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迷宮の新米守護者  作者: 板 竹輪
第1章 迷宮の新米守護者
39/45

第36話 傷付いた戦士と壊れたツルギ

 ツルギ視点――――――――名無しの遺跡第1層防衛線:少し前


 今、僕が恐れていた最悪の事態が起こっていた。

 僕が一番恐れ入る相手――――姉と姉の友人だろうと思われる二人組みが遺跡の前に現れたのだ。

 その二人が現れるまでの僕は外から流れて来る魔力の量に驚き、興奮し、「アーハッハッハッ」とか馬鹿みたいな笑いをあげて調子に乗っていたんだけど……今は恐怖のみが僕の心の中に有る。


 僕を恐怖させる二人、そいつらが現れたのは突然だったとミッチーが言っていた。

 今、この遺跡の前にばら撒かれているゾンビパウダーはミッチーの権能を管制するシステムと繋がっていてこの遺跡の前に広がっている広場の全てを観測している。

 そのミッチーの観測を逃れて広場の中心部近くにその二人が現れたのだから、なんらかの特殊な移動手段であの場所に現れたのだろう。


 まぁ、そんな事はどうでも良い。

 今はあの二人、特に姉への初期対応を見誤ると大変な事になるのはこの世で僕が一番良く知っている事だ。

 早急に対応しなければいけない。


「カーバンクル居るな!」

「常にお傍に」


 姿は見えないが僕の耳にそよ風を伴う幼い男児の様な声が届く。

 リリアがボクに貸しだしてくれている使い魔のカーバンクルの声だ。

 どうせ姿を認識できないのだから僕はそちらも見ずにカーバンクルへ命令を告げる。


「グシオスさんに例のヤツが来たからさっさと撤退しろと伝えてこい」

「御意に、されどグシオス卿が戦闘中の場合は如何なさいますか?場合によっては殿(しんがり)を勤めると仰っていましたが」

「そんなもん知るか!何がなんでも逃げろと言え、ゴネるようならボクがキレてるとでも伝えておけ!」

「ご主人様、グシオス様の部隊にレベル70代の方の冒険者が向かっております」

「距離は?直ぐ接触するか!?」

「間もなく接触いたしま――――訂正、接触した模様です」

「もう一人の方は!?」

「現在外周に向けて移動中です」


 状況は僕の考えを無視して次々に変化し進んでいく、そんな状況の変化に追いつけない僕は苛立ちを覚え声を荒げさせていく。


「あーー!もうっなんなんだよ!!カーバンクル!グシオシさんと冒険者が戦闘中の場合は援護もしてやれ!ただし攻撃は当てようとするな、当てようとすれば絶対に避けられてお前が破壊される!グシオスさんが逃げれるように援護するだけで良い!出来るな!」

「お任せを仮主、必ずや命令を遂行して参りま――――」

「なら、直ぐに行け!返事はいらない結果だけ示せ!」

「ハッ!直ちに」

「返事は要らないと行ったぞ!さっさと行け!!」

「お許しを仮主」


 その声を最後に突風がこの部屋から入り口に向かって吹きぬける。

 風はカーバンクルが移動した時に起こす物で突風の勢いからカーバンクルの慌て振りを見なくても認識させるものだった。


「ミッチー!まだ動けるリビングデッドを姉ちゃんに全部差し向けろ!もう一人の方は放置して良い!姉ちゃんだけをなんとしてでも押し留めろ」

「落ち着ついて下さいご主人様、まだお姉様が来ていらっしゃると確定しているわけではありません」

「だけど可能性は高い!これが落ち着いていられるか?準備が完全に出来てない状態であの埒外が来たら全滅すら有り得るんだぞ!」

「お気持ちは分りますが、ご主人様がその様な状態では此処の士気にも関わります。周りをみて下さい、皆様不安がっています」


 ミッチーに促されて始めて僕は周りを見渡す、そして魔族達がボクに注ぐ視線にやっと気づけた。

 ほとんどの魔族達は急に騒ぎ出したボクに対して不安そうな眼を向けていた。

 メリジューヌさんなんかは心配そうに僕を見ていて、ローラさんを筆頭とする魔術師達はボクに対して恐怖の視線を向けている。

 親衛隊のレオナさんは、こうなんというか胡散臭そうな物を見る様な眼でボクを見ている。

 それ等の視線の数々はどれも僕への不信に繋がる物で僕が指揮官として至らないと認識されるものだった。

 そしてそれ等全ての視線が自らが今行なった行いに対して再認識させられてしまうもので、強い後悔の念が僕の心を支配していく。


 クソッ苛立ちすぎてカーバンクルに当たってしまった……最悪だ、こんな事をしてしまう程に僕は姉ちゃんが恐いのだと再認識してしまう。しかも、リリアの魔術で姉ちゃんへの恐怖を消しさってもらっているのにだ!……なんて僕は情けないのだろう。


「ごめん、ミッチー少し気が動転していた」

「はい。以後気をつけてください」

「やっぱり実際に対峙するとなると誤魔化しが利かないもんだな……」

「ご主人様、それについて一つ提案がございます」

「なんだよ。今の僕は姉ちゃんの恐怖から逃れられるなら、なんでもやるぞ」


 我ながら言っていて情けなくなるがが仕方無い。

 頼りにしていたリリアのかけてくれた対姉用暗示も、実際に姉と対峙するという段階になったら――――いや、その可能性が高い者が近くに現れただけでまったくの効果をなさなくなってしまっているのだから、縋れる物なら藁だろうとあの詐欺魔神だろうと縋ってやるさ!


