青龍編 第七話 『白兎』
第七話 白兎
その噂が仁虎の耳に入ったのは、朝のことだった。
「……仁虎組から、ですかい?」
商人の男は、困り果てたように何度もうなずいた。
「へ、へえ。そう名乗っておりました。若い衆が三人ほどで……この辺りを守ってやっているんだから、月々これだけ払え、と」
差し出された紙には、金額が書かれている。
決して払えない額ではない。
だが、一度払えば終わる額でもない。
仁虎は紙を見たまま、黙っていた。
横にいた若い衆が声を荒らげる。
「親分! 俺らじゃありませんぜ!」
「分かってる」
低い一言だった。
それだけで、若い衆は口を閉じた。
商人がおそるおそる続ける。
「断った店は、品物を壊されたとも聞きました。しかも……」
「何だ」
「その……必ず仁虎親分の名を出すそうで」
仁虎の眉が、わずかに動いた。
金が欲しいだけなら、名前など何でもいい。
むしろ偽名を使った方が足はつかない。
それなのに。
わざわざ仁虎組を名乗る。
わざわざ仁虎の名を残す。
「……何軒だ」
「私が知っているだけで、四軒ほど」
仁虎はしばらく考えてから、顔を上げた。
「分かった。もう払う必要はねえ」
「しかし……」
「俺がそう言った」
商人は目を瞬かせた。
やがて、深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
男が帰ったあと。
仁虎は腕を組んだまま、部屋の隅へ目を向けた。
「宇佐美」
「はいはい」
柱にもたれていた少女が、面倒そうに顔を上げた。
「調べればいいんでしょ」
「まだ何も言ってねえ」
「その顔で分かるって」
「どんな顔だ」
「面倒事を人に押しつける顔」
「誰が面倒事だ」
「どうでもいいんだけどさ」
宇佐美は柱から背を離した。
「四軒。場所教えて」
*
一軒目。
二軒目。
三軒目。
宇佐美は店主たちの話を聞きながら、ほとんど質問をしなかった。
男は何人だったか。
いつ来たか。
どちらから来て、どちらへ帰ったか。
何を言ったか。
どこに立っていたか。
どちらの手で金を受け取ったか。
そんなことを、時々ぽつりと尋ねるだけだった。
四軒目を出たところで、宇佐美は足を止めた。
「……変だな」
被害に遭った店はいずれも、大通りから一本外れた場所にある。
人目は少ない。
だが、客は多い。
噂が広まるには、ちょうどいい。
「金だけなら、もっと楽な店あるじゃん」
宇佐美は通りを振り返った。
三人組の人相は店によって多少違っていた。
だが、共通することがある。
仁虎組について、中途半端に詳しい。
仁虎の名を知っている。
普段、若い衆がどの辺りを巡回しているかも知っている。
組の紋まで用意している。
なのに。
「……うちの人間のことは、ちゃんと知らない」
宇佐美は口に放り込んだ金平糖を噛んだ。
かり、と小さな音がした。
「誰かに教わった?」
その日の夕方。
宇佐美は、一軒の乾物屋の向かいにいた。
屋根の上。
瓦の陰へ身体を伏せている。
暮れかけた通りへ、三人の男が現れた。
店へ入る。
しばらくして、一人だけ出てきた。
懐が、入る前より僅かに膨らんでいる。
「……見つけた」
宇佐美が立ち上がる。
男が角を曲がる。
宇佐美は屋根を走った。
音はほとんどない。
男が振り返る。
その時にはもう、宇佐美は軒下へ身を隠している。
また歩き出す。
宇佐美も動く。
人の流れ。
店先。
荷車。
道端で話す職人たち。
そのすべてを使いながら、一定の距離だけは崩さない。
やがて男は大通りを離れた。
古い町家が並ぶ一角。
一軒の空き家らしい建物へ入っていく。
「……そこか」
宇佐美は屋根の上から、その家を見下ろした。
*
月が高くなった頃。
裏口の前に、宇佐美はしゃがんでいた。
細い道具を錠へ差し込む。
「……古いな」
指先をわずかに動かす。
かちり。
「終わったよ」
誰も聞いていないのに、小さく呟いた。
扉を開く。
中へ入り。
静かに閉める。
廊下には灯りがない。
奥から、男たちの話し声。
宇佐美は壁際を進む。
一歩。
二歩。
床板の癖を見る。
踏めば鳴る場所。
沈む場所。
古い釘。
木目。
そのどれもが、道しるべになる。
角へ差しかかったところで。
足音。
「……?」
宇佐美が止まった。
予定より早い。
しかも、一人ではない。
「おい、酒まだ残ってたか?」
「さっきお前が全部飲んだろ」
男が二人。
こちらへ来る。
宇佐美は一度だけ周囲を見た。
部屋。
襖。
天井。
梁。
次の瞬間。
鉤縄が音もなく梁へ掛かる。
身体を引き上げる。
二人の男が真下を通った。
「帳面、二階だったよな」
「ああ」
宇佐美の目が僅かに細くなる。
二階。
――目的と同じ場所。
二人はそのまま階段を上がっていった。
「……面倒」
宇佐美は梁の上で呟いた。
だが、帰らない。
男たちの足音。
扉の開く音。
話し声。
そして。
しばらくして、一人が階段を降りてきた。
もう一人は二階に残った。
「最悪」
宇佐美は音もなく床へ降りた。
予定を変える。
正面から二階へは行けない。
なら。
外から行けばいい。
*
縁側から裏手へ回る途中。
古い居間があった。
部屋の中央に、囲炉裏。
火は落ちている。
長い間使われていないのだろう。
白っぽい灰だけが、静かに積もっていた。
宇佐美の足が止まる。
「…………」
灰を見る。
ほんの一瞬。
その表情が強張った。
指先が、僅かに固くなる。
「…………」
やがて。
宇佐美は囲炉裏から目を逸らした。
何も言わない。
そのまま、裏手へ向かった。
*
二階の窓。
外壁に指を掛け。
音を立てずに身体を持ち上げる。
中を見る。
男が一人。
机へ向かい、帳面を眺めている。
「……」
宇佐美は待った。
男が欠伸をする。
立つ。
部屋を出る。
階段の方へ。
宇佐美は窓から滑り込んだ。
机。
帳面。
封蝋。
そして、見覚えのある紋。
「……趣味悪」
仁虎組の紋を模した印だった。
よく出来ている。
遠目なら分からない。
宇佐美は引き出しを開ける。
一冊の帳面。
被害店舗の名前。
金額。
日付。
そして。
まだ被害に遭っていない店の名前まで並んでいる。
「……やっぱり」
ページをめくる。
そこには、金を取ること以上に奇妙な指示が書かれていた。
――仁虎組の名を必ず告げること。
――拒んだ店には、仁虎の名を残すこと。
――人目のある場所では、組の紋を隠さぬこと。
宇佐美の目が細くなる。
「金じゃない」
仁虎組がやったと思わせたい。
仁虎組を恐れさせたい。
仁虎という男の名を、汚したい。
「……恨みか」
宇佐美は道具袋から紙を出した。
必要な箇所だけを写していく。
あと二行。
その時。
階段が鳴った。
「…………」
足音。
戻ってくる。
宇佐美は筆を置いた。
写しを見る。
墨が乾いていない。
「……ちょっと待ってよ」
帳面を元へ戻す。
引き出し。
印。
紙。
机の上。
入った時の状態を頭の中で再現する。
足音が近づく。
一歩。
二歩。
宇佐美は写しを折れない。
擦れば墨が滲む。
証拠が読めなくなる。
「……」
窓を見る。
まだ間に合う。
宇佐美は紙を片手に持ったまま、窓枠へ足を掛けた。
扉が開く。
「ん?」
男が部屋へ入る。
机を見る。
窓を見る。
閉まっている。
「……気のせいか」
男は頭を掻いた。
その外。
軒下。
宇佐美は片手だけでぶら下がっていた。
もう片方の手には。
乾ききっていない写し。
「…………重」
小声で呟く。
墨が乾くまで。
宇佐美はそのまま耐えた。
*
翌朝。
仁虎の前へ、一枚の紙が置かれた。
「ただの騙りじゃなかった」
仁虎が紙を取る。
「どういうことだ」
「最初から、仁虎組の評判落とすつもりでやってる」
「証拠は」
「そこ」
「現物は?」
「置いてきた」
近くにいた若い衆が目を丸くする。
「え? 盗ってこなかったんですかい?」
宇佐美がそちらを見る。
「なんで?」
「なんでって、証拠なら持って帰った方が……」
「なくなったら逃げるでしょ」
「……あ」
「今なら向こうは、誰にもバレてないと思ってる」
宇佐美は紙を指で叩いた。
「次に金取りに来たところ押さえて、同時に根城へ入ればいいじゃん。帳簿も偽の印も、全部そこにあるんだから」
若い衆は黙った。
仁虎が紙から目を上げる。
「間違いねえか」
「うん」
「全部見たんだな」
「見た」
「そうか」
それだけだった。
「場所は?」
宇佐美が答える。
仁虎はすぐに若い衆へ指示を出した。
一人が、少しためらう。
「親分。その……念のため、もう一度誰かに確認させますかい?」
仁虎が振り向いた。
「何をだ」
「いえ、宇佐美が見たってのは分かりますが……」
「こいつが見たっつってんだ」
仁虎は言った。
「なら間違いねえ」
「…………」
宇佐美は仁虎を見る。
仁虎はもう、次の指示を出していた。
特別なことを言ったつもりなどないらしい。
宇佐美も、何も言わなかった。
「宇佐美」
「何」
「後は俺らがやる」
「まだ手伝えるけど」
「寝ろ」
「まだ朝なんだけど」
「夜通し動いてただろうが」
「…………」
宇佐美が自分の顔を触る。
「なんで分かるの」
「顔見りゃ分かる」
「……どうでもいいんだけどさ」
小さく息を吐く。
「そういうとこだけ、妙に鋭いよね」
「だけって何だ」
その時だった。
「仁虎くーん」
奥から声がした。
白い小さな虎が、廊下の向こうから歩いてくる。
「お腹空いた」
「さっき食っただろ」
「さっきはさっきだよ」
白虎が部屋へ入り――。
宇佐美と目が合った。
「…………」
「…………」
宇佐美がしゃがむ。
「……何?」
「触っていい?」
「いいけど」
宇佐美の両手が伸びた。
わしゃわしゃわしゃ。
「わっ! ちょっと!」
「……かわいい」
「宇佐美ちゃん! 僕、白虎だよ!?」
「知ってる」
「神獣だよ!?」
「知ってる知ってる」
宇佐美が前脚を見る。
「肉球ある?」
「敬ってよ!」
仁虎が額を押さえた。
*
その日の夕方。
旅籠ひぐらしの食卓には、いつもより少し多く膳が並んでいた。
「あら。宇佐美ちゃん、珍しいわね」
奏々世が笑う。
「仁虎さんと一緒に来るなんて」
「連れてこられただけ」
「飯食うぞっつったら付いてきただろうが」
「お腹空いてたから」
「はいはい」
奏々世は楽しそうに宇佐美の前へ膳を置いた。
「今日はたくさん食べてね」
「……どうでもいいんだけどさ」
宇佐美が膳を見る。
「多くない?」
「夜通しお仕事だったんでしょう?」
「……誰に聞いたの」
奏々世が首を傾げる。
「聞いてないわよ?」
「じゃあなんで」
「顔を見れば分かるもの」
宇佐美がゆっくり仁虎を見る。
「何だ」
「同じこと言われた」
「俺と一緒にすんな」
「なんでそっちが嫌そうなのよ」
向かいから笑い声がした。
亜呂だった。
「お疲れさまです、宇佐美さん」
「亜呂」
「仁虎さんから聞きました。大変なお仕事だったそうですね」
「大したことじゃないよ」
「でも、一人で入り込んで、誰にも気づかれずに証拠を見つけたんですよね?」
「まあ」
亜呂の目が少し輝く。
「すごいですね」
「…………」
「どうしたんですか?」
「……どうでもいいんだけどさ」
「はい?」
「亜呂って、そうやって誰でも褒めるの?」
亜呂は少し考えた。
「いいえ?」
「え」
「本当にすごいと思った時だけです」
「…………」
「だから、すごいです」
「……そう」
宇佐美は味噌汁へ視線を落とした。
その耳が少しだけ赤いことには、誰も触れなかった。
「宇佐美ちゃん」
足元から声。
「ん?」
白虎が宇佐美の膳を見上げている。
「それ、お肉?」
「そうだけど」
「おいしそうだね」
「…………」
宇佐美は肉を一切れ取った。
「はい」
「ありがとう!」
「おい」
仁虎がすぐに気づく。
「やるな。甘やかすな」
「一個くらいいいじゃん」
「さっきも食わせてただろ」
「……一個だけ」
白虎が言った。
「三個だよ」
「言わなくていいの!」
亜呂が口元を押さえる。
奏々世も笑っていた。
「宇佐美って、白虎には優しいんだね」
羅馬だった。
「は?」
「だって、自分のお肉あげてる」
「余ってたの」
「まだ食べてないのに?」
「…………」
「余ってるかどうか、まだ分からなくない?」
「うるさいな」
「そう?」
「そう!」
羅馬は不思議そうに首を傾げ、自分の膳へ戻った。
しばらくして。
ふと。
宇佐美の箸が止まる。
羅馬の膳を見る。
ご飯はほとんどない。
味噌汁もない。
煮物も食べ終わっている。
なのに。
焼き魚だけが、ほぼ手つかずで残っていた。
「……羅馬」
「ん?」
「それ嫌いなの?」
「何が?」
「魚」
「好きだよ」
「いや、残ってるじゃん」
「最後に食べるから」
「なんで?」
羅馬は、少し不思議そうな顔をした。
「一番好きだから」
「…………」
宇佐美が箸を置いた。
「好きだから最後?」
「うん」
「なんで?」
「最後に一番好きなものを食べたら、いい気分で終われるでしょ」
「…………」
宇佐美が魚を見る。
もう湯気は立っていない。
「でもさ」
「うん」
「それ、最初より冷めてるよね」
「…………」
羅馬も魚を見る。
「……そうだね」
「一番好きなものを」
「うん」
「わざわざ一番冷めた状態まで待って食べてるってこと?」
「…………」
羅馬は考えた。
かなり真剣に考えた。
「……確かに」
「馬鹿じゃないの!?」
「そうかも……」
「…………」
宇佐美の顔が、僅かに曇る。
「……いや、そこで傷つけとは言わないけどさ……」
「別に? 傷ついてはないよ?」
「傷つけ!」
「なんで!?」
亜呂が吹き出した。
「ふふっ……」
「亜呂、笑ってる場合じゃないから」
「す、すみません」
「羅馬、前からこうなの?」
「はい。ずっとです」
「誰か教えてあげなよ!」
「でも、羅馬さん、いつも嬉しそうだったので……」
「優しさの方向間違ってるでしょ!」
奏々世が笑いながら茶を注ぐ。
「じゃあ羅馬さん。今日は冷めきる前にいただいたら?」
「そうする」
羅馬が魚へ箸を伸ばす。
宇佐美がじっと見る。
「……食べるんだ」
「冷める前に」
「今まで何年そうしてたの?」
「覚えてないなあ」
「人生の無駄じゃん」
「そうかもね」
「だから少しは傷つけって!」
白虎が下から言う。
「宇佐美ちゃん」
「何」
「なんで羅馬くんに傷ついてほしいの?」
「お前もそっち側か!」
食卓に笑い声が広がった。
宇佐美は不満そうに口を尖らせた。
けれど。
奏々世に差し出された二杯目の飯は、結局きれいに平らげた。
*
夜。
秘乃湯。
暖簾はもう下ろされていた。
「……はぁ」
番台にいた幽解夏が、入口を見る。
「また来たのかい」
「疲れた」
「見りゃ分かるよ」
「じゃあ入れて」
「もう閉店だよ」
「知ってる」
「知ってて来るんだから質が悪いねぇ」
そう言いながら。
幽解夏は立ち上がった。
「奥」
「ん?」
「今日は足と肩だろ。薬草変えてある」
「…………」
宇佐美が幽解夏を見る。
「何だい」
「別に」
「なら早く入りな」
「はいはい」
*
「はぁぁぁ…………」
湯船の中。
宇佐美は肩まで湯に沈んでいた。
薬草の匂い。
湯気。
静かな水音。
「……生き返る」
夜通し動き回った身体から、ようやく力が抜けていく。
「やっぱ、ここ最高……」
目を閉じる。
ちゃぷん。
「…………?」
宇佐美が目を開いた。
誰かが入ってくる。
幽解夏だった。
「――っ!?」
宇佐美が勢いよく沈む。
「がぼがぼがぼ……!」
「何してんだい」
宇佐美が顔を出した。
「ち、ちょっと! なんで入ってくるの!」
「んん?」
幽解夏が面倒そうに眉を上げる。
「あたしが、あたしの店の風呂に入って何が悪いんだい?」
「いや、それは……」
「しかも閉店後だよ」
「う……」
宇佐美が視線を逸らした。
「それ言われると……」
「文句があるなら営業時間に来な」
「仕事だったの」
「知ったこっちゃないねぇ」
幽解夏はそう言いながら、少し離れたところへ腰を落ち着けた。
二人並んで湯に浸かる。
「…………」
「…………」
宇佐美は妙に落ち着かない。
一方の幽解夏は、いつも通りだった。
「何だい」
「何が」
「さっきから落ち着きないねぇ」
「別に!」
「そうかい」
また沈黙。
湯気が静かに漂う。
宇佐美は天井を見上げた。
「……ねえ」
「ん?」
「あたしも……大きくなるかな」
幽解夏が横を見る。
「何が?」
「…………」
宇佐美が少しだけ固まる。
「……なんでもない」
「何だい、変な娘だねぇ」
「うるさいな……」
幽解夏が小さく笑った。
それから、ふと宇佐美を見る。
「あんたが仁虎のところに来てから、もう二年も経つんだねぇ」
「……急に何」
「十五だったろ」
「まあ」
「最初は手のつけられない、跳ねっ返りの生意気娘だったのに」
「ちょっと」
「人の話は聞かない」
「聞いてた」
「聞くだけ」
「…………」
「すぐ噛みつく」
「誰が犬よ」
「そういうところだよ」
「うるさいな……」
幽解夏は湯船の縁へ頭を預けた。
「それが今じゃ、仁虎の右腕とまで言われるようになるとはねぇ」
宇佐美が黙る。
「……言われてるだけだよ」
「そうかい?」
「頼まれたことやってるだけ」
「その仕事を任せられるようになったんだろ」
「…………」
「今日だって、また一人で面倒なことやってきた顔してるじゃないか」
「顔で分かるって、今日三人目なんだけど」
「そりゃ分かるよ」
「そんな分かりやすい?」
「分かりやすいねぇ」
「……最悪」
幽解夏が笑う。
「口では何とでも言えるからねぇ」
「何それ」
「別に」
「絶対なんかあるじゃん」
「知ったこっちゃないねぇ」
「ずる」
宇佐美は口元まで湯へ沈んだ。
ぶく、と小さな泡が出る。
しばらくして。
幽解夏が言った。
「だから、大きくなったじゃないか」
宇佐美が顔を上げる。
「……え?」
「あんたがさ」
「…………」
宇佐美は幽解夏を見る。
「……そっち?」
「何だと思ったんだい」
「なんでもない!」
「変な娘だねぇ」
「うるさい!」
宇佐美はまた湯へ沈んだ。
今度は鼻の下まで。
少しして。
「……幽解夏」
「ん?」
「来週も来ていい?」
「駄目って言ったら?」
「来る」
「じゃあ聞くんじゃないよ」
「……まあ、いいか」
湯気の向こうで。
宇佐美が、ほんの少しだけ笑った。




