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【1991年5月/6月】


【1991年5月】


 ゲーセン二階の空きフロアは、引き続きたまり場的な交流が続いている。


 雨宮瑠夏は法仏大の工学部に、早乙女航は東都経世大学の経営学部に進み、高校時代同様の頻度でやってきていた。この二人とも、こもれび食堂系の女子高生組ほどではないが、近場での進学となっている。


 朝の業務を終えたところで書物を読み込んでいたら、姿を表したのは瑠夏だった。


「悠真っちと二人きりというのも久しぶりね」


「そーいや、そうだな。久世も結菜も忙しくなってきたみたいだし、航も最近は頻度が減ってきたかな。まあ、健全だけれど」


「なによぉ、あたしが不健全さの象徴みたいな物言いじゃないの」


「そうは言ってないがな」


「でも、早乙女は文系は余裕ありそうなのに。まあ、他で忙しいのか」


「ああ、バイトをしているのか、あるいはゲーム開発でもしてるのか」


「青春よねえ。……さて、あたしは不健全なゲームセンターでも行ってから戻ろうかな」


 伸びをする様は、猫のようにも映る。今回は、昼休みと空き授業の間に、顔を出した状態だそうだ。


 彼女が姿を現せば、おそらく「アヴェニューファイター2」の対戦台が盛り上がるのだろう。その様子は、街頭テレビでも放映されている。


 退場する瑠夏と入れ替わりに顔を出したのは、「プレイタウン・フラッシュ」の社長だった。物腰柔らかな人物で、若輩な俺にもていねいに接してくれている。


「で、相談なんだけどね。アマナツちゃんとイヨカンちゃんを去勢するって話になってるんでしょう?」


 猫好きなこの社長は、プレハブのにゃんこハウスにキャットフードの差し入れがてら通ってくれている。


「そうなんですよ。申し訳ない気持ちはあるけど、ゆったり過ごしてもらおうかと」


「それは、あのにゃんこハウスから離れたところで暮らせば、去勢しなくてもいい感じ?」


「はい、そうなりますね」


 実際は、血が濃くなるのを避けるための対応である。


「うちで引き取らせてくれれば、手術無しで育てられると思うのよ。どうかな?」


「それは、いい話ですが……」


「エルちゃんの意向もあると思うから、じっくり検討してみて。雇い主だからって、配慮なんかしなくていいから。このゲーセンも、いつ閉じちゃうかわからないんだし」


「その話、どうなってるんですか? 現状の不動産への融資が絞られている状態で、再開発が動くとも思えないんですけど」


 雑居ビル「カストルム小金井」全体のオーナーは別の人物で、フラッシュの三浦社長は一階二階の利用権を確保している立場だそうだ。協議はするにしても、ビルをどうするかはそちらの判断になるのだろう。


「一応、融資自体は既に受けているんだけど、話が止まっちゃってるみたいなのよ。株取引で、ちょっとやられ気味だとかで」


 なんだか、不安を誘われる話ではある。現状、どんなステータスなのだろう? ただ、融資まで行われているのなら、すぐにビル解体という話にはならなさそうだ。


「閉店となったら、三浦さんはどうされるんですか?」


「そうねえ。どれくらいの資金が返ってくるかなんだけど、どこかで場所を借りて喫茶店でもしようかな。……龍栖神社のにゃんこハウスでお茶を出せば、お客さん来そうよね」


 後の世でいう猫カフェのようなものになるだろうか。


「もうすぐ、こもれび食堂と猫ハウス向けの新施設が完成する予定です。場合によっては、そこで飲食物を提供するかもしれないですし、入場料を取るというアイデアもあります。どういう関わり方はともかく、まずは知恵を貸してもらえますか?」


「もちろんよ」


 オネエ的な、とまではいかなくても、当たりが柔らかいこの人物とは、穏やかな会話ができる関係性を築けていた。




【1991年6月】


 龍栖神社の外縁部で建設中だったこもれび食堂と猫ハウスが、無事に完成した。バブル崩壊後で、開発中止となったプロジェクトが増えているためか、わりとスムーズな進展だった。


 こもれび食堂と猫ハウスは別棟だけれど、キッチンなどの共用部や渡り廊下で繋がっている状態となる。


 一方で、これまでのプレハブも撤去はせず、祭り向けや氏子関係の施設に転用しようとしていた。


 今回の建設は、中学の和服カフェの時からお世話になり続けている榊木さんが紹介してくれた、地場の業者に依頼していた。今日も和装の老紳士に改めてお礼を述べていたところで、敷地に車が入ってきた。降りてきたのは、神後の親分だった。