「そうですか、それでは――――」


 ***


 ――――――――名無しの遺跡第1層通路


 シンッと静まった名無しの遺跡の通路には松明の光が照らす3人のコボルトの姿が有った。

 先頭を歩くのは二人、灰色のコボルトとそのコボルトに寄りかかるようにして肩を借りて歩いてる黒いコボルトに見える男だ。

 そう、この三人はダンジョンの前から命からがら撤退してきた満身創痍のグシオスとその配下のコボルト二人である。


「助かったぞ*イマ**ーよ。だが、肩を借りるのはここまでで良い」

「良い、のか?まだ、傷が、治ったわけ、じゃな、いぞ?」

「そうダよ。中ボス無理しチャ駄目」


 グシオスはここまで歩いてくる為に自らを支えていくれて灰色のコボルトに礼を言って、フラ付きながらも自ら灰色のコボルトから身を離す。

 カーバンクルに癒されたグシオスの体は完全に回復しておらず、塞がったはずの腹の傷からは血が滲んでいて痛々しい。

 それどころか回復したはずの傷は開き始め悪化して行っているようにも見える。

 それ故に表情は苦痛と苦悶の表情に染まっているが声はとても穏やかだった。


 その穏やかさは何処か満足気であり、今のグシオスの心情を如実に表していた。


「ここから先は他の者の眼が有る。部下に支えられながらの帰還では……格好が付かん」そう言うと、グシオスは後ろ振り返らずにヨロヨロと部下のコボルト達の前を歩き出した。


「そっか、他の、連中に、なめられ、る訳にもいかな、いし、なぁ」

「その通りだ*イマ**ーよ。他の者達に侮られるわけにはいかん」


(それに、こいつ等と歩くのもこれが最後になるかもしれん、最後ぐらいは隊長として正しい姿を見せておくべきだろう)


「大丈夫カ?中ボス?無理シないデね?」

「あぁ……そう心配するな。体の再生も、僅かであるが始まっている」

「本当ニ?そうハ見えなイけど」

「そう見えるのは魔力が足りないだけだ……」


 グシオスの肉体に再生の力を与えているのはグシオスの血に含まれている『魔狼』の魔力だ。

 その魔力をブラッドフラワーにほとんどの奪われてしまっているグシオスの体はその驚異的な再生力をほとんど失っている。

 もし、あの時カーバンクルの援護が無ければグシオスの姿は此処に無かったであろう。


「間もなくだ……貴様等身なりを整えろ」


 グシオスはフラフラと歩きながら、背後の部下達に声を掛ける。

 もうすぐ到着するのは名無しの遺跡第一層防衛線、彼等の指揮官ツルギが待つ部屋だ。

 上官に会うには戦中でも最低限の礼儀と身なりという物が有る。

 先程カーバンクルが起こした砂嵐の影響で土埃と泥に汚れ、グシオスの血で汚れた部下二人の姿はその最低限のラインを下回っている。

 グシオスはそう思って声を掛けたのだ。


「俺達、中ボ、スと違って、そん、なに汚れて、ないぞ」

「ならばせめて土くらい拭っておけ、指揮官殿がお待ちだ」

「ウん分ってイる。でも、中ボスはそノ格好で大丈夫カ?」


 赤毛のコボルトの言葉を受けてグシオスは自らの体を見下ろして苦笑する。

 改めて見る森林迷彩が施されていたグシオスの戦闘服は見事にボロボロだった。

 服の左側はシグナルとの戦闘で焼けて焦げ落ちている。更に戦闘服の腹部の部分はブラッドフラワーに穿たれた大穴が開いておりその外周と戦闘服のセットである迷彩ズボンを真っ赤にグシオスの血で染め上げている。

 血塗れのグシオスは身に着ける森林迷彩色の衣服を黒と赤の模様に自らの血で塗り替えていた。


(あぁ確かにこれでは、指揮官殿にはお会いできる格好とは到底言えんな……フンッ良くもまぁ、ここまで見事にやられた物だな)


 破損し血に汚れた戦闘服を見てグシオスは苦笑するしか無かった。

 それは明らかに上官に会う姿として正しいと言える格好では無く、今までのグシオスの人生でここまで敵に手酷く怪我を負わされた事も無くその身を自らの血で汚した事も無かったからだ。


「……前言撤回だ。そのままで良い。戦いの後だ、指揮官殿もこれくらいは許してくださるだろう」

「うん、ボス、優しいか、らな。格好く、らいで文句は、言わ、ない」


(あぁその通りだ。あの方は甘い、俺達に甘すぎる。この程度の事でとやかくは言うまい。もっともそれは―――)


「そうい、えばボス、怒って、いるのか、な?」


 灰色のコボルトがおっかなビックリしながらそう呟くように言葉を漏らした。

 その声は何処か震えていて頼り気がなく、恐怖が滲み出している。


 グシオスは振り向く事無く灰色のコボルトの不安を感じ取るが返すべき言葉に少しだけ迷ってしまう。

 だがこの場に逃げ帰って来るまでの出来事を考えればその答えは明白だった。

 ツルギは間違いなく怒っている。そう、思い短く返答を返す。


「……恐らくな」


 グシオスには今一つの不安がある。

 自らの傷は一時的にカーバンクルに治療して貰ったが再び悪化の一途を辿っている。

 しかしながらその胸中を占めることはその傷の事等ではなく、彼等の指揮官であるツルギの事だった。


 カーバンクルはグシオスに対してツルギが怒り狂っていると言っていた。

 そして怒りの原因は明白だ。グシオスがツルギの命令を無視してブラッドフラワーと戦った事である。


「そっかー怖、いなぁ」

「お前達は気にする事もあるまい。責任は全て撤退しなかった俺に有る。お叱りを受けるとしたら俺だけであろうよ」


 グシオスはそれだけ言うと歩む速度を速めた。

 その姿はピンっと背を伸ばして、ふら付くことなく真っ直ぐに歩く堂々とした物だった。


 現在のグシオスはなんとか歩けるとも言えない状態だ。

 だが自らの矜持と気力で、グシオスは弱みを見せることなく歩く。


(俺は強者と戦いたいという欲望に負け指揮官殿のご命令に背いた。ならば指揮官殿のお怒りは当然。自らの愚かさを恥じ、命令違反の処罰も受けよう……だからこそ弱くは見せん。俺は戦士として指揮官殿に裁かれるべきなのだ)


