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この海じゃ溺れないと言っていたが、どういう事だろう。水中で息が出来るとでも言うのか? とりあえずはそれを確かめる為、軽く肺に息を溜めてから顔を水面に付けてみた。
知っての通り僕の肺は常に必要最低限の酸素を供給する以外に機能する事はほとんどなく、少しでも運動するとすぐにそれがおっつかなくなってしまう。当然すぐに息苦しくなるものだと思っていたのだが、僕は何故かいつまでも顔を付けたままでいられた。
水中で息が出来るのではなく、息苦しくならないのだ。むろん意識ははっきりしている。
一度水面に顔を上げ、息を吐き出してから、今度は空気中で息を止めてみた。するとすぐに息苦しくなって来る。
まあ、常識とかを持ち出すのはやめにしよう。どのみちここはそれから大幅に外れた場所だ。
手足で水を掻き、深い場所へ向かう。抵抗はほとんどなく、どんどん潜れる。僕はレンガブロックのように勢い良く沈んで行った。通常なら水圧とか潜水病とかってのを気にしなくちゃいけないんだろうけど、水は羽毛布団の中身のように柔らかい。これに押し潰される事はなさそうだ。
幻想美に溢れた、夢現のような光景だった。海中に差し込む光の筋は絶え間なく形を変える波間に合わせ、オーロラのように輝いている。体の向きを変えて海面を見上げると、緩やかに歪んだ空とヨットの半分がおぼろに見えた。
海は想像していたよりもずっと浅く、すぐに底についた。なめらかに波模様を作った砂地がどこまでも続いている。
どれもこれも感動的な美しさではあるが、生命の姿は影も形も見えないのが不思議だった。小魚一匹いないし、海草も見当たらない。生命の母と言うより、水槽の中のような無機質なイメージだ。その事がもう一つ心を揺さぶってくれない。
さて、海里の言うようなヒントを探し、僕は水中をさまよった。もちろん別れ際の彼女の言葉は忘れていなかったから、ヨットの……あの、何て言うんだ? 水中に没してる羽みたいな、引っくり返らないようにバランスを取る重りみたいな部分。ボトルの中では省略されてた、あれ。バラストってのかな。あれを見失わない程度の範囲にとどまっていたけれど。
そしてある時、海底に没した巨大な影を見つけた。
最初は岩場だと思ったのだが、それにしては人工的な直線や白い部分がある。更に近付き、折れたマストらしいものやゆらゆら泳ぐ破れた帆を目撃するに至って、ようやく元が何なのか理解できた。
沈没船だ。何もない海底にただ一つ、ほぼ原型を保ったそれがぽつんと転がっている。映画で見るやつだと大抵藻や海草に浸食されているのだが、これはついさっき沈んだばかりのように真新しい。




