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【1992年3月】


【1992年3月】


 この3月から放送が開始された「美少女戦士セーラームーン」が小さな女の子たちのハートを鷲掴みにしており、こもれび食堂には「月に代わってお仕置きよ」とポーズを決める姿がそこかしこに見られていた。舌足らずだったりすると、また可愛らしい。


 また、暴対法……、「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」が施行された。指定された暴力団が対象となるのだが、全国的な暴力団も即座の指定はされていない。ただ、創始会との付き合いがやりづらくなるのは間違いなかった。組織改編の話はどうなったのだろう?


 ここを起点とする暴力団の規制は、全般としては効果を挙げたのだろうが、暴力団の中央集権化的な流れも生むことになった。さらには、半グレやら外国人グループなど、新しいタイプの反社会集団の跋扈を招き、むしろ統制ができなくなった、なんて見方もあるようだ。そうは言っても、なんの対応もしないわけにもいかなかっただろうが。


 この頃、世間ではカラオケボックスが普及していて、小金井でも幾つか開店していた。前世ではほとんど利用したことがなかったのだが、この人生では、たまに連行されるようになっていた。


 この日は、歌を上達させたいという美羽ちゃんの希望を受けて、居合わせたメンバーで向かうことになった。


 入ったのは、駅から少し離れたところにできたばかりのカラオケボックスだった。


 受付で部屋番号を告げられ、細い廊下を進んでいくと、扉の向こうからあちこちの歌声が漏れてくる。


「こういう場所、初めてです」


 美羽ちゃんは、少し緊張した顔でそう言った。


「私も、そんなに慣れてはいないです」


 紗良ちゃんが小さく笑う。聞けば、家族で一度行ってみたらしい。


 部屋に入ると、ソファと低いテーブル、そして壁際に大きめの機械が置かれていた。曲目リストは分厚く、ページをめくるだけでも時間がかかる。飲み物はセルフサービスで、マイクは有線だった。


「なんだか、秘密基地みたいですね」


「なにかを企むには、ちょっと狭いけどな」


 そう返すと、美羽ちゃんがくすっと笑った。


 最初に歌うのを誰にするかで少し揉めたが、結局は発案者ということで美羽ちゃんにマイクが渡された。


「え、いきなりですか?」


「練習したいんでしょ?」


 紗良ちゃんがにこりと促す。曲目リストがめくられ、目当ての番号が慎重に入力された。画面に表示されたのは、「ムーンライト伝説」である。


 イントロが流れ始めると、女子高生組の目が明らかに輝いた。アニメの力というのは、やはり強い。


 歌い出しは少し不安定だった。音程もところどころ外れている。けれど、声には勢いがあり、なにより本人が楽しそうだった。


 エルリアは最初、不思議そうに画面を見つめていたが、やがて歌詞の内容を追うように真剣な顔になった。


「月の戦士、なのですね」


「だなあ」


「女の子たちが、戦う物語なのですか? それは、子どもたちが真似をしたくなるわけです」


 美羽ちゃんがサビに入ると、紗良ちゃんが声援を送る。それを見て、エルリアも控えめに応援の声を上げていた。思わず笑うと、じろりと睨まれた。


「何か?」


「いや、似合うなと思って」


「褒めていますの?」


「たぶん」


 曲が終わると、美羽ちゃんは頬を赤くしながらマイクを下ろした。


「やっぱり、ちょっと外しました」


「楽しそうだったよ」


「それなら、よかったです」


 その表情は、普段より少しだけ幼く見えた。働くか進学するか、家のことをどうするか。そういった話を背負うには、まだ少し早い年齢なのだと、改めて思う。


 だからこそ、こういう時間は必要なのだろう。


 続いて夏目が選曲したのは、槇原敬之の「どんなときも。」だった。時代的に、松田聖子やたのきんトリオに象徴される八十年代型のアイドル人気がやや下火になり、ビーイング系や小室哲哉周辺の曲が存在感を増していく頃である。


 女子高生組が飲み物を取りに室外に出たところで、久世とエルリアに話を切り出した。


「カラオケ大会は、正直なところ評判がいまいちのようなんだ。祭りとは切り離した方がよいかもしれない」


「奉納の意味もあったのですが、静謐な祈りとの相性は、確かに悪いかもしれません」


 祭りの企画は、正直なところ試行錯誤状態ではある。廊下に目をやったエルリアは、やや心苦しげである。


「ただのカラオケ大会だと、どこまでやる意味があるのかな。楽しければいいというのもありだが」


 久世の問題提起に、曲目リストを繰っていた夏目が答えを返す。


「神社扱いではない、手作りのイベントとするのもよいのかも」


「でも、だとすると方向性を絞った方がいいかもな。今は、民謡から軍歌から歌謡曲からアニメ主題歌までなんでもありだから。悠真はどう思う」


「うーん……。なら、アニソン大会かなあ」


「アニソン……、ってアニメソングってことか? それはまた、だいぶ振り切った感じだな」


 この時代のアニメソングは、通常の楽曲より一段低い扱いを受けがちだったと聞く。ただ、アニメとアニソンがここからの数十年で一気に地位を高めるのは、前世での史実となっている。


「エルさまはそれでいいのか?」


「ええ、美羽ちゃんもアニソンを好むようですし、いいかもしれません」


 エルリア自身はクラシックを好むようだが、演歌もアニソンも分け隔てなく触れているようだ。


「できれば、いずれはプロの歌い手を呼べたらいいな」


「アニソンカラオケ大会にミニコンサートを兼ねる形か。それだと、いくらなんでもカセットで、というわけにはいかないぞ」


「せめてレーザーディスクのカラオケを入手しないとだな。……まあ、焦らなくてもいいけれど。さあ、久世も歌えよ」


「いや、俺は……」


 そう言えば、頑なに歌っていないようでもある。と、気を利かせて人数分の飲み物を持って戻ってきた女子高生二人が声を上げた。


「曲が途切れてるじゃないですかぁ。さ、入れましょうよ。久世さんは、野球の歌ならどうです?」


「いや、勘弁してくれ」


「巨人の星と侍ジャイアンツと童夢くんならどれがいいですか?」


「なんで押売縛りなんだよっ。じゃあ、ドカベンで」


「古くないか?」


「いや、子どもの頃の再放送で、里中に憧れて野球を志したんだ」


 確か、肘を壊して断念したと聞いた気がするが、歌いながらアンダースローのピッチングフォームを披露してくれていたので、折り合いはついているのだろう。


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