第八話 宮地の北部より
まだ分からない事はこの世の中に沢山ある。全てを知るすべを持たないし、すべてを知る容量を脳は持たない。ならばせめて、自分に関係するようなことは知っておきたいと思う。
例えば今までに関わって来た物や人物の由来とか、情報とか。大事な事のできるだけ多くの情報を—。
「……とはいってもねぇ」
湯葉坂温泉郷を後にした莽薙達は悩んでいた。澄玲がどうしても行きたい場所が、向かうべき「牟婁勒」の更に西にあるらしい。「神社」とは言われたが、目的は何も言われることはなかった。
牟婁勒で国王の弟を探したいのだが、その西にある場所に向かってしまえば、予定は大きく変わってしまう。まぁ、それも含めて旅と考えればいい。大前提として仲間に迎えた自分の責任だ。ここは大人しく牟婁勒の西に向かうとしよう。
湯葉坂温泉郷から小芸那に戻り、そこから南下。そのまま宮地王国へと越境して牟婁勒方面に向かう。道中で牟婁勒に向かう道との分岐があり、その道を牟婁勒方面ではない方向へと進む。やがて道の両端は大きな木が立ち並ぶようになり、人の気配もない山奥へと進んでいく。
「そろそろの筈です、皆さんありがとうございます!」
「いや、いいんだけど、目的は………」
そう言葉を発していると、目の前に開かれた広場のような場所が見えてくる。それを見た澄玲は一目散にそこに向かって走り出す。それを追いかけるように莽薙達も走り始めると、澄玲の目線の先に大きな鳥居と社が建設されている。立派で山奥の割にはよく整備も清掃もされていた。
「犬養さん!私です、颯垣です!」
その声が社の敷地目一杯に響き渡る。その声に呼応するかのように森が優しく揺らぎ始める。そして奥から神主と思われる男と、巫女さん複数人が出てくる。
「颯垣さんはいつも神様に愛されておりますね。」
その神主は手招きして鳥居をくぐるように誘う。颯垣は鳥居の前で一礼して入る。莽薙達も一礼して入ると、先ほどまで見ていた社とは思えないほどに大きく荘厳に見えてくる。
「手水をしましたら拝殿の中にお入りください、そこで待っておりますから」
「はい、ありがとうございます」
澄玲は莽薙達を招いて手水を行い、神主達が入って行った拝殿へと向かう。靴を脱いぐ一つ一つの動作も、このような場所ではとてもゆっくりで丁寧にしてしまう。
中に入ると正面に神主が、両端に巫女が正座で座っている。敷かれた人数分の座布団に正座して座り込み、神主が口を開く。
「ようこそお参り下さいました。私、この「北宮神社」の宮司をしております。犬養です。こちらの左側に居るのが私の娘、犬養神子。右側は聖野神子です」
「禰宜さんは?」
「犬養禰宜は丁度今、牟婁勒へ向かっておりまして留守でございます」
莽薙は少し思い当たる節がある。名前を使わず、代わりに「神子」「禰宜」「宮司」などの役職名を名前に入れている。千々波に出会った時に言われたこと——
「神子は役職名なので、一般人で言う名前は千々波だけですね。溶礼道の巫女をしています!」
正にこの言葉ではないだろうか。終始「神子」をつけずに呼んでいたものだから忘れていたが、この神社と千々波と何か関りがあるかもしれない。そう思った時には口が先に出ていた。
「すみません、ここの宗教って溶礼道ですか?」
「あぁ……ええ、まぁ、そうですが……」
「千々波は、『千々波神子』と言う巫女を知りませんか……?」
正直、こんな山奥の神社が千々波の存在を知っている訳がない。でも少しでも可能性があればやらざるにはいられない。その思いが通じたのか、宮司は困惑の表情を浮かべる。
「あの、それを聞いて何を望まれているのか……」
「僕たちと一緒に世界を巡った仲間なんです。その出自を知りたくて——」
千々波は、出会う前のことは全く教えてくれなかった。そんな千々波の過去が知りたい。どんな過去でも寄り添ってあげたい。五年後に起き上がるその日までに知っておきたい。
——そんな感情とは裏腹に巫女達と宮司は戦慄した様子でざわつき始めた。宮司が巫女達を集めて少し会議を始めた。そこで話された内容は全く聞こえなかったが、その後の発言が宮司らの感情を物語っていた。
「……本当に、本当に千々波神子さんと旅をしたのですね?」
「はい、彼女はそう言っておりました」
「詳しく伺ってもよろしいですか?」
宮司は莽薙の話をじっくり聞き始めた。旅での出会いと溶礼術。溶礼道秘伝千々波特製回復薬の話。話しているとどれも楽しい思い出ばかりで、楽しさと虚しさがこみ上げてくる。花蓮も赤城も終始首を縦に振る。
宮司もその目を見て噓偽りのない目線である事に気づいたのか、拝殿の奥の扉を開け始めた。頑丈そうな大きな門を巫女達で開けると、向こう側に少し小さなお社が階段の先にひっそりと建っている。
その先は宮司が一人でゆっくり進み、その階段の先にある小さなお社の扉を開け始めた。中には暖簾がかかっており見ることはできなかったが、宮司その暖簾の中に入ってしばらくすると出てきた。
そして神主と巫女達が座っていた位置まで来るように言われた。何が始まるのか良くわからなかったが、それはすべて宮司が話してくれた。
「貴方達は噓偽りがないと判断して、本殿の扉を開けさせていただきました。」
「あの、どうしてこんな事を……」
宮司は振り返り、莽薙達に背を向けて本殿に顔を向ける。一息置いた所で宮司が衝撃の言葉を残す。
「千々波神子は『乳並神子の別名』です」
「……え?」
乳並神子は千々波が言っていた人物。溶礼道の神話で持慈礼羅大神に仕えて助けた神子。それが僕らの知っている千々波の正体なのか……?
「そして『溶礼道』は昔の名前。今は『神蕩』と呼ばれています。それを知る人物がこの時代に少女の姿でいるはずがない。溶礼術を使い、「乳瓢」「神乳布」「白響鈴」の神器を持っている。正直言って、神に等しい存在ですよ」
「え、溶礼道の神子さんは全てできるのではないのですか?」
「溶礼術ならまだしも、『三種の神器を持ち、溶礼道の名を知る少女』がこの時代にいない。信じたくはありませんけれども、そう断定しなければ……」
「『千々波』を苗字に持つ巫女ぐらいいるんじゃないのか?」
赤城が質問するが、宮司はあっさり首を横に振る。
「『千々波』や『乳並』はおこがましくて使えません。信仰強いほど避ける名前であるのに、『溶礼道』の名を知る人物が敢えてつけるなど考えられません」
三人に一気に寒気が襲った。だとしたら千々波は神なのか、本来の歳は幾つなのか、僕らとどんな感情で旅をしていたのか。もっと知りたくなってしまった。
「……今から祈禱をさせてください。きっと良いご利益があると思います。」
「もう十分ですよ、千々波について知れましたので」
「いいえ、祈禱します。神様がそう仰っているのです」
そう言って祈禱が始まった。その暖かく清らかな雰囲気に包まれる。宮司は目を瞑るように莽薙達に対して言い、莽薙達は全員目を瞑った。宮司の祝詞が始まったのと同時に、後ろからよく聞いた声が聞こえる。
「ナギ君、ハナミ、かねち……、赤城ー!」
その声を覚えている。心の中では振り向きたい思いが一心だったが、振り向くことはおろか、目を開けることも話す事もできなかった。
「私の正体がバレちゃったみたいだけど、気にしないで!私が生きてる中で一番楽しかった期間だったからさ~!!もっと良い思い出作りたかったけど、また今度だね!」
その声は徐々に小さく、遠くなって行くのを感じる。今にもそれを止めたい一心だったが、何もできない。全身に力が入らないのだ。
「ちょっと、そんなに力まないでいいよ、今は動けないからさ。あんな別れ方した後だからさ、姿見せたくないじゃん?ちょー恥ずかしい!!でも一つ伝えなきゃいけないの……」
そう言ってその声は少しトーンを上げて喋る。小さくなる声に対抗しているかのようだった。
「ありがとう、そしてさよなら。私はまた別の場所に行かなきゃ。五年後までに帰れるかわからないけどさ、ナッシーによろしくね。私はまたいつか会いに行くから!」
『溶礼道の名のもとに、最高の仲間達へ愛と祝福を込めて……』
宮司の祝詞が終わると、莽薙達の三人は一斉に後ろを向いた。しかし、そこにはただ揺れる木々と、石畳の広場が見えるだけで何もなかった。対して澄玲は寝ているかのように目を瞑ったままだった。
宮司が一連の儀式が終わり振り返ると、その異様な姿に驚いた。しかし、効果が得られた様子だったので、自分の責務を全うしたかのようににこやかに微笑んだ。
「……澄玲さん、終わりましたよ?」
宮司がそっと近づき澄玲の肩を揺らすと、瞑っていた目がゆっくりと開く。そして澄玲は驚いた表情を浮かべ、莽薙達と顔を合わせる。
「えっ、なんで私はここに……?」
「澄玲がここに来たいと言ったじゃないか」
「えっ、あぁ、何だかそんな気もしてきた。えっと…何で私はここに来たのかしら……。確かに颯垣家はお世話になってるけど……。」
「お仲間の千々波さんが導いて下さったようですね。」
とても不思議な体験が未だに信じられない。夢でも幻でも、もう一度千々波に会えたのは変わりない。なんだかんだ言って、過去を引きずっている幼稚な人間は、紛れもなく自分たちの方だった。




