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【1992年10月】


【1992年10月】


 プレイタウン・フラッシュの入っている雑居ビルの件は、西園寺法律事務所の仕切りで、無事に落着した。


 フラッシュのオーナー、三浦社長の持ち分はそのままで、その他のフロアと土地、建物全体は沢渡商会の傘下企業、黒竜企画が獲得する形となっている。


 ビルのオーナー、高沢社長は会社を畳むそうで、二千万円が慰労金名目で渡されることになった。再起するとしても、しばらく先の話となるのだろう。


 武蔵信金では、現場レベルと本部で綱引きが行われたようだが、焦げ付きかけた融資先を整理できるとなれば、いい話なのだろう。都銀は三億五千万のうちの二億について債権放棄に同意し、武蔵信金も六億五千万円から一億減らすと定まった。そして、残る七億円の債務は武蔵信金が取りまとめ、黒竜企画が借入として引き継ぐ形とする。


 要するに、貸し手側の金融機関は損切りをし、こちらは残った借入を引き受ける代わりに、駅前の雑居ビルを押さえるという整理である。


 整理される法人の保有有価証券の評価額は一億円ほどで、すべてが現金化された。その現金とカストルム小金井も含め、資産はうちで引き取った。ビルが五億円だとすれば、六億円程度となる。


 うちからすれば、現金化した一億円を勘定から外すと、現時点で五億円程度と見られるビルを六億円で獲得した形と整理できる。評価額はもう少し下がるかもしれないが、武蔵小金井駅前にビルとなれば、長期的には価格上昇が見込める。建物自体もすぐに建て替えが必要な状態でなく、賃料も獲得できそうだ。もちろん、関連企業の本拠地とする選択肢もある。


 さらには、現状では不動産保有による信用力補強の意味合いも大きかった。


 都銀の債権放棄については、武蔵信金と西園寺法律事務所の連合軍との間でだいぶ交渉が重ねられたらしい。最終的には、当初はあっさりと手を引こうとしていたのを咎めていき、白旗が掲げられた状態だったようだ。


 沢渡商会の財政状況としては、1990年の大納会で国内株を全株売却しており、期末に納税した時点でキャッシュは十三億ほどだった。神社の土地建物の代金支払いなどで二億ほど使ったが、夏目健吾によって仕込まれたアメリカ株は既に倍増以上となっており、今回譲り受けた債務総額の七億程度は余裕で捻出できる状態にある。


 既に保有している龍栖神社の土地は、値上がりと値下がりを経て三億ほどで、今回取得した土地が五億程度となるので、担保力は堅いとの判定でもあるようだ。


 当初、七億は一括返済しようかと提案したのだが、借り続けてほしいと懇願された状態だった。まあ、利子分はアメリカ株投資で充分に稼げるだろう。


 さすがに今回は数千万単位の報酬を出したいと西園寺法律事務所と交渉したのだが、二百万円まで値切られた。話が逆な気がするのだが、まあ、逆らっても仕方ない。


 なんにしても、プレイタウン・フラッシュの入る雑居ビルの三階、四階は、ひとまず沢渡商会の拠点となったのだった。


 手続きが一段落したあと、三浦社長は二階の俺たちが間借りしている部屋にやってきて、しみじみと息を吐きだした。


「なんだか、不思議なことになったねえ」


「こちらとしては、職場と居場所を守れたので、助かりました」


「守った……、ね」


 社長は、増設された書棚に視線を送っていた。その隣の冷蔵庫は、相変わらず低い唸り声を立てている。


「最初は、空き部屋を使わせてるだけのつもりだったのよねえ。どうせすぐ出ていくかもしれないし、若い子たちの暇つぶしだと思ってた」


「まあ、暇つぶしなのは否定できませんけど」


「でも、それだけじゃなかったみたいね」


 そう言われると、返答に困る。ここでは、確かに多くの雑談が重ねられた。ほとんどがとりとめもない話だったのだが、中には蒼衣さんに見つかったような、学際的な話題も含まれていた。


