【1992年9月下旬】
【1992年9月下旬】
この九月に、国際平和協力法に基づいて、自衛隊がカンボジアでのPKO活動へと派遣された。同時に、文民警察官も派遣されているが……、前世同様に犠牲者が出てしまうのだろうか。
PKOを全否定して、自衛隊違憲論を展開していた日本ソーシャル党は、しばらく先の時代に、村川総理を首班とする連立政権に加わる。事理民本党、日本ソーシャル党、新党はやがけによる、いわゆる「事ソは」政権である。その際に、あっさりと「自衛隊は合憲だ」と転換するのが、前世での流れだった。
前世とこの世界の差分がエルリアと俺だけだとしたら、どれだけバタフライエフェクトが生じても、歴史は変わらなさそうだが、どうだろうか。
この頃の、左派系による自衛隊の海外進出への忌避感は、前世で令和の時代までを見た俺からすれば、過剰反応だったように思える。だが、既に予告が出始めている、来年公開予定の映画「パトレイバー」第二弾では、PKO活動での被害に絡む形での自衛隊の決起が描かれる筈だ。この時点では、少なくともその企画にGOサインが出るくらいには、荒唐無稽ではなかったと言えなくもない。
一方で、その対策が非武装中立論だというのは、令和の世界情勢を経験した俺からすれば、まさに荒唐無稽である。前世では、俺が死んだ後、世界はどうなったのだろうか。ロシアによるウクライナ侵攻が、早めに収まってくれていたらよいのだけれど。あとは、イスラエルのガザ侵攻か。
国の外では平和維持活動が始まり、国内ではその是非が激しく争われている。そんな大きな話を横目に、龍栖神社では秋祭りの準備が進んでいた。
そして、茜音さんの國學道大學からの卒業が近づき、卒論のテーマが定まったそうだ。龍栖神社での巫女舞の再興は、神道学科でも注目を浴びる事柄だったらしい。
その結果、龍栖神社の秋祭りには指導教授やらゼミの先輩やらが集合し、様々な助言が得られる流れとなった。
祭りの前日には、茜音さんの指導教授だという初老の男性が、境内をゆっくりと見て回っていた。
白髪交じりで背筋の伸びた人物で、柔らかい物腰ながら、視線の動きには油断ならないものがあった。
「なるほど。では、こちらの建立は古いのですね」
「ええ。社殿はだいぶ手を入れていますが、由緒の断片は残っているようです。江戸期以前の記録は逸失していますが」
茜音さんがやや緊張した声で答える。普段は落ち着いた人物だが、指導教授の前では少し学生らしさが出るらしい。
「巫女舞の再興との捉え方が、なかなか興味深い。連続性は担保されていないにしても、観光化とは違う方向で地域の子どもたちが関わっているのがよいですね」
そう言われて、エルリアがわずかに表情を和らげた。
「ただ、神事と余興の境目は意識した方がよいでしょう」
「境目ですか」
「ええ。人を集めること自体は悪いことではありません。ですが、神前で行うもの、境内で楽しむもの、外へ広げるもの。それぞれに場を分けると、長く続きます」
その言葉は、なかなかに重い。先日のカラオケ大会の見直しは、方向性としては間違っていなかったようだ。アニソン大会は、ひとまずは場を提供する程度の関わりに留めるべきで、将来的には別の会場を確保する方向を模索するべきなのかもしれない。
教授が茜音さんと社務所の方へ向かったタイミングで、逆側から金田が手にしたメモを見ながらやってきた。
「こっち側は、火気使用なしでいいんだよな?」
「基本はそうだな。飲食はこもれび食堂側で準備して運び込む予定だし、屋台も今回は絞っている」
「なら、そちらは楽だ。人流としては、あの辺りで詰まりそうだな」
金田が指差したのは、鳥居から社務所へ向かう途中の少し狭くなった場所だった。
「正門からの参拝客と、猫ハウスを見に行く子どもがぶつかる」
「なるほど」
「あと、転びやすいお年寄りもいるだろ。通路は一方通行にした方がいいかもしれん」
「そこまで考えるのか」
「事故が起きてから対応するよりはな」
やはり、消防に従事している人間の視点は得難いものだった。
「なにか起きた時の救護は社務所でやっていたんだが、救護所を設置したほうがいいかな」
「まあ、その方がより迅速に対応できる。視界に入れば、気をつけようとする効果もあるだろうし」
金田はさらに、消火器の配置を確認しながら、社務所の裏手に回った。
「この辺り、屋台の準備で出る段ボールやシートなんかを置かない方がいいぞ」
「燃えるから?」
「ああ。あと、子どもが隠れる」
「そっちもか」
「祭りの日は、妙なところに入り込むんだよ。遮蔽物はない方がいい」
そんな話をしていたところで、社務所から茜音さんとその指導教授が金田と行き合った。
「お話が聞こえていました。消防の方ですかな」
「ええ、まだ若造ですが」
「人が集まる祭りには、あなたのような視点が必要です。神事での事故は防ぎたいですからな」
金田は、少し照れたように頭を掻いた。
「そう言ってもらえると、ありがたいです」
こうして見ると、金田もすっかり社会人をしている状態だった。神事の構成も、事故防止も、多くの人の手を借りて作り上げていくべきなのだろう。
指導教授を送り出した茜音さん、社務所でぐてーっと机に倒れ込んでいた。
「おつかれさまです」
「いやー、ホントに緊張したのよ。本来は映像だけ見せて済むはずだったんだけど」
「卒論は、巫女舞についてだけじゃなかったんですか?」
「そうなのよ。でも、神社組織の事実上の再興ってとこに、興味を持たれちゃったみたいで」
茜音さんは神社実習も済ませて神職資格を取得見込みで、来年からは修士課程に進みながら、本格的に神社運営に携わってくれる予定となっている。
卒論が通らなくて卒業取り消し、という事態は考えづらいが、仮にそうなっても神社を茜音さんに託す方針は揺るがない。
龍栖神社は宗教法人とはしておらず、沢渡商会傘下企業が土地建物を保有し、運営も行っている。いずれ神社として、宗教法人にして独立させるとしても、資金は潤沢に供給することになるだろうから、安泰だと言えそうだ。
「なかなか大変なんですね」
事前点検に付き合ってくれた金田も、この場に同席している。二人は西城高校の先輩後輩で、在学中もエルリアや久世を通じて多少の接点はあった。
「そうなのよお。でも、金田君に安全確認に協力してもらえて、とても助かったわ。氏子さんたちががんばってくれているんだけど、専門家なわけじゃないし」
氏子さんは、そこそこの集まりとなっている。神社の資金面の不安がないため、寄付が不要であることが大きいのだろう。振る舞いもわりと手厚いので、なんというか部活動のようなノリでやってくれている人が多いようだ。
ただ、善意に頼る運用では、手が回らないところが出てきそうだ。そう考えれば、スタッフを抱えていく方向性も検討するべきなのかもしれない。
「金田にばかり頼るわけにもいかないけど、そちら方面に明るい人は、どうやったら確保できるもんだろうか」
「俺がいる間は、体さえ空いていればいくらでも手伝うが、今後も拡充していくのなら、スタッフは確保するに越したことはないな。引退した消防士とかかなあ。心当たりがいるわけではないが」
金田はこの春から立川消防署に配属替えになり、生活にも余裕が出てきたらしい。
「勤務は、立川消防署なのか?」
「いや、砂川出張所だな。だから、ここまでなら玉川上水を泳いで往来できるぞ」
「金田の場合、本当にやりそうだな」
「まあ、太宰治じゃないから、生還しなくちゃならんがな」
「太宰が入水したのは、三鷹辺りだろうに」
教科書に載る文豪だけに、実在の人物というよりは、歴史上の偉人のように感じられる。当時の玉川上水は、今よりもだいぶ水量が多かったらしい。
「まあ、それはさておき、これまでの方向性も間違っていたわけじゃない。だから、全面的に変える必要はないと思うぞ」
「いや、その方向性をまとめたのは、かつての……、高校時代の金田じゃないか」
「いやいや、あの段階では参考書の中の知識だったからな。引き継いだ人たちが、だいぶ肉付けしてくれていたみたいだ」
「氏子さんの誰かが手掛けてくれたのかな。いずれにしても、引き続き助言を頼むよ」
「おう、任せとけ。……この祭りは、どこまでも賑やかにしていく方向なのか?」
「いや、あくまでも地域の交流として、こじんまりでいいと思っている。派手に集客しても、特にメリットも出ないだろうし」
「なら、楽しんでもらう感じでいいわけだな。市川や久世と悠真もいるから、同窓会みたいで楽しめるしな」
「そう思ってもらえると助かるよ。ただ、シフトの話もあるだろうから、負担にならない範囲でな」
ニヤリと笑って、金田は供されたまんじゅうに手を伸ばした。
こうしてまた縁が結べたのは、よいことなのだろう。キャラとしても清々しいが、消防面の知見を伝授してもらえるのは、とても助かる状態だった。
そうしている間に、へばっていた茜音さんが復活してきたようだ。今日は、夕方から明日の方針の確認会合がある。その資料に目を通してもらう必要があった。
幸い、祭りの開催日は好天に恵まれそうだ。せっかくなので、皆に楽しんでもらいたいものだ。その方向性は、関係者で共有できていた。