「ご無沙汰しております」


「おう、活躍しているようだな。……こちらは?」


「お世話になっている、榊木さんです」


「おお、悠真から話には聞いておりました。植田で暮らしております、神後と申します」


「榊木です。この坊主の親代わりだそうですな」


「いやいや、むしろかつてうちにいた者が迷惑をかけた状態でして。少しは助力ができたかと思いますが……。お時間をいただけるようでしたら、少々お耳に入れたいことが」


「なんなりと」


 そこまで話が進んだところで、俺は二人を室内に案内した。見るからに物々しい雰囲気を纏う二人が相対していると、周囲を萎縮させかねない。


 事務室の簡素な応接セットに案内すると、俺は神後の親分に問いを投げてみた。


「外した方がよいですよね?」


「いや、同席してくれ。エルリア嬢までは呼ばなくていい」


 となると、きな臭い話だろうか。覚悟を決めて席につくと、親分の視線がこちらに向けられた。


「榊木さんは、当方の素性はご存知かな?」


「概略は、把握してもらっていると思う。……榊木さん、こちらは、長野の植田を本拠とする創始会という任侠組織を束ねておられる人物です」


「不動産投資を手掛けておられるとか」


「ええ、坊主の助言を受けまして。ただ……、ここらで悠真とはお別れとなりそうでしてな」


「どういうことです?」


「創始会から、不動産取引や海外株投資をしている会社を切り離す。幾つかのダミー会社をかますことになるだろうが、創始会とは完全に切り離して、新たに設立する形を取る」


「暴対法ですかな?」


 暴力団対策法はこの5月に公布され、来春に施行されることが決まっている。


「ご推察のとおりです。地場の組織がどこまで対象になるかはわかりませんが、いずれにしても対応せざるを得ません」


「切り離して、誰が運営するんです?」


「ヤスと鳴海を足抜けさせて、そちらを任せる。……ヤスは、面識があったかな?」


「母さんと植田を発つときに、車で送ってもらいました。あと、馬券のときにも絡みが」


「そうだったな。小金井に初めて来たときに、馬券を買いに走ったんだったか」


 あのノアノハコブネ号の単勝馬券が、総ての投資の始まりだった。思えば遠くに来たものである。


「儂は、残留組を束ねて植田を守る。そこでだ、坊主。ヤスの後見を頼めるか?」


 さすがに話が逆なんじゃないかと思うが、投資関係の方向性についての話だろうか。そう問うたら、然りとの答えが返ってきた。


「それでも、荷が重いですが……。そもそも、なにを目指す組織なのですか?」


 俺の問いに、神後の親分は虚を突かれたようだった。


「なにを目指すか、か。これまで、一家を守っていくのが精一杯で、そんなことを考えたこともなかったな。……ヤスに答えを出させる。それを聞いて、判断してくれ」


「承知しました」


 これはなかなかに、重い判断になりそうだった。


 親分は、榊木さんに後事を託して去っていった。今生の別れにするつもりはないが、胸に寂しさがないと言えば嘘になってしまう。


 親分の車が見えなくなるまで見送っていると、隣で榊木さんが小さく息を吐いた。


「なかなか重たい話のようだな」


「そうですね」


「任侠方面にはくわしくないが、苦労があるのだろうな。どの分野も同じか」


 それは確かに、その通りかもしれない。


 榊木さんは境内を見回した。


「それにしても、坊主。ずいぶん大きなことになったな」


「え?」


「最初は中学の和装喫茶だった。いつの間にか神社を手に入れ、子どもへの支援施設まで。しかも、それだけではないんだろう?」


「……まあ、そうですね。ただ、俺ができることは多くないですが」


 その言葉に、榊木さんは笑みをこぼした。


「坊主にとっては爺さんになるあいつも、そんなことを言っていたよ。残したものは大きいのにな」


 祖父とは会ったことがないだけに、ばあちゃんのご夫君という印象が強いのだが、どのような人物だったのだろう。ただ、それを榊木さんに問うのは不躾なようにも思えた。


 少しの沈黙のあと、和装の老紳士は参道に向けて歩き出した。



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