 わざとらしいほどにしっかりとした足取りでグシオスは歩き続ける。

 それは彼の配下や他の魔族達に弱い所見せたくないという表れだった。


 進むグシオス達の前に魔術の灯りに照らされた部屋が見えてきた。

 グシオス隊は名無しの遺跡の守護者であるツルギが待つ防衛線にまもなく帰還する。



 ***


 ――――――――名無しの遺跡第1層防衛線


「なんと……グシオス卿があそこまで……」

「まさか、騎士階級が魔族以外の者に遅れを!?」

「あ、ありえん、魔剣持ちが負けるなど有得ん……」

「嘘……」


 グシオスが部屋に入ると防衛線を守っていた魔族達からどよめきが起こり、動揺と驚愕に染まった瞳がグシオスとコボルト達に集中した。


 特に重戦士で構成されている親衛隊の驚きは顕著であり、騎士階級を持つグシオスが敗れるという事は彼等にとって特別な意味があるようだった。

 更にその中でも親衛隊の分隊長であるレオナ=サブナックは普段とはかけ離れた様相をしている。

 顔に幾つかの刀傷を持つ女性魔族のレオナは男性よりも凛々しいと同僚に言われるほどの整っているが険しい表情を普段から浮かべている女性である。

 だが、今の彼女は自らが何を見ているのか分らないように小さく口を開けてポカンと呆けていた。


(そう、騒ぐな。俺だって負ける事くらいは有る……)


 グシオスはそう思いながら口の端を歪め牙を見せる。笑っているのだグシオスは


(あぁ、良い気分だ。この反応を見て改めて実感した……あの戦い、俺の完敗だった。実に……良い気分だ)


 どうにもグシオスは今回の敗北に悔しさという物を感じていなかった。

 冒険者の能力の理不尽さに対する怒りや自らが敗北したという羞恥を感じていた。

 そしてツルギの命に反して戦った自らの愚かさを呪いもした。

 しかしながら悔しさだけは湧き上がって来なかった。

 ブラッドフラワーとの戦闘は、グシオスが生きる為に会得したそのほとんど全てを出し切っていた。

 だからこそグシオスは悔いなど生じない程に満足していた。


 グシオスは冒険者という存在に対して感じていた飢えにも似た渇望を満たしたのだ。

 これ以上に満足することがあるだろうか?とグシオスは思う。


 故にグシオスは笑う。

 全てを出して切って負けた、だからこそ俺は満足できた。そう、笑う。


「グッごはっ、クッ……フッフハハハハハ……」


 グシオスが静かな笑い声と共に血を吐き出す。

  今のグシオスは腹部から行き場を失って口の中に上ってくる血すらも好ましく思えるほどに満足していた。


「グ、グシオス卿!?誰かグシオス卿を早く医務室に!!」


 グシオスの吐血を見て先程まで呆けたようにしていたレオナが正気を取り戻した。

 そして絶叫する様な声をあげてグシオス駆け寄って来る。

 近寄ったレオナは血に染まったグシオスの体を支えようと手を伸ばすが――――その伸ばされた灰色の手をグシオスは邪険に払う。


「触るな……」

「し、しかしそのお怪我では!御身に何かあれば――――」

「騒がしい……キャンキャン喚くなサブナックの小娘。貴様も今や隊を預かる身だろう」

「はい、はい!分っております、ですが!」


 グシオスの言葉を受けてもレオナの様子は変わらない。

 ただ泣き出しそうな表情でグシオスを見つめる。

 ツルギや他の男性魔族に対しては男の様な言葉と態度を取るレオナであるが、今のグシオスの前ではまるで少女のようであった。


「分っておらん、何度も言わせるな……貴様は隊を預かる身だろうが!!貴様が動転しては部隊員全てが動揺するではないか!少しは自らの立場を考えゴハッ……」


 レオナの態度にグシオスは今感じているイラつきを吐き出すように叫ぶが、強い言葉と一緒に再び吐血してしまう。

 その直後グラリとグシオスの意志に反して体が傾く。


「グシオス卿!」


 レオナが叫び声を上げてグシオスの体を再度支えようと近寄るが――――動きを止めた。

 ギロリと鋭い視線が、倒れかけたグシオスの殺気が篭った視線がレオナを貫いていたからだ。


 動きを止めたレオナを睨みつけながらグシオスはなんとか倒れかけた体制を立て直し何のことも無かったように歩き出す。


「隊列に戻れサブナック俺を失望させるな」


 グシオスがレオナの横を通り過ぎ小さな消え入りそうな声でそう言った。

 それを受けたレオナは泣き出しそうな表情を必死に押し殺して、凛とした本来の彼女がとるべき表情になんとか戻す。


「…………失礼を致しましたグシオス卿。レオナ=サブナック分隊指揮に戻ります」


 そう凛と言ってレオナは魔族の魔術師達を護衛している親衛隊の隊列に戻っていく。

 その声とはうらはらにレオナの瞳は泣き出しそうに揺れていた……


(それで良い……戦士とは戦場で私情を挟まぬものだ……まぁ、これは私情で命令違反を犯した俺が言える義理ではないがな……)


「で、も中ボス、ボスに報告す、る前に本当に、医務、室に行った方が、良くな、いか?」


 レオナとのやり取りを黙って見ていた灰色のコボルトがグシオスに声を掛けてきた。

 この灰色のコボルトがグシオスを心配する事は珍しい。それは薄情という訳ではなくグシオスの力強さを盲目的に信奉しているからだった。

 だがその盲目的な信奉すらも超えるほどにグシオスの今の状況は誰の目から見ても悪い。

 傷は開き、口と腹の傷から流れ出す血の量が次第に増えていっているのに加え足取りもドンドンと不確かになっていく。

 そう、グシオスの体が負ったダメージはカーバンクルの治療だけでは足りなく無理をして歩みを進めるグシオスの命を蝕んで行っているのだ――――だがそれでもグシオスは止まらない。


「今の俺の責務は指揮官殿に戦況を報告する事だ……」

「で、も……」

「うるさい……少し……黙っていろ……これが俺の……『群れ』を率いる者としての……勤めだ」

「それな、ら仕方な、い…………」


 グシオスは一度足を止めて振り返りもせず切れ切れの言葉を発し、その言葉を受けた灰色のコボルト萎縮したようになりグシオスの意を汲み取った後は黙ってしまう。

 そして自らが発した言葉が有効だったと確認したグシオスは再び歩みを進めた。


 若いコボルトというのは犬や狼に近い習性持つ。それは魔族に取って当然の常識である。

 その中でも特に力の差を弁えない若いうちは群れの統率者になろうと本能に人格を引っ張られ上位者に逆らうことが多い。

 しかも軍隊を『群れ』と見立てて行動するコボルトも多く軍隊向けではないと言われている。

 だが、それは最初だけだ。

 その力の差をハッキリと実感してしまうと群れの統率者からの命令には逆らえない習性もコボルトは持ち合わせている。

 ツルギがコボルト達をうまく配下として活用できているのもこの習性が有るおかげなのである。


 故にグシオスはコボルトという種がこだわる『群れ』という単語をあえて使い、灰色のコボルトに自らの立場を強制的に認識させた。

 コボルトにとって群れというのは仲間であり家族であり運命共同体である。そして『群れ』という言葉はグシオスが嫌うコボルトという種を象徴する言葉であり、グシオスが嫌う言葉の上位に位置する言葉でも有った。

 だが態々その言葉を使わなければいけないほどにグシオスは今、追い詰められている。


(情けない事だがもはやなりふり構っていられん。こいつ等の説得に使う時間も惜しいのだ俺は……?むっこれは何人か死んだか?獣人と亜人……の様だが)


 歩みを進めるグシオスの獣の嗅覚が自ら以外の複数人の血の匂いを捉えた。

 血の匂いは複数種類混ざり合った物で、濃密な匂いをグシオスの鼻に届かせている。

 その匂いは大量に流れた事を伺わせる程の量で血を流した人物が決して無事ではなく場合によっては死に至る量の血液が流れているをグシオスは感じていた。


(……死者が出るのは戦場出るのは常だ。そう気にする事もないだろうが………)


 血の匂いを嗅ぎ取ったグシオスは直ぐに防衛線に居る魔族達を見回し、この防衛線に残した自らの部下が無事かどうかを確認しようとする。


 まず、大柄の魔族と亜人で構成される親衛隊に紛れていないかと眼をやるがそこにグシオスの部下は居ない。

 次に親衛隊の直ぐ傍で瞑想を行い魔力を回復している魔術師達の一団を見るが……居ない。

 更にその後獣人と亜人で構成されている志願兵の部隊を見るが、そこにも姿は無い。

 だが、彼等は何か祈りの様な声をあげている――――彼等は戦死した仲間の死後冥福を祈っている様だった。

 祈りをあげる彼等の周囲の床や壁は所々抉られたように削られており、簡易的に清掃した後が有るが色濃い血の匂いがこびりついている。

 どうやらグシオスの鼻に血臭を届けていたのは彼等の仲間だったようだ。

 そしてそこにもグシオスの部下は居ない。


 そうしてグシオスは最後に今一番視線を合わせ難い場所――――彼等の指揮官であるツルギの元へ視線を向ける。


(――――っ!フンっ生きていたか。ならば良い)


 そして自らの前方に捜し求めた亜人が居た事で小さな息を吐き安堵する。

 グシオスが見つめるのは白地に茶のブチ模様の毛皮を持つコボルトだ。

 ツルギがその賢さを気に入り、重用して傍に置いているのでグシオスはそのコボルトを自らの隊で一番眼に掛けていた。


(お前は他の愚か者共と違い指揮官殿の襲撃に参加していなかったな。その賢さは武器になる。いずれお前は指揮官殿の良い参謀になるだろう)


 そんな事を思いながら部下のコボルトが生きている事を確認したグシオスは一先ずの安堵を得た。

 そして今度はバツの悪い顔つきでそのブチ模様のコボルトの横に居る竜人の女性を一瞥する。

 この遺跡の主であるリリアの護衛兼従者、この遺跡で数少ないグシオスと互角以上に戦えるであろう竜人メリジューヌだ。

 彼女は他の魔族達のように取り乱すことなく黒色の大剣を手にして冷徹な視線をグシオスに向けている。


(それで良い。流石はメリジューヌ殿は分かっている。魔族の戦士が敗者に向ける視線とはそうでなくてはならない。哀れみや驚愕などもっての他だ)


 メリジューヌの姿を眼に焼き付けたグシオスは更にその横、心情的に今一番顔を会わせ難いが会わなければいけない人物に眼を運ぶ。

 そこには黒い石材で作られた玉座の様な椅子に座り肘掛に左手で頬杖をつきグシオスの様子を静観している黒髪の人間の少年が居た。


(強烈な気配だ……あの冒険者以上、まさしくこの方こそ俺の主として相応しい。しかしあれは本当に指揮官殿か?以前よりも気配が強く禍々し……いや、流石にそれは俺が弱っている為にそう感じているだけか……)


 少年が放つ強烈な重圧と魔力はグシオスの強い意思に引っ張られる歩みを止めてしまいそうになる程に強かった。

 それは今までグシオスが知っていた少年の気配と若干違っていて、何か危うい、生命その物を脅かしそうな気配を湛えていて妙な胸騒ぎをグシオスへ感じさせていた。

 だがそんなものは弱っている自らの幻想だ。唾棄するべき物だと、グシオスは進む事を止めない。


 そうして、やっとの思いで目的地である少年の前についたグシオスはすぐさまに服従を示す為に片膝を上げて跪く(ひざまず)

 それに習うように背後のコボルト2名も無言でグシオスと同じ様に跪き、それを確認したグシオスは小さな安堵の溜め息を吐いた。


(ふん、やっと俺が跪けと言わずとも自ら行うようになったか……こいつらに教えることは未だ多くあるが、とりあえず最低限でもこれさえ自主的に出来るのならば……僅かだが俺が行ってきた事にも意味が有ったと言えるか……)


 どうにもグシオスの部下達はこの人間の少年を軽く見ている所が有ったので、口を酸っぱくしてグシオスはこの少年の前では跪けと態とらしく命令を出していた。


 魔族の戦士とは強さだけでなく礼儀を知ってこそ、一流足りえる。

 グシオスの部下であるコボルト達はツルギへの態度が示すとおりにそのことを良く理解出来ていない様だった。

 それは若いコボルトの野生の本能云々を抜いても到底魔族の階級社会で生きていけるものではない。


 グシオスかツルギが指揮官でなけなればこのコボルト達はとっくに処断されていたであろうと思う。

 現にグシオスは若き頃このコボルト達と同じ過ちを行い痛い目にあった事がある。

 そしてその時分に自ら師と仰ぐ人物と出会う運命が無ければ生きてもいなかったと思っている。

 故にグシオスは部下達を一人前にしようと思った。

 師が彼を育てたように今度は自らが若き者達を導こうと思っていたのだ。

 そしてそれも最低限は教えることが出来たが本音を言えばまだまだ教えたい事が山ほどあるが――――グシオスはもうあまり自らに時間が残っていない事も理解していた。


 グシオスの傷はカーバンクルの治療で一時的に回復したが、それは一時的なだけだった。

 無理をして体に負担をかけて歩いたのが祟ったのか今や傷は開き出血を増やし残り少ないグシオスの生命力をすり切らせようとしている。

 戦士として戦い、敗北したが満足できる結果が得られたので悔いは無く自らが死に掛けていようとその結果に納得している。

 だがそれは戦士として悔いが無いだけであってこの若きコボルト達の隊長としては別だった。

 今のグシオスに悔やみがあるとすれば、この若きコボルト達の事以外は無いのである。


 出来の悪い部下だと思っていた。

 自らの野生を抑えれない愚かな者達だと思っていた。

 礼儀のなっていない馬鹿共だと思っていた。

 若く頼りないが、いずれは良い戦士になると思っていた。

 暫く時は要するがいずれは自らに匹敵する戦士になるのでは期待もしていた。

 だからこそこの若き部下達が一人前になるまで面倒を見なければいけないと誓っていた。


 だがそれも自らの意志で投げ捨ててしまった。

 戦士として生きるために……その事だけが今回のグシオスの悔いだと言える。

 しかしながら、悔いはしても悲観はしていない。


 指揮官であるツルギはこの若きコボルト達を気に入り彼等の本質を理解し、その行動を大目に見ている。

 魔族本国であのコボルト達がツルギに取るような態度を指揮官クラスの魔族に取れば無礼だとして手討ちにされてもおかしくないことだ。

 だがツルギなら多少の無礼が有ったところで、あのコボルト達を無礼討ちにすることはないだろう。


 そしてこの遺跡にはグシオスと同門であるオーカスも居る。

 あのオークがなんだかんだ言いながら獣人や亜人への面倒見が良いのを自らの経験からグシオスは良く知っている。

 唯でさえお節介焼きであるのにグシオスがこの世から居なくなれば、余計にオーカスは若きコボルト達の事を気に掛けてくれるだろう。

 だからこそ憂いは無い。この二人が居るならば後のことは大丈夫だ。


 グシオスは思う。

 無責任にオーカスとツルギに甘えているしまっている様だがこうなってしまっては仕方が無い。今思えば自分は何処までも戦士だったのだ。

 戦士としては長じる所が有っても隊長としては恐らく2流以下だった……器ではなかったのだと思う。

 それならばグシオス亡き後はもっと相応しい者が、ツルギやオーカスがなんとかしてくれるだろう。

 悔いは有るがその事に憂いはなく絶望も無い。

 ずっと満たされていなかった戦いへの飢えも満たしてしまった。

 ならば思い残す事も後は無く、自らに残された命を全て搾り出し責任を全うするのみである。

 グシオスはそう思い、最後の残された力を振り絞りしっかりと力強く言葉を吐く。


「グシオス隊……ただいま帰還しました!指揮官殿」

「お疲れ様です。グシオスさん」


 グシオスの力強い言葉を受けて黒髪の人間の少年――――名無しの遺跡の守護者であるツルギは静かに無表情でグシオス達を労う。


 ***


  跪くコボルト隊の前で指揮官であるツルギが労う。

 それはグシオスとツルギの最初の邂逅を焼きなおしたような光景だった――――グシオスが感じている違和感以外は……


(なんだこの違和感は……)


 グシオスは黒色の玉座に座るツルギを見ているだけでゾワリとした冷たい物が背筋を走るのを感じていた。

 先程遠目にツルギを見て勘違いと断じた禍々しさの様な物が今度ははっきりとした物になっている。

 その謎の気配がグシオスに強い圧迫感と違和感を与えていたのだ。


 もちろんグシオスは普段のツルギからはそんな物を感じたことが無い。

 ツルギ本人に何か異変が有ったのか?と、ツルギの姿を観察して何も変わりはない。


 グシオスの視線の先に居るのは強大な力をもっているが幼さが残るいつもと変わりの無い黒髪の人間の少年だ。

 グシオスに違和感を与える様な変質は見受けられない。

 これまでもそして早朝にグシオス隊がこの遺跡を出発する時も、ツルギは強烈な力の気配を感じさせることは有っても圧迫感や禍々しい気配を発していたこと等微塵も無かった。

 ならば何が違うのか?グシオスは直視しているだけで胸に湧き出してくる不安に耐えながら必死にツルギの変化を探ろうとする。


「酷い怪我ですね。マルトメントさんの所へ行かなくても大丈夫ですか」


 グシオスが感じる違和感の為に言葉を失いその違和感の正体を探ろうとしていた所、ツルギが静かに言葉をグシオスに投げかけてきた。

 ツルギのその言葉は心配こそしている様に聞こえるがその視線と言葉には何の感情に含まれていない様に思われるほどに静かだった。

 そしてその表情もグシオスが傷口から流す血を見て眉間に皺を寄せる事はあってもそ何の心配の欠片も含まれていない様に見えた。


「はっ!そちらへは指揮官殿に今回の報告を行った後に向かいたく」

「あぁ、うん。そうして貰えるとボクも助かるかな。直ぐにアレへの対策を立てなきゃいけない…………それじゃあ早速報告して貰えますか?」

「畏まりました指揮官殿」


(やはりおかしい。これではまるで……)


 グシオスはツルギがその気配だけでなく、人格にも変異が有ったのではないかと疑いを持った。

 冒険者に苛烈とも思える態度を行うツルギであるがこの遺跡の住人には優しい、激甘と言って良いほどに甘い人物だ。

 普段のツルギならば今瀕死の重傷の負っているグシオスに対して先に報告を求める事などしない。

 それが例えグシオスからの進言であろうと絶対に認めず何よりも医務室で待つマルトメントの元へグシオスを向かわせる筈なのだ。

 だからこそ甘いとグシオスはツルギの事を思うのだが、それもまたツルギの美徳であるとも思っていた。


 何がツルギを変えてしまったのか、グシオスは考える。

 思いつくことは一つ。

 グシオスがツルギの命令に反した事だ。


 カーバンクルはツルギが怒り狂っていると言っていた。

 もしそれが原因だとしたらこの強烈な圧迫感はツルギが怒り狂った時に発されるものなのではないかと考える。

 グシオスは人間がその様な事を出来ると聞いた事が無い。だがそもそもにツルギは神話に語られる魔神に神器を与えられた魔神の使徒だ。普通の人間は比較にならない。

 ならばその様な事もあるかもしれないと思う。

 ツルギがグシオスに怒りを覚えているのなら、グシオスの身を案じる事も無い、とは普段甘すぎる性格のツルギに対しては極論かもしれないがこのツルギの変化はそう思えばシックリと来るものだった。


(推測の域を出ないが、そうだと思えば納得が行くな……他の可能性は……いや、今はそんな事どうでも良い。逆に指揮官殿を説得する手間が省けたと思えば行幸だ)


 もちろん、グシオスとしてはツルギに医務室へ向かうように言われても断固として拒否し自らの責務を果たすつもりでいた。だが、グシオスの怪我を見ればツルギは何を優先してでもグシオスを医務室へ向かわせるだろうと、グシオスは予想していた。

 だが、蓋を開けてみればその様な事は一切無い。

 ツルギをどう説得すれば良いかも敗走の道すがらグシオスは悩んでもいたのだが、ツルギはグシオスの怪我を気にする素振りも無い。それならば説得の手間が省け残り少ない自らの時間で責務を果たしきれる。 

 この際ツルギの変化は幸運な事だったとグシオスは思うことにした。


 グシオスは遺跡の前での戦いの報告は何よりも優先されるべき事だと思っていた。

 グシオスはあの様な強さの冒険者がまだ敵方に複数居るのはではないか?と疑っている。

 多くは無いと思うが、あの冒険者の様な者が居たからこそリリアの城が落ちたのだと今だからこそ理解していた。

 この遺跡でその様な冒険者に対抗できるのは今、目の前に居るメリジューヌとツルギしか居ない。

 そしてその様な相手が複数攻めてくるのならば何の対策もせずに魔族側が戦いに挑めば敗北は決まりきった様なものだ。

 早急に敵の強さを報告し対策を立てねばならない。

 釈然としなくどうにも消えない不安を押さえ込み自らをそう納得させてグシオスは務めを果たす。


「まずは……この度の失態はなんと申し開きをして良いか分らず、お詫びのしようがございません」

「あぁ、そういうのは良いよ。過ぎたことだ。そう気にしないで、早く報告をお願いします」

「気にするなと?俺は指揮官殿のご命令に背いたのですよ。故に如何なる処罰でも受ける所存です。ですがまずは此度の作戦の結果報告をさせて頂きたく思います。処罰はその後に必ず――――」

「処罰?そもそも処罰なんて無駄な事はしたくない。だからそのことについては不問にすると言っているんです」

「ありがたいお言葉ですが、指揮官殿のご命令に背いた俺が処罰を受けないのは他の者への示しが……」

「いいよ別に、そんなにグシオスさんが気にするなら命令自体をボクが撤回していた事にするよ。それなら命令違反は無かった事になるじゃない?じゃあほら、早く報告を進めてください」


 焦れた様にツルギはグシオスに戦いの報告を急かす。

 どうやらツルギはグシオスの命令違反など、どうでも良いと思っているようだった。

 グシオスとしては今回の命令違反についてそれなりの覚悟をしていたので完全に拍子が抜けた様な状態になってしまう。


「は?……ハッそれでは我々は指揮官殿のご命令どおりに早朝にこの遺跡を出発し、敵情偵察を行い――――」


 グシオスは再び釈然としない物を胸の中に抱くが、今は何よりもグシオスが遺跡前で見た事戦った事の全てを報告をするべきだと思いその全てを包み隠さず報告する事にした。


 まずグシオスが報告したのは遺跡前の偵察を行い感じた心情と敵の陣容についてだ。

 その次に強い力や魔力を持つが戦い方はまるで素人の冒険者の事を話した。

 更にその後に奇抜な髪型の冒険者シグナルとの戦いの報告を行った。

 それをツルギはただ静かに変わらぬ表情で聞いていた。


 報告を続けるグシオスの胸中には再び不安が湧き上がっていた。


 グシオスはやはりツルギを変えている物が怒りではなく別の何かなのではないかという事に気づいたのだ。

 もしツルギがカーバンクルが行っていた通りに怒り狂っていると仮定した場合ツルギの反応は静か過ぎた。

 グシオスがツルギの立場ならばグシオスの失態について何らかの反応を示す筈なのだが、ツルギは無反応に近い薄い相槌打つのみで質問も特にされない。

 もちろんグシオスが予想していた叱責や罵詈雑言がツルギから発される事も無い。それどころか処罰すらしないと言っていた。

 ツルギはただ何の感情も抱かず眉一つ動かさずグシオスからの報告のみを求めている。到底グシオスへたいして怒りを覚えている様には見えないのである。


 一体ツルギに何が起こっているのか?その理由が掴めずグシオスは困惑を覚えながらも報告を続ける。

 グシオスが苦悶の表情を浮かべ血を吐き出す様にして自らが命令違反を犯してまで戦い破れたブラッドフラワーについての報告を行う。


 異様な生命力と死を同居させた気配、死者を思わせるような肌の色と輝く銀髪の容姿、そしてその驚異的な戦闘能力を、余すことなく全てを報告して行く。

 そのうちにツルギに変化が訪れる。それは銀髪の冒険者の驚異的な回避力の話している時の事だった。


「あぁ……やっぱりか。やっぱりだ…………アレだ、間違いない……」そう呟くように漏らしたツルギはその表情を無表情から別のものに変化させていた。

 その顔は苦渋に満ちているかの様に顰められ眼が泳ぎ何かを恐れているようだった――――だがそれに対してその口元に笑みが、一瞬だけ獰猛な笑みが浮かんでいた。

 その笑みは時折グシオス達が見せる獲物を見つけたときに見せる野生の獣の笑みに似ていた。

 ツルギがその様な笑みをグシオス達には見せた事は無く、それはまさに今のツルギの異常な状態を表しているようだった。


 ツルギの変貌にグシオスは驚きながらも報告を続けた。

 ブラッドフラワーの吸血鬼を思わせる能力、そしてグシオスの命を奪いかけた植物の槍についても報告を行った。

 その間にツルギより何度か質問を受けて返答をするが、その返答がなされる度にツルギの苦悩に満ちた顔付きに不釣合いな獣の笑みを見え隠れさせていた。


 そしてそんなツルギの様子を見たグシオスは今ツルギに起こっているのかを必死に考えていた。

 一見ツルギは平静を装っているように見えるが、何処かがおかしい。

 帰還の挨拶から、報告を行うまでの本来のツルギらしくない反応はツルギがグシオスに対して怒っているのだろうと推測していた。

 だがその怒りらしきものの片鱗も感じられず余計にグシオスを困惑させる結果となった。

 故に原因はもしかするとグシオスが戦った冒険者なのかもしれない、とグシオスは思う。

 グシオスが報告を進めていくうちにツルギの様子は段々とおかしくなっていたのだ。それが原因だとするのが妥当だろうと推論する。

 だが、何故グシオスを倒した冒険者の話でツルギが変貌するのかはグシオスは分らない。


「――――以上が……銀髪の冒険者との戦いの……我が敗北の報告となり……ます……」


 グシオスは体の限界が近いのか切れ切れの言葉で、文字通り血を吐き出しながら報告を終えた。

 言葉は切れ切れになり、呼吸は荒く、傷口から流れ出す血の量は増えており部屋の石床に血溜まりを作っている。

 誰が見ても直ぐに治療をしなければ先は無い状態だった。


「なるほど、おおよその流れはつかめました………………少し考えをまとめさせてください」


 グシオスが報告を終えるとツルギは腕を組み熟考するようにして瞑目する。

 そこにグシオスの怪我の状況を考慮するという考えは一切無い。

 ただ自らの目的の為だけにツルギは深く考えている。


 報告を終えた事で、グシオスはほんの少しだけ心に余裕を取り戻す。

 そしてその余裕は周囲を確認するという余裕をグシオスに与えていた。


 グシオスが周りを見回すと部屋の中にいる魔族達の視線はグシオスかツルギに集中しているが誰も一言も発しようとはしない。

 だがその視線のほとんどは不安の色に染まっていて誰もがツルギの変貌に不安を隠しきれていない様だった。

 そしてグシオスはそこでハッと気づく。

 グシオスの命令違反を含んだ報告がなされているのに静か過ぎるのだ。


(……!そうだメリジューヌ殿だ!何故何も言わぬ。普段のメリジューヌ殿ならばここで苦言の一つでも有ってもおかしくない筈だ……静かすぎる一体何が)


 リリア絶対主義のメリジューヌならば今回のグシオスの命令違反について何も言わない筈が無いのである。

 何故ならばリリアが指揮官と据えたツルギが発した命令をグシオス達が無視して命令違反を行なったからだ。

 リリアが態々指名した指揮官の命令を無視したのはリリアの命令を無視したのと同義である。ならば「恥を知りなさい」くらいの苦言はあってもおかしくないのだ。

 しかもグシオスが命令違反の末に大敗してまったのだから「ツルギ様に代わり私がこの恥知らずの命令違反者を処刑します」くらい言ってもおかしくないとグシオスは思っていたのだ。

 だが、メリジューヌはグシオスが帰還してから一言も言葉を発していない。


 やはり何かがおかしいと思いグシオスはツルギの横で無言で立っているメリジューヌに眼をやる。

 現在メリジューヌは先程迄グシオスに向けていた冷たい視線を不安気な表情と視線に変えてツルギを見ている。

 その口は固く結ばれていてるが表情を見る限りグシオスと同様の違和感と不安をメリジューヌが感じているのは明白だった。


 今ツルギに何が起こっているのかメリジューヌに問い掛けなければいけない。グシオスはそう思い口を開こうとした時だった。


「少し、予定を早める必要があるかもな……」そうポツリと呟いてツルギが椅子から立ち上がった。


(――っ!グッ!?)


 ツルギが立ち上がったその瞬間にグシオスの体がビクっと反応し傷口から血が噴出した。

 立ち上がったツルギの動きに釣られるかのように膨大な魔力と気配がツルギの足元から吹き上がり周囲に漂い始め、グシオスの疲弊した体を侵食し始めた。

 その侵食はグシオスの心にも影響を及ぼし―――


(恐ろしい……?馬鹿な……この、俺が恐怖しているというのか?)


 ツルギが周囲に振りまく正体不明の気配と魔力は強く濃く膨大になっていきグシオスを包み蝕んでいった。

 そしてグシオスの胸中を原因不明の恐怖が塗りつぶして行く。

 グシオスは感じたことも無い恐怖故にツルギから眼を逸らそうとするが、体が言う事を利かず金縛りの様な状態になってしまう。

 更にその恐怖はグシオスの思考を刈り取る。


「――――っ指揮官殿……これは一体何を――ガハァッ」


 一体今何が起こっているのか?それを問いかけようとしたグシオスが正体不明の恐怖に抗いながら口を開こうとした。

 だがその言葉を全て伝えきる前に大量の血の塊を言葉を紡いでいたはずの口から吐き出してしまう。

 そしてグシオスはそのまま自らの血液で作り出した血溜まりの中に倒れこんだ。


(そうか…………ここまでか……)


 それはカーバンクルがグシオスに施した治療の奇跡をツルギの正体不明の気配が上書きしてしまったから起こった事だったのだがグシオスはその様な事を知る由も無い。

 グシオスはそれが自らの限界がついに来たのだと、勝手に納得し諦めの境地で静かに血溜まりに横たわる。


 ツルギが発する気配とグシオスが倒れた事によりそれまで、沈黙を守っていた魔族達が再びザワつき始める。

 それはグシオスの背後に控えていた若きコボルト達も同様で驚きの表情をしたあとにグシオスに駆け寄ろうとする――――が、動けない。

 ツルギの発する気配にグシオスの部下両名共がグシオス同様に金縛りのような状態になってしまっていた。


「中ボス!?ボ、ボス早く、中ボス、を医務室、へ!」

「ボス早く中ボスヲ医務室へ!」


 体が動かぬならば声でと、同時に大きく声を出すコボルト達。その声に反応したツルギは意外そうな表情をしたあとに、コボルト達に向き直る。 


「……とりあえずグレイとレッドでグシオスさんを医務室に運んじゃってよ。二層への転送魔法陣を起動させるからそれを使うと良い」


 グレイとレッド―――ツルギはコボルト達の名前が自らが発音できない名前なので毛の色から愛称を付けてで呼んでいた。

 安直で素朴な単純な名前だったが親しみを篭められて呼ばれていたその名前をこのコボルトは気に入っていた。


(あぁ……そうなのか……やはりこれはもう……)


 しかしながら今はどうだろうか?

 ――――その名を呼ぶ声は明らかに何の感慨も無く、色を述べているだけのように聞こえる。

 しかも、それと同様の無感情の視線が灰色と赤毛のコボルトを見ていた。

 そしてコボルト達を見るツルギの姿を見てグシオスは確信した。


 今のツルギはどうしようもなく変わってしまっている。

 外見は同じだが中身は別人のようになってしまっているとグシオスは確信したのだ。


(これは……まだ死ねんな……今の指揮官殿には……お任せ……できない)


「指揮官ど……一つお願い……が」


 もはや声を出すのも難しい状況のグシオスは残された力を振り絞りツルギに言葉を投げかける。

 今からグシオスが言及しようとしているのは本来の部下思いのツルギならば一番最初に気付いている事だった。

 だが、ツルギは忘れているのか無視しているのかその事について何も言わない。

 ならば言葉にして伝えなければいないとグシオスは最後の力を振り絞る。


「ん?何?これからボクは忙しくなる。用があるなら後にしてくれないか」

「外で別れた……部下の事……です」

「ん?…………あっ!」


 ツルギは『何の事だ?』といった感じの表情を現し、倒れ伏すグシオスを見て首を捻る。

 その後にグシオスの部下達を見渡して「あっ」と言ってグシオス隊のメンバーが足りない事に気付く。


「そういえばブラウンとホワイトが居ない。二人ともどうしたの?」


 ブラウンとホワイトとはグシオスの部下である茶色の体毛を持つコボルトと白の体毛を持つコボルトの事である。

 グシオス隊に所属する茶と白のコボルト両名は森の中でグシオスが敗れた冒険者を発見した時にツルギの命令通りに撤退していた。

 現在は遺跡前の何処かに居るであろう冒険者を警戒して遺跡に戻れないでいるのでないかとグシオスは推測している。


「あの2名は……指揮官殿の……ご命令通りに撤退を……しました」

「あーゴメン。どうも冒険者の方に気を取られていたせいか忘れてたよ。それであの二人はまだ外に居るの?」


(そうか……やはり、お忘れだった……か……だろうと……思った。本当に………………俺は一体誰と今話をして……いるのだろうな)


 本来の部下を大切にしていたツルギならばまず最初にグシオス隊が戻った時に、その事を気にしていなければいなかった。

 だからこそグシオスはこの目の前にツルギが別人なのではないかと改めて思ってしまう。


「戻って……いないのならば……恐らく……いえ、確実に……指揮官殿の命令を待って待機している……ものと思われます」


 グシオスは今のツルギが相手では態々その2名の事を言及しなければ今のツルギは茶と白のコボルトの事を忘れていただろうと確信していた。

 だがそれだけはツルギに思い出してもらわねばならなかった。せめて自らが倒れるならば部下くらいは救いたいと思ったのだ。


 戦地での孤立は死に繋がるという事をグシオスは戦士としての長年の経験から良く分っていた。

 グシオスの経験則から言って隠れている2名のコボルトの状況は良くない。

 無理に帰還をしようとすれば敵に発見される恐れが有り敵の援軍が遺跡の前の広間に合流すればもっと帰還が難しくなる。

 それだけではない外でグシオスが戦ったような実力者がまだ敵方に居るのであれば、質で劣る魔族側は防衛に有利なこの場で留まり長期戦を覚悟した篭城戦になってしまうのは明白だ。

 そしてグシオスの部下2名の食料の持ち合わせはあまり無い。

 携行品の携帯食で僅かながらに持ち堪える事は出来るかもしれないが戦いが篭城戦となればその程度では足りない。

 そしていずれは遺跡前の森で自前で食料調達しなければいけなくなりそれは敵に発見される確立が高くなる事を意味する。

 グシオスはそう想定していた。


 つまりグシオスの部下両名が置かれている状況は今の段階ではそう危険ではないが、長期的に見ると非常に生き延びるのが難しい状況なのだ。

 だからこそ今の段階で戦域外に逃走すれば命は助かるかもしれない。

 しかしながら上位者の力を理解し支配されているコボルトは命令も無しに戦場から引き上げるという事もグシオスはしないと思っていた。

 故にこのまま遺跡前に部下のコボルト達を放置していては助からない。

 だが、今ツルギが戦域外への撤退命令を出せばあの若きコボルト達は素直に命令に従い命を拾うことが出来るだろう。


 もはや自らに先は無いが、せめて部下を助けれるならば助けたい。グシオスはそう思っている。

 しかしながら別人の様に変わってしまっているツルギの様子を見るに下手をすると部下2名を放置しかねない。

 ならばなによりも部下の事を優先してツルギに頼んでおかねばならない。他に聞きたいことは山ほど有るがもはやグシオスには少しの余力も無い。

 だからこそこれだけは命尽きる前にツルギに対してこの事だけは言及しなければいけない。

 そう決意してグシオスは血泡を吹き出しながら更に言葉を続ける。


「指揮……官殿……どうか……あの2名の事を……お頼み……申し上げま……す」

「あぁ、もちろんですよ。彼等はボクの部下でもある必ず助けます。ボクはボクを信じるもの必ず救済するという誓いをむか――――クソがっ!またか!また!混ざってくる!!」


 突然、ツルギが頭を抱えながら自らが身に着ける腕輪を睨みつけて怒りの声をあげる。

 だが、怒りをぶつけられた腕輪は何も感じていないのか淡々とツルギに向かって言葉を投げかける。


「ご主人様、もうそろそろ限界かと思われます」

「あぁ、分ってるよ!でも、もう少しだけだ……グシオスさん、安心してください。二人は必ず助けます」

「それだけ……聞ければ……安し…………」


(あぁ、もう……こ……迄か……今度……こそ…………死……る)


 部下の安全が保障された事によりグシオスが最後の支えとしていた物が途切れ、一気に死へ向かって加速し始めたのだ。

 急速に失われていく意識の中グシオスはただ一言言葉を残そうとする。


「後は……お任せ……しま……指…………殿」


 疲れ、切り擦り切れた言葉を残してグシオスの意識がプツリと途切れた。


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