第十二話 宮地・洗波干渉
莽薙の宮地への旅から実に半年が経った冬の最中の事だった。宮地治雄との往来によって関係が修復されつつあったその頃に、濁流がその苗を流そうとしていた。
「莽薙さま!」
急いで別館の戸を開けたのは外交を統括している東国久。その時の顔は血の気が引いて青白くなっている。戸を開けているのに何度も資料を見返していた。
「あの……、寒いから入ったら?」
東国久はそれに気づいて急いで扉を閉めてコートを脱いで資料を莽薙の机に置く。服装といい、この別館の様式といい、半年でもって政府の主要機関は殆どが海外式に切り替わっている。ちなみに糀谷三郎と荒川実義は未だに一度も洋式の服には袖を通したことは無い。
「その資料をご覧になってくださいませ!」
莽薙がその資料を見る。その紙には隣国のミゼルボートからの内容が書かれていた。
「宮地王国及び先波共和国の独立を尊重し、国交の断絶を要求する」
こんなにも短い文章が、国が立ってから間もない国家の根本を揺るがすのには十分すぎる内容だったのは間違いない。東はその資料を渡して間もないうちに、再びこの別館の扉を開けて逃げるように出て行った。莽薙が詳しく聞こうとしたときには既に扉が開いていた。
「……扉は閉めてよ」
結局東は政府の主要人物に情報を提供し、即日会議を招集する事になった。別館の大きなテーブルを柊、東、莽薙、実義、山本と新たに加わった長柄、颯垣が囲んだ。正に歴史の転換点とも言える運命を決める会合だった。
「ミゼルボートと言えば、昨年までに瑪地、来成亜、先月には留西安を武力もしくは脅迫で併合を行い、元柊家の所領「広翠地方」にて国境が接している状況。そんな彼らが宮地に手を伸ばしてきたともなれば、これは侵略と考えてもおかしくないのではなかろうか」
「それは早計、我々との関係を閉ざすために宮地を壁として残しているのやもしれん」
この期に及んで政策を対立している暇はなかった。対立する意見を纏めていかなければならない。それをする役目が莽薙だった。
「御伽家はどうお考えか」
莽薙は腕を組んで目を瞑りながら下を向いている。眉間にしわを寄せながら熟考していた。纏まらない彼らにとって彼の決断が全てだった。莽薙はゆっくりと目を開ける。
「長柄達の案であるイーサンド・ルイスに頼んで急いで陸軍の拡張を加速。しかし、地方振興は国家の発展を遅らせてしまう。ここは荒川達の案である一極集中型にしよう」
「陸軍の拡張をしては、海軍を疎かにし、糀谷や御伽家の島は完全に孤立化しますよ!」
「我が国の使用する海は殆どが海峡によって生じた内海に当たる。故に海の護衛の為にも陸軍は必要だ。外交は継続。宮地、先波そこに加えミゼルボートと交渉。ローシャング王国に意見を伺いながら慎重に進めよう。」
莽薙のその落ち着いた発言に全員が感嘆したが、この莽薙はとても疲れているだけである。半目で今にも寝てしまいそうな体を何とか起こしている状態が、ダウナーな政権運営者として荒川達に映ったのだった。
「最近なんか疲れてない?」
そんな莽薙を気遣うのは花蓮だけだった。会議終わりに会ったその一瞬だけで直ぐに察せた様子で、肩に手を乗せてきた時には少し驚いた。
「まぁ、大丈夫だよ」
「……そう?」
そんなやるせない気持ちで笑顔を振り撒いて執務室に戻ろうと歩み始めた。最近どんどん寒さが激しくなってきている。体調を崩さない程度にもう少し頑張らなければならない。なにせ自分が言い始めた事だし、自分の叶えたいことなのだから。
「やっぱ違うね、私の本心は気づいてる」
そう言ってもう一度花蓮の手がもう一度肩に手を置く。そして歩み出した莽薙を止めて、そのまま莽薙を止めるように前に立つ。
「私、貴方と長い間一緒に居たから分かる。ちょっと無理しすぎだよ」
「いや、これは僕がやるべきことだから」
「あー、確かに貴方はいつもそうやってた。誰にも肩を預けようとしなかった。でも私は通さないよ、今回は強制的でも止めるから」
「頼むどいてくれ……」
「どーかないッ!」
莽薙は頭を抱えてそのまま花蓮に向かって強引に歩き始める。花蓮の右腕に当たるが、花蓮だけの手では止められない。そこで左手を使い、全力で莽薙を後ろに引っ張る。
「……止まれぇぃ!!」
結局花蓮は諦めて別の手段を取る事にした。莽薙が何も言わずに部屋に入り、莽薙が席に座って資料に目を通し始める。少し経った後で花蓮が椅子を持って扉を開ける。
「……何やってんの?」
「こうなったらもう手伝うしかないでしょ!!」
「いや、これは……」
「しけてるわね、貴方の夢も私の夢なんだから。これがひと段落したらまた旅に行けるんでしょうね?」
そう言って莽薙の横に椅子を持ってくる。莽薙は呆気にとられた様子で、花蓮を止めることはできなかった。気づいた時には花蓮が横に座り、こちらを覗き込んで指示を待っている。自分もそうだが、花蓮も人の話を聞かない。そう思って莽薙は呆れて笑みがこぼれる。
「そうだね、それじゃあ頼もうか」
そう言ってするべきことを伝えて資料の整理と分配から始めた。さっきまでの疲れやストレスが噓のように晴れて行った。
「鳩海湾で私の横に居てくれたの覚えてる?」
「……そんなこともあったっけな」
「これ、あの時のお返しね。私はあの時助けられたから」
「冗談言うなよ、隣に居ただけだぜ?」
「いや、私は冗談下手だから言えないよ」
そんな会話をしながら視線と手の動きは完全に資料を見ていた。そんな時間もあっという間に過ぎていき、疲労感も感じなくなってきた——。
——そんな業務が続いた中で、気づけば梅の花が咲いていた。今年の梅は随分と長く開いているように感じる。何か吉報を待って散るのを我慢しているのだろうか。
「莽薙さま!」
そんな梅の花と共にあの時と同じように東国久が入ってくる。目を悪くしたのか眼鏡をかけている。焦りながら紙を置く動作もそのままだった。
「宮地王国が『建国議定書』に署名する方針を見せました!!」
「おお、マジか!」
「大マジにございます!」
そして莽薙が再び顔を見上げた時には既に東国久はおらず、扉が少し動いているだけだった。莽薙は再び詳細を聞けずに啞然としていた。横に居る花蓮が呆れながら扉を閉めて戻ってくる。大きなため息をしながら着席した。
「東さんって、いつもあんな感じよね」
「騒がしいというか、仕事人気質というか、まぁ、見てて愉快ではあるよ」
二人はお互いを見つめて笑い合う。
「それにしても、濁流が来る前に実が成って良かったね」
「ああ、嬉しい限りだ」
この日も会議が招集された。現状とこの宮地の意思表示をどう対応するか。今回の会議はあの時の会議のように意見が飛び交う物ではなく、宮地編入とミゼルボートへの懐疑的な面が多く残っている会議だった。しかし、今回の莽薙は意気揚々と自分の意見を発言した。
「宮地王国を早急に編入しよう。その準備を滞らせてはならない。」
「いや、ミゼルボートはどうするのですか……」
「この宮地の編入示唆は、『我々の国の為に御伽家が腕をまくり、血を流す覚悟があるか』を見ているように感じる。本来編入を望むのであれば事態が収まった時にするだろう。」
「しかし、それでは我が国が……」
「宮地家と御伽家は深い溝があった。それが埋まろうとしているのだ。自国の存立を犯してでも宮地の要求を吞んでやらねば、再び溝ができてしまい、同じ事が繰り返される。いや、次の溝はもっと深いものになるだろう。」
「今までの努力を無駄にしろと言うのか?」
「ミゼルボートも馬鹿ではない。諸列国の後ろの支援がある我が政権との戦争は望んでいないだろう。それに東、君がこの間寄越してくれた提案はどうなっている?」
全員が東の方を向く。東はそれに気づいて急いでカバンを探り、いろいろな資料を机の上に出して該当する資料を探す。東の手が止まった時に、東は恐る恐る立ち上がりながら発言する。
「……先波・宮地交換論ですよね?」
「ああ、それだ」
「先波の指導者、和田健二が『共和国独立の旨』を提示して『建国議定書』に署名する事を拒否されました。そこで我が政権として先波の干渉と宮地の干渉をミゼルボート国との取り決めで確定するのがよろしいと考え、先週広翠地方の宇津召にて会談しました」
莽薙以外の全員がそんな構想を聞いていなかったので、驚愕した様子で聞いていた。
「ミゼルボート外務局長、ウェイルズとの会談によって、暫定協定案が結ばれはしましたが、今後の会談で『先波・宮地交換論』が履行されると思われます……」
「だったな、このようにミゼルボートは我々との事を起こすつもりはないらしい。逆にこの状況を利用して、試してきた宮地へ少し高度な条件を着けて編入しよう」
「……失敗した場合は」
「その時に考える。今考えても失敗のパターンは多く存在するからな」
全員が黙り込む。ダウナー系指導者だと思われていた莽薙のこの血気盛んで意気揚々、堂々とした物言いは、全員に衝撃を与えることになる。だが、どこか安心するいつもの莽薙というような感覚がし、荒川と糀谷が拍手をした。颯垣も乗じて拍手し、長柄、東も拍手した。
「では、宮地王国は編入。ミゼルボートとの『先波・宮地交換論』の履行を進める。履行後は軍備縮小によって国家発展へと資金を向ける」
そんな会議も終わり、政権は宮地王国に対して編入許可と引き換えに全権の委任を要求。宮地は拒否せずにそのまま吞み込む事になった。莽薙の計らいで宮地家は王家として残す事になり、宮地治雄が政権に加入した。
ミゼルボートは勿論批判する事になるが、それ以上の事をすることなく、東との交渉を継続した。そこで結ばれた「ラガニア協定」によって交換論が認められ、政権は国家存亡の危機を脱する事になる。それがこの会議から二年後の事だった。




