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【1991年11月】

【1991年11月】


 こもれび食堂に顔を出すと、西園寺法律事務所の利音さんの姿があった。話し込んでいる相手は、先日エルリアとも話していた、瑠美ちゃんのお母さんだった。派遣社員として働いていると聞いている。


 俺は、通りかかった鷹岡さんに問いを投げてみた。


「なんだか深刻そうだけど、だいじょうぶかな?」


「どうかねえ。まあ、話をして、すっきりすることもあるからねえ。利音ちゃんは聞き上手みたいだし」


 そう言っている間に、話は終わったようで、利音さんがやってきた。 


「会社の設立から神社の購入、支援金制度の設計まで、たいへんお世話になっています」


「ううん、とんでもないです。ただ、弁護士事務所としての仕事になってない気もするんだけど」


「いやいや、全般的に対応してもらっちゃって、とても助かっています」


「いまいち、心がこもってないのよね。……それより、報酬を歩合計算で押し付けようとしてくるのやめてください。うちはそういう事務所じゃないんです」


「初耳だけど……、忠司さんかな? でも、金額が多ければ報酬が増えるのは当然なんじゃ?」


「それは、都心に事務所を置くような大企業や富裕層相手の事務所のやり口なの。うちは、案件の大小ではなくて、やっている内容で考えるんです」


「所長の方針ですか……。尊重させてもらうけど、利音さんはそのやり方を選ぶんですか?」


 俺の問いに、司法の道に進もうとしている女子大生は、少し悩ましげな表情を浮かべた。


「継ぐと決まっているわけじゃないけど、うちの事務所についてはその方針が維持されるでしょうね。……別に、大金を扱って、その分け前を歩合でもらう手法を否定するわけじゃないの。特に法人との取引なら、相手も気にしないでしょうし。でも、うちの事務所は、困った人からの依頼を引き受ける方向性だから」


「それなら、よけいに出せるところからはかっぱげばいいと思うんだけどなあ」


「それは、思わなくもない。……ともかく、所長方針は伝えたから」


「承知しました。こちらも意思統一をしておきます」


 外界への窓口として利音さんを配置してくれているのは、おそらく配慮された結果なのだろう。同時に、それは弁護士の卵のレベル上げも狙っているのかもしれない。まあ、いずれにしても文句はない状態だった。


 ふっと息をついた利音さんがまた表情を改めた。


「ところで、就学支援金についてなんだけど」


「はい?」


「児童養護施設出身の人たちには、成績優秀者……、いい大学に受かった人のみで、残りの人には生活支援金と設定されているけれど、ひとり親家庭の子には進学先を限定せずに就学支援金を出すのよね。ちょっとバランスが悪いような気もするんだけど」


「ああ、それは、思わないでもないんだけど、施設出身者の進学を無条件で支援すると、一般の少し苦しい家庭よりも優遇される、というのがあってさ。難関大学や、職能につながる学校に入れる人は、学費と生活費を。そうでもないところだと、就職組と同じ額までの限定支援、としてるんだけど」


「そのあとは、自力で稼げればってことか。ひとり親家庭をより優遇したいの?」


「それはあるかも」


「以前の話にもあったけど、困窮していないひとり親家庭もあると思うんだけど。例えば、富裕層の夫婦が不仲で離婚しただけ、とか」


「それは確かに……。高校向けの支援金では、困窮者を対象に加えておいたんだけど、そもそも全般的な前提として、生活が苦しい、くらいの文言を加えておきますかね」


「自己申告で?」


「とにかく無審査にして、支給手続きにかかるこちら側の手間を省きたいので」


「無審査って、楽だけど怖いわよ」


「確かに怖さはあるけど、審査のために人手を割くと、始める前に運用コストが重くなっちゃうから」


「それは確かに。……では、その方向で組み立てますか。ただ、今からだと告知が難しいけど」


「初年度は、児童養護施設と知り合いに届けばいいので」


「そうね、無理なく進めるのがよさそうね」


 利音さんは頷いて、メモ帳を閉じたのだった。


 そんな話をして数日後、榊木さんから呼び出しが来た。和装で赴くと、剣呑な雰囲気で迎えられた。


「さて、他でもない奨学金の話だがな」


「はい、既存の融資の仕組みと区別できるように就学支援金と呼んでいます」


 俺の付け焼き刃的な和装と対照的に、貫禄漂う装いの老紳士が、じろりとこちらを見つめてくる。


「西園寺のところの孫娘が、片親の富裕層が申請してくるかもと警鐘を鳴らしたのに、生活苦だと自己申告させることで防止しよう、と応じたそうだな」


「体面を重視するかな、と思いまして」


「甘いな。あの連中は、平然と申請してくるだろうよ。下手したら、直前に離婚する奴すらいるかもしれん」


「そういうもんですか……」


 そう言われれば、前世での派遣先だった、自治体助成金の執行機関の現場でも、超高額車両の購入者が、その車両価格に比べれば誤差程度と思われる金額を申請してくる、なんて話があった。得られるものすべてを取りに行くくらいのメンタリティでないと、金持ちにはなれないということなのか。


 あるいは、自分たちは税金を多く払っているからより大きいリターンを受けるべき、との感覚もあるのかもしれない。この就学支援金の原資は、もちろん税金ではないわけだが。


「だいたい、学費だって大学によってピンからキリまでだろうが。私大の医学部の学費が満額出るのなら、偽装離婚くらいやってくるぞ」


「それは確かに……」


「しかも、生活費だって、地方の大学に進む者の住居費まで満額を出すのはやりすぎだろうし」


「限度額を設けますか……。でも、児童養護施設出身の子が医大に受かったら、丸抱えしたいところなんですが」


「標準額を低めに設けて、事情を加味して足すようにすればいいじゃないか」


「査定が面倒になりそうですが」


「裕福そうなものには最低額を出してお茶を濁し、本気で支援したい相手にはいくらでも出してやればいいだろうに」


「なるほど……。学費もそうですけど、生活費もそのやり方なら、メリハリがつけられますね」


 榊木さんは、そこでまた息を吐いた。


「善意でなにかを提供するとき、最初に手を伸ばしてくるのが、本当に困っている者とは限らん。耳が早くて声の大きい者、手間を掛けて書類を揃えられる者……、要するに恥を知らん者が押し寄せることの方が多い」


「制度を作った側が、そういう層とつるんでいれば、なおさらですか……」 


「だからこそ、本当に助けたい相手には、こちらから拾いに行く仕組みも必要になる。それにしても、お前さんのやることには、ことごとく甘さが目立つな。あの神社の造成にしてもだな……」


 そこから、現状についてのお小言を頂戴する流れとなった。これはもう、致し方ない。


 そして、どうやらこの榊木さんと西園寺事務所には思っていた以上に深い繋がりがあるようだった。二正面作戦を展開できる実力は俺にはない。その観点からも、警戒しておくべきだろう。



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