 太陽光発電、蓄電池、電動モビリティ、災害支援車、陸上養殖、専門書の取次。どれも最初は、冗談半分の話だった。


 けれど、そのいくつかは、少しずつ形になり始めている。


「ゲーセンって、世間からは煙たがれる場所だって話はしたわよねえ?」


 三浦社長が苦笑する。


「ええ、いつだったか」


「不良のたまり場だとか、煙草臭いとか、お金を無駄にする場所だとか」


「まあ、言われがちですね」


「でも、私は嫌いじゃないのよ。行き場のない子が、少しだけ時間を潰せる場所でもあるから」


 その言葉は、妙に胸に残った。俺にとっても、特にこの小金井に越してきた頃には、プレイタウン・フラッシュは心を落ち着かせられる貴重な空間だった。


「このビルを残してくれて、ありがとう」


「いえ。こちらこそ、最初に場所を貸していただいて、ありがとうございました」


 三浦社長は、少し照れたように笑った。


「じゃあ、これからは大家さんでもあるわけね。管理費は払っていたんだけど、負けてくれる?」


「そこは適正価格で」


「あら、渋い」


「でしたら、二階のこの部屋は引き続き貸してもらって、管理費と相殺の上でお支払い、という形でどうでしょう?」


「この部屋の規模で借り手を探すのは難しいから、相殺にできるのなら助かるわ。でも、そこは改めてきちんと調整しましょう」


「はい、お手柔らかにお願いします」


 そう笑い合える程度には、カストルム小金井は守られたのだった。


 この仕切りをしてくれた西園寺事務所からは、瑠美ちゃんママについての話ももたらされた。派遣先だった建設会社から、スカウトが届いているという。


 事務所の所長である西園寺きみよ女史が先方と面談した際、本人は継続勤務を希望していたと伝えたところ、だいぶ憤慨していたそうだ。やはり派遣会社のテンポラリースタッフが、弁護士が絡んでくるような派遣社員を排除したかった、という話のようだ。


 いい話ではあるのだけれど、派遣先もやや苦しい状態のようで、ひとまず契約社員としてのオファーとして、ゆくゆくは正社員で、とのことだった。バブル崩壊の折り、固定費がきつくて社員を気軽に増やせる状態ではないのだろう。無理もない話である。


 瑠美ちゃんママの決断は、こもれび食堂での勤務継続だった。エルリアと共に理由を聞くと、彼女は少し困ったように笑った。


「建設会社さんには、本当にありがたいお話をいただきました。あちらが悪いわけではありません。むしろ、派遣会社を介さずにご提案いただいたことも含めて、感謝しています」


「それなら、なぜ?」


 問いを重ねると、彼女はこもれび食堂の方に視線を向けた。


 瑠美ちゃんが、紗良ちゃんに宿題を見てもらっている。少し離れたところでは、美羽ちゃんが小さな男の子に絵本を読んでいた。広間の方からは、子どもたちの笑い声も聞こえてくる。


「ここで働いていると、この子が近くにいるんです」


 それは、単純な理由だった。


「前の仕事が嫌だったわけではありません。働かないと生活できませんし、仕事をいただけるのはありがたいです。でも、いつも時間に追われていて、迎えに遅れないか、夕飯をどうするか、明日の持ち物は何だったか、そんなことばかり考えていました」


 彼女はそこで一度、言葉を切った。


「ここなら、働きながら、同じ場所で子どもたちの様子も見られます。瑠美だけではなく、他の子も。たぶん私は、そういう仕事をしたかったのだと思います」


 その言葉に、エルリアが静かに頷いた。


「でしたら、ぜひお願いします。ここには、あなたのような方が必要です」


「ただ……、私にできることがあるでしょうか」


「あります」


 エルリアの返答は即答だった。そして、言葉を続ける。


「働く母親の方の困りごとは、わたくしには分からないことが多いのです。あなたがいてくだされば、見落としに気づけます」


 瑠美ちゃんママは、少しだけ目を伏せた。


「でしたら、引き続きこちらで働かせてください。いただいたご恩を返すというより、私もここを作る側に回ってみたいです」


 エルリアと手を握り合う瑠美ちゃんママの表情は、先ほどよりもずっと穏やかだった。そうやって心の中に入り込めるあたり、この元公爵令嬢にはやはりカリスマ性があるのだろう。


 瑠美ちゃんママの決断は、とても助かるのだが、安定雇用をしていく責任が生じる形となる。まあ、安泰だろう神社系を担当してもらうのもありかもしれない。


 俺は、確認のために声をかけた。


「勤務先は、こもれび食堂をご希望ですか? 運営会社であるうちの事務所に事務仕事に来てもらってもよかったのですけれど」


 こちらに視線を向けたエルリアは、勝ち誇ったような気配を漂わせている。


「争奪戦ですね。こちらで確保できてよかったです。……仕事探しは続けておられたのですよね? 求人の動きは、どんな感じでしたか」


「よその派遣会社で探してもらってはいたのですが、まだら模様ってところでしょうか。ただ、職探しは打ち切らせてもらいます。よろしいですよね?」


「もちろんです」


 エルリアと俺の言葉が重なって、その場に笑声がこぼれることになった。



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