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【1992年9月上旬】

【1992年9月上旬】


 たまり場にさせてもらっているビル、「カストルム小金井」を中心に進められていた再開発計画は、事実上頓挫している。そして、ビル全体のオーナーが、破綻寸前の状態に陥っているとの話が入ってきた。


「だもんで、フラッシュは年内を目処に閉じることになると思うのよ」


「そこまで話が進みましたか」


「直接の資本関係はないんだけど、建物がどうなるかわからないとなると、こちらも苦しくなりそうでね。不便をかけてしまってすまないんだけど」


「いえいえ、間借りさせてもらって、恩義しかありません」


 三浦社長は、俺たちが好き勝手に使わせてもらっている二階の部屋を見回した。


 設置された本棚には連絡帳や技術検討会の議事録が並び、古い冷蔵庫が唸り、壁際にはホワイトボードも置かれている。


「ここも、賑やかになったねえ」


「おかげさまで」


「最初は、空き部屋がもったいないから使っていいよ、くらいのつもりだったんだけどね」


 三浦社長は、少し困ったように笑った。


「ゲーセンって、あまり褒められる商売じゃないでしょう。親御さんには嫌な顔をされるし、煙草臭いし、夜はうるさいし」


「そんなことは」


「あるんだって。でも、ここに若い子たちが集まって、なにかを始めようとしているのを見ると、悪くない場所だったのかなって思えるの」


 そう思ってもらえるのは、なによりである。首を回した三浦社長は、溜め息を吐いて部屋を出ていった。


 既にバブル崩壊の流れは鮮明になっている。宮川総理は危機感を覚えたのか、金融機関への公的資金投入の観測気球を上げたものの、反発を受けて撤退した。最大の反対者は大蔵省銀行局……、要するに後の財務省である。


 この時点で公的資金を投入できていたら、どうなっただろう? 少なくとも、不動産価格の暴落的な下落はある程度緩やかになり、不良債権に埋もれるこの先の未来が、多少改善していたかもしれない。


 大蔵省が持ち出した自己責任論も、これまで護送船団方式を取っていて、舵取りを間違えたあなたたちが何を言うんですかね、という話なのだが、一方で都銀の給料が高かったのも間違いなく、実行に移せば世論の反発が出るのも避けられなかっただろう。


 とりあえず、カストルム小金井の状況を探ってみるかと忠司さんに調査を依頼したら、聞いていたよりも、もう少し深刻な状態だった。


 ビルのメインオーナーである高沢氏は、株式投資も手掛けていて、そこに不動産投資を重ねていたために、ほぼ手詰まり状態だというのである。


 ビルの改築費用も既に一部を借りていたものの、改築は事実上頓挫し、土地の評価額は値下がりして、担保が不足。それを挽回しようとオーナーが株で勝負をするも、傷口が大きく広がり、やや精神的に不安定になっているらしい。


「だいぶ詳しく把握できたんだね」


「担当が同じラインでして。直接の担当者は口が堅いのですが、上の方が……、まあ、藁にもすがる心境なのかもしれませんな」


「融資は、武蔵信金単独で?」


「都銀と組んでいたようですが、連中の逃げ足は早いですからな」


「株で勝負というのは?」


「ナンピンを繰り返しつつ、仕手株に手を出してもいるようです。信金側からは、動くなと求めているようですが」


「まあ、ここまでの成功体験があるなら、しょうがないか」


 バブル景気による不動産と株価の値上がりで、多くのプレイヤーが全能感めいた感覚を味わったことだろう。俺は、過去知識によるズルをしていると認識しているが、それでも過信をしないように気をつけなくては。


「で、どうなさいます? 放置でよいような気もいたしますが」


「うーん。武蔵信金はどうしたいのかな」


「融資残高は、あの口ぶりだと十億といったところでしょうか。評価額は、五億を切っているでしょうし、下げ止まっていません。現金まで把握しておりませんが、五億近くあるなら、焦っているはずもありません。通常なら、すぐに回収に向かうべきなのでしょうが、破綻させるのもうまくないと考えそうです」


「債務超過なら、元オーナーにははした金で退場してもらうしかないよな。返そうと頑張ったんだろうけど、この下落相場じゃ、なかなかつらかったろう。……不足額の一部をうちが出して巻き取る、というのでどうかな」


「泣きつかれてからでもいいように思いますが」


「ゲーセンが閉まっちゃうのはなあ」


「億単位の価値があるかどうかは、心持ち次第ではありますが。……それでも、土地建物が確保できれば、意味はあるかもしれませんな」


「ん? ビルの利用権くらいが落としどころじゃないの?」


「いやいや、元は融資側の担保能力見積もりのミスですからな。沢渡商会か、その傘下企業の資産にするのは最低条件です。融資の焦げ付きとなれば、信金内で責任の押し付け合いが始まるでしょうし、破綻となれば面子は丸潰れです」


「そういうもんか……。まあ、あの担当さんが詰め腹切らされるのは気の毒だな。ばりばりの抑制派っぽいのに、無理やり融資させられてたっぽいし」


「宮仕えは、つらいものですな。……整理しますと、貸し手側は、破綻処理を回避した上、焦げ付きの一部を悠真さんが埋めてくれるのなら、いい話のはずです。都銀は、そもそも逃げたがってるんですから、債権放棄させて縁切りでいいでしょう。ビルのオーナーは、会社の破綻を回避した上で、はした金と悠真さんが仰る金銭を得て退場なら、万々歳となります。悠真さんは、ゲーセンの入っている雑居ビルを、下落中の資産価値よりもさらにお手頃に入手。融資を引き継ぐので即金の必要なし。三方よし、というやつですな」


「なかなか阿漕だな」


「破綻回避の助け舟ですから、よろしいんじゃないですか。ただ……、あっしは表に出ない方がよいでしょうな」


「暴対法か……」


 反社会的勢力の取引への関与は、この段階では厳密に排除されているわけではないが、その傾向は出てきている。絡まないほうが無難だ、との判断をしているのだろう。


「創始会方面の扱いでやるならよいのですが、この案件は、坊っちゃんの綺麗な身体で対応された方が。西園寺法律事務所の女性陣に持ちかけてみてはいかがでしょうか。初動の段取りまではやっておきます」


「助かるよ。……その辺りを、俺が仕切れるようにならなきゃ駄目か」


「すべてを背負うのはお勧めしません。裏からは支援させていただきます」


「わかった、その方向で頼む。今後、同様の不良債権が増えてくるわけだよね」


 不良債権処理という言葉を、新聞紙面では目にしていたが、実務までは把握していなかった。


「手が打たれなければ、バタバタと倒れていくでしょうな」


 そこにこそ勝機があると言いたげで、もちろん好きにやってくれていいのだが、沢渡商会側でどこまで関与していくのかは悩ましいところだった。


「西園寺法律事務所には、どう持ち込む?」


「まず表向きには、沢渡商会の資産取得案件としてでしょうな。相手方の債務整理、信金との調整、テナントの利用権。全部まとめて見てもらう必要があります」


「利音さん案件にしていいのかな」


「所長まで出てくるでしょうな」


「それはそれで怖いな」


「怖い相手ほど、味方につけるべきです」


 苦笑する忠司さんの声には、さほど緊迫した響きはなかった。


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