第一話 帰国
鳥も空を飛びたくて飛んでいるわけではない。死にたい不死鳥が生きているように、鳥も陸を不自由なく歩きたい、水の中を不自由なく潜りたいのかもしれない。
だが、人間はそれを見て自由と言う。空中も水中も陸上も、鳥より遥かに自由に進むことができる人間が、なぜ鳥を自由だと呼ぶのか。その差異が人間には分からない。
ただ、これだけは言える。自由は縛られた先にしか存在しないという事。そして人間が見る「架空」と言う空は、いつ見ても普遍的な美しさを持つ事。
「ただいまー」
靴を脱ぎ、母の元へと向かうその一挙手一投足がとても懐かしい。同時に酷く最近のようにも感じるのだ。この家に帰って来てから直ぐに「いつもの」を取り戻した気がした。
「おかえりー、もうちょっとかかるもんだと思ってたけど…」
「まぁ、いろいろあってさ。ちょっと恋しくもなって来たし。」
「そう、無事で何より……」
母は出た時と変わらず机に資料となる本を山積みにし、鉛筆を動かしている。線を引いたり、文字を書いたり、矢印を書いたり、資料を見たりと、長い旅がなかったかのように母の業務も感情も、何も変わってないように見えた。
「あのさ、僕たちいろいろ旅してきてさ……」
「『思い出話』は後でも聞けるから、『やりたい事』『用意してほしい物』『してほしい事』これを教えて。これは時間がかかる話だからね。」
旅に出る前の自分は薄情だと思うだろうか。だが、今の自分は自分を助けてくれる意思表示をしてくれるように聞こえる。決して薄情じゃない、愛にまみれた美しい発言だった。
「僕はこの地に『理想郷』を作りたいです。」
母の鉛筆の手が止まる。いや、全身が動力源を失ったように固まっていた。花蓮達は聞いていて笑みがこぼれる。結局、彼らも思っている事は同じなのだ。
「……だから、『当主を譲ってほしい』」
母は鉛筆を置き、眼鏡をかけ直す。母の顔には笑みがこぼれていた。
「ようやく、言えるようになったわね。『当主になる理由』を……」
母は立ち上がって部屋を後にする。しばらく待った後に荒川実義がやって来る。彼は莽薙を見つめると、背中を見せてついてくるように言った。彼について行き、父の名残がかすかに残る奥座敷へと通された。その部屋は普段使うことは無い為、父の香りは当然せずに畳の新鮮な匂いが漂っていた。
「……ここで座って待ってなさい」
言われるがままに莽薙、花蓮、赤城、糀谷は正座をする。すると直ぐに莽薙だけが知る人物が入ってきた。
「莽薙様、家督継承、誠におめでとうございます」
「ありがとう、君は和義だっけ?」
「いかにも、荒川実義が長男『荒川和義』にございます。この和義、莽薙様の為なら……」
「あ、いいから、そういうの」
「……え?」
和義は啞然としている。そして自分の脳内で先程発した七十二文字を繰り返し再生。どこか失礼に当たる一節がないかを永遠に自問自答していた。
「『そういう礼儀作法はいらない』って事よ。」
「へ、あ、あぁ、そういう事でしたか……」
「ナギ君も誤解を与えるような話し方はやめなさいよ?」
「ん、どこが?」
最大の脅威は無自覚で他人を傷つける人間なのだと改めて感じた。確かに莽薙の言うように慇懃無礼になってしまっては良くないが、それが彼らの手法であることも忘れてはならない。尤も、莽薙は当主しか経験したことないから言えるのだろう。
「……莽薙さんはそう言う所ありますからね」
「敬語じゃん……」
「僕に対しても少し難しい命令でしたね……」
最初の犠牲者は糀谷だった事も忘れてはならない。
「兼通、帰って来てたのか」
「寒川か、久しいな」
「お、莽薙じゃん、おひさ~」
「おひさ~」
寒川はそのままドシッと胡座をかき、堂々たる態度で赤城と話を始める。礼儀正しい糀谷と荒川がバカのように見えてくる光景に、被害者のお互いが顔を合わせて呆れていた。
「久しゅうございます」
「吉郎おじさん、お久しぶりです」
口髭が立派な男爵のような男。山本吉郎である。彼は荒川や寒川に比べれば新参者ではあるが、龍帝の雑兵と言う地位より一から上り詰めた生粋のエリートである。
「さて、粗方要人は揃った事だろう。そのまま座ってくれ」
実義は入ってきた襖に一番近い所で座り込む。そしてその襖から細長い箱を持った母が入り、そのまま自分の前に箱を置いて目の前に座る。一気に空気が重苦しい儀式的な空気に包まれる。
「……莽薙、もう後には戻れないよ。それでもいいの?」
「勿論、僕には僕にできる方法で目指すよ」
そう言うと母は右手で優しくその箱を莽薙に向かって押し出す。莽薙は優しくその箱の両端を挟んで自分の膝に乗せる。
「ならば開けなさい。その中に入っている物が家督を証明するでしょう」
莽薙はゆっくりと箱を開ける。そこには脇差、大きな赤い宝石をつけたブローチ、そして鍵の束が入っていた。一つ一つが説明されないと分からないものばかりだった。
「……?」
「その脇差は儀式用の刀。父さんの葬式にも使ったでしょ?」
「いや、それ以外が……」
「そのブローチは異国の知り合いから貰った贈り物。御伽家の家宝には違いない。鍵の束はこの母屋と新屋、蔵と別邸の鍵。まぁ、とにかく全部の鍵。これが御伽家の家督を継ぐ者に与えられる物。受け取ったら新時代の始まりよ」
莽薙は特に赤いブローチに吸い込まれるように顔を近づける。そして手にとって良く覗き込んだ。これが新たな時代の始まりなのだ。
「御伽家の当主は本日より御伽莽薙です。どうぞ息子をよろしくお願いいたします」
母は深々と頭を下げる。それを見て莽薙も急いで箱を置き、振り返って同じように頭を下げる。畳の匂いが良く鼻に伝わって来るまで。今度は逆に全員が頭を下げ始めた。
「当主さま、家督相続おめでとうございます。最初のご命令はいかがいたしましