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からくり道中浪漫譚―白詰草異聞―  作者: ロマリアス
白虎編

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白虎編 第一話 【河童、茶屋に居つく】

 皇都を吹き抜ける風には、まだわずかに冬の冷たさが残っていた。

 羅馬という旅人が皇都を去ってから、三か月。


 町は何事もなかったかのように、蒸気を吐き、歯車を回し、人々の暮らしを運び続けている。

 皇都の片隅にある小さな時計店でも、大小さまざまな時計が、互いに競うように時を刻んでいた。


 カチ、カチ、カチ――。

 壁一面に並べられた振り子時計。

 硝子棚に収められた懐中時計。

 歯車の噛み合う音に混じって、時折、蒸気式の置き時計が小さく息を吐く。


 その中心で、毒島は細い工具を片手に、分解した懐中時計を睨みつけていた。

「……ったく。歯が三枚も欠けてやがる」

 黒く染まった指先で小さな歯車を摘み、灯りに透かす。

「これで『昨日まで普通に動いていた』だと? 

時計は持ち主に似るってのは本当らしいな。

どいつもこいつも、壊れるまで黙ってやがる」


「時計相手にも相変わらず口が悪いな」

 声がした。

 毒島の手が止まる。

 店の奥に掛けられた時計が、ちょうど正午を告げた。

 ボーン――。

 低い鐘の余韻の向こうに、ひとりの男が立っていた。

 上等な外套。隙なく整えられた襟元。胸元には、皇都技術者局の徽章。

 毒島は一度だけ男を見て、すぐに作業へ視線を戻した。

「……時計を直しに来た面じゃねえな」

「久しぶりだな、毒島」

「帰れ」

「挨拶くらいさせろ」

「今しただろ。用は済んだ」


 男――技術者局長の安藤は、店内を見回した。

 小さな店だった。

 だが、棚の上に並んでいるのは時計だけではない。

 壊れたからくり人形の腕。

 ひび割れた神具。

 用途の分からない真鍮製の装置。

 毒島が技術者局にいた頃と変わらぬ工具箱が、作業台の下に置かれている。


「悪くない店だ」

「褒めても茶は出ねえぞ」

「出す気があるような言い方だな」

「ねえよ」

 毒島は懐中時計の蓋を閉じた。

 修理は終わっていない。それでも安藤が帰るまでは、細かな作業などできそうになかった。


「それで?」

 毒島は椅子の背にもたれた。

「局長様が、こんな場末の時計屋まで何の用だ」

 安藤は答えず、外套の内側から細長い封筒を取り出した。

 作業台の上に置かれたそれには、技術者局の封蝋が押されている。

 毒島は手を伸ばさない。


「ここ数か月、皇都の各所で不可解な観測値が出ている」

「観測器の故障だろ」

「同じ型の観測器が、同じ時期に、離れた場所で一斉に故障したと?」

「なら作った奴の腕が悪い」

「お前が基本設計をした機器だ」

「なおさら信用ならねえな」

 安藤は小さく息を吐いた。

「地下圧、蒸気流、天礎石炉の出力。どれも単独なら誤差で片づけられる程度だ。だが、それらが一定の周期で同時に乱れている」

 毒島の目が、わずかに細くなる。

「周期は?」

「封筒の中だ」

「持って帰れ」

「聞いておいてか?」

「世間話だ」

「お前は昔から、世間話で観測周期を聞く男だったな」

 毒島は煙草を一本取り出した。

 火はつけず、指で弄ぶ。

「俺はもう技術者局の人間じゃねえ」

「知っている」

「天礎石にも関わらねえ」

「それも知っている」

「なら話は終わりだ」

「終わってはいない」

 安藤の声から、わずかな柔らかさが消えた。


「今はまだ、小さな揺らぎにすぎない。だが、皇都の下で何かが起きている。それが技術的な問題なのか、我々の理解の外にあるものなのかさえ分からん」

「だから何だ」

「皇都には、お前の力が必要になる」

 時計の音だけが、店内を満たした。

 毒島は封筒を見なかった。

 安藤の顔も見なかった。

 手の中の煙草が、わずかに軋む。


「………わかってるんですよ」

 掠れた声だった。

「そんなことは……」

 安藤は何も言わなかった。

 正論で追い詰めるために来たのではない。

 それを分かっているからこそ、毒島には腹立たしかった。

 そのとき。

 店の奥から、けたたましい金属音が鳴り響いた。

 ジリリリリリリリ――!

 安藤が振り向く。


 壁際の棚に、真鍮と黒木で作られた奇妙な箱が置かれていた。側面には小さな発声筒、前面には数字の刻まれた円盤がついている。

「それは?」

「電話だ」

「電話なら局にもある」

「こいつは交換手を通さず、登録した相手に直接つながる」

「……いつの間にそんなものを」

「暇潰しだ」

「暇潰しで皇都の通信技術を飛び越えるな」

 毒島は受話器を取った。

「はいよ。毒島時計店」

『毒島さん!?』

 大きな声が筒から飛び出し、毒島は思わず受話器を耳から離した。


「朝から声がでけえな、亜呂」

『もう昼ですよ! それより大変なんです!』

「お前の大変は話半分に聞くことにしてる」

『とにかくすぐにみつば茶屋へ来てください!』

「何があった」

 電話の向こうで、何かが倒れる音がした。

 続いて、誰かの慌てた声。

 そして亜呂が、息を吸った。


『河童が倒れてるんです!』

 毒島は黙った。

 安藤も黙った。

「……何が倒れてるって?」

『河童!』

「聞き間違いじゃなかったか」

『お願い、早く来て! 水を飲ませても目を覚まさないの!』

 そこで電話は切れた。

最後の亜呂の言葉が敬語ではなくなった事で

かなり切羽詰まっていると毒島は思った。

 毒島は受話器を見つめ、ゆっくり元の位置へ戻した。

「時計屋というのは、河童の往診もするのか」

「知らねえよ」

 毒島は作業台の下から修理箱を引き出した。

「だが呼ばれちまった」

「毒島」

「封筒は置いてけ」

 安藤はわずかに眉を上げた。

「読むのか?」

「作業台が傾いてんだ。脚の下に敷く」

「そういうことにしておこう」

 毒島は外套を羽織り、店を出た。

 扉が閉まる直前、安藤が言った。

「困った奴を放っておけないところは、昔から変わらんな」

「うるせえ」

     *

 みつば茶屋の前には、小さな人だかりができていた。

 毒島が押し分けて中へ入ると、亜呂が店の奥で膝をついている。

「毒島!」

「どけ。見せろ」

 畳の上に、小柄な生き物が横たわっていた。

 緑色の肌。丸い嘴。背中には甲羅。

 深い藍色の着物を身につけ、頭には水を湛えるための皿がある。


「……本当に河童じゃねえか」

「だからそう言ったでしょう!」

「お前の話は時々、現物を見るまで信用できねえんだよ」

 毒島は河童の首筋へ指を当てた。

 呼吸は浅いが、途絶えてはいない。

「どうしてここに?」

「茶屋の裏口を開けたら倒れてたの。水をかけても、飲ませても駄目で……」

「皿の水が抜けてる」

 毒島は湯飲みを手に取り、皿へ少しずつ水を注いだ。

 乾いて白っぽくなっていた皿の縁に、湿り気が戻る。

 河童の指が、ぴくりと動いた。

「きゅうりはあるか」

「あるけど……」

「持ってこい」

 亜呂が台所からきゅうりを一本持ってくる。

 毒島が河童の鼻先へ近づけると、その嘴がわずかに動いた。

「……きゅうり」

「起きてるじゃねえか」

 河童の目が、ゆっくりと開いた。

「ここは……」

「みつば茶屋よ。あなた、裏で倒れていたのよ」

 亜呂が優しく声をかける。

 河童は亜呂を見た。

 次に毒島を見た。

 その後ろにいる野次馬を見た途端、目を見開いて着物の襟を掴んだ。

「ひ、人間がいっぱい……!」

「茶屋だからな」

「見ないでください!」

「誰も好きで見てねえよ」

「毒島!」

 亜呂が睨む。

 河童は身体を丸めながら、恐る恐るきゅうりを受け取った。

「名前は?」

「……源六と申します」

「どこから来たの?」

「川を泳いでいたのであります。見たことのない水路へ入りまして……それから右へ、左へ、また右へ……」

「迷ったのね」

「迷ってはいないのであります」

 源六は小さくきゅうりを齧った。

「帰る道が分からないだけで」

「それを迷ったって言うのよ」

「……そうなのでありますか」

 毒島は皿にもう一度水を足した。

「腹が減って、皿も乾いて、ここまで来て力尽きた。それだけだな」

「たぶん……」

「人騒がせな河童だ」

「申し訳ありません……」

 亜呂が毒島の腕を叩いた。

「弱ってる相手に、いちいち余計なこと言わないの」

「弱ってる奴がきゅうりを半分食うか」

 源六の手には、すでに半分ほどになったきゅうりがあった。

 源六は気まずそうに、それを背中へ隠した。

 そのとき、茶屋の外から悲鳴が聞こえた。

「子どもが落ちたぞ!」

「水路だ!」

 源六の顔が変わった。

 先ほどまでのおっとりした表情が消え、皿の水が細かく震える。


「……水の音が、おかしい」

「何?」

 源六は立ち上がった。

 まだ足元はふらついている。

 それでも、止める間もなく茶屋の外へ駆け出した。

「ちょっと、源六さん!」

     *

 茶屋から少し下った通りには、生活用の水路が走っている。

 普段は穏やかな流れだが、その日は上流の水門が開かれたばかりで、水かさが増していた。

 幼い男の子が、流れに呑まれている。

「誰か! 誰か助けて!」

 母親の叫び声。

 集まった人々は水路の縁に立つが、流れが速く、手を伸ばすことさえできない。

 その横を、小さな影が駆け抜けた。

「源六さん!」

 亜呂の声を背に、源六は水路へ飛び込んだ。

 水面から姿が消える。

 悲鳴が上がった。

 数秒後、少し下流で緑色の手が水面を割った。

 源六は片腕で子どもを抱え、もう一方の手で流れを掻いていた。

 水中では、先ほどまで倒れていたのが嘘のように速い。

「縄だ!」

 毒島が叫ぶ。

 近くにあった荷車の綱を掴み、水路へ投げ込む。

 源六は綱を腕に巻きつけた。

「引け!」

 周囲の男たちが綱を掴む。

 毒島の合図で、一斉に引いた。

 源六と子どもの身体が、水路の縁まで引き寄せられる。

 亜呂が身を乗り出し、子どもの腕を掴んだ。

 皆で引き上げる。

 子どもは激しく咳き込み、水を吐いた。

「よかった……!」

 母親が駆け寄ろうとした、そのときだった。

「河童だ!」

 誰かが叫んだ。

「河童が子どもをさらったぞ!」

 空気が変わった。

 源六はびくりと身体を震わせた。

 人々の視線が、子どもを救った者を見る目から、得体の知れない妖怪を見る目へ変わっていく。

「違います!」

 亜呂が源六の前に立った。

「この子を助けたのよ!」

「河童は人を水に引き込むっていうじゃないか!」

「子どもを抱えていたぞ!」


「だから助けたんだ!」

 毒島の怒声が飛んだ。

 群衆が静まる。

 毒島は濡れた源六を指した。

「よく見ろ。子供の着物は上から下まで水を吸ってる。」

 源六が後ろから抱き留めた跡が濡れた着物にも

残っていた。

「さらうつもりなら、わざわざ流れに逆らって岸まで戻るか。少しは頭を使え」

「ですが……」

「それとも何だ。助けられもしなかった奴らが、助けた奴を化け物扱いして安心したいのか」

 誰も答えなかった。

 源六は俯いたまま、身体を小さくしている。

 やがて、子どもが目を開けた。

「……お母さん」

「良かった!」

 母親が抱きしめる。

 男の子はしばらく泣いていたが、やがて母親の肩越しに源六を見た。

「河童さん……」

 源六が顔を上げる。

「助けてくれて、ありがとう」

 源六は目を瞬いた。

「あ……」

 何かを言おうとして、言葉が出てこない。

 結局、深く頭を下げた。

「ご無事で……何よりであります」

     *

 その日の夕方。

 源六は再び、みつば茶屋の隅に座っていた。

 濡れた着物は茶屋の軒先に干され、今は亜呂が用意した大きめの浴衣を着ている。

 毒島は向かいに座り、茶を啜った。

「で。帰り道は分かったのか」

「はい。水路のつながりは覚えました」

「なら、いつ帰る」

「……もう少し、皿の水が落ち着いてから」

「さっき元気に泳いでただろ」

「あれとこれとは別なのであります」

 源六は皿を両手で守るようにしながら、茶を飲んだ。

 その前には、切ったきゅうりが山盛りになっている。

「すっかりくつろいでるじゃねえか」

「ここのお茶は、とてもおいしいのであります」

 亜呂が笑った。

「好きなだけ飲んでくれていいですよ」

「お前はすぐそうやって餌づけする」

「言い方!」

 戸が開いた。

 昼間の男の子が、母親と一緒に立っていた。

 男の子の手には、小さな白い花が握られている。

「河童さん」

 源六が振り向く。

 男の子は源六の前まで歩き、その花を差し出した。

「これ、お礼」

 三枚の丸い葉と、小さな白い花。

 道端に咲く、ごく普通の白詰草だった。

「ぼく、お金も何も持ってないから……」

 源六は白詰草を見つめた。

 どうすればよいのか分からず、亜呂を見る。

「受け取ってあげなさい」

「ですが、ぼくは当然のことを……」

「そういうときは、ありがとうって言うのよ」

 源六はそっと白詰草を受け取った。

「……ありがとう、ございます」

 男の子は嬉しそうに笑った。

 源六は花を大切そうに持ったまま、置き場所に困っている。

 毒島が面倒そうに言った。

「頭にでも載せとけ」

「頭に?」

「皿なら水もある。しばらくは枯れねえだろ」

「なるほど……」

 源六は白詰草を、皿の水へそっと浮かべた。

 白い花が水面の上で揺れる。

 男の子は満足そうに頷いた。

     *

 それから七日後。

 毒島がみつば茶屋を訪れると、源六はいつもの隅に座っていた。

 目の前にはお茶と、きゅうり。

「おい」

「毒島殿。こんにちはであります」

「帰り道は分かったんじゃなかったのか」

「分かっています」

「皿の具合も戻っただろ」

「戻りました」

「じゃあ、何でまだいる」

 源六は湯飲みを両手で包んだ。

「……ここのお茶が、おいしいので」

「帰る気ねえだろ、お前」

「そんなことは……」

 毒島は何かに気づき、源六の頭を見た。

「おい、亜呂」

「何?」

「花、増えてねえか」

 源六の皿には、男の子からもらった一輪だけでなく、小さな三つ葉が何本も生えていた。

 白詰草は水に浮かんでいるのではない。

 皿の中から、根を張るように伸びている。

 亜呂が目を丸くした。

「源六さん、これどうしたの?」

「分からないのであります。朝起きたら、このように……」

「抜いたのか?」

「抜こうとはしました」

「抜けなかった?」

「はい」

 毒島は無言で白詰草を一本摘まんだ。

 軽く引く。

 抜けない。

 少し強く引く。

「いたたたたた!」

「お前の一部になってんのかよ!」

「分からないのであります!」

 亜呂が笑い出した。

 源六は困った顔で、自分の皿に咲いた花を見上げようとする。

 当然、見えるはずもない。

「まあ、いいじゃないてすか。似合ってるもの」

「そうでありますか?」

「ええ」

 源六は少し照れたように笑った。

「では……しばらく、このままにしておきます」

「しばらく、ねえ」

 毒島は茶を一口飲んだ。

 その後、源六がみつば茶屋からいなくなる日は、ほとんどなかった。

 誰が決めたわけでもない。

 いつからそうなったのかも、誰も覚えていない。

 ただ、茶屋の隅にはいつも、白詰草を皿に咲かせた河童が座り、きゅうりを齧りながら茶を飲んでいた。

 皇都に、またひとつ。

 奇妙で、ささやかな縁が根を張ったのである。




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