、よしとしよう。
それとは別に、個々の篤志家や社会活動については少し調査して、場合によっては連携していくべきか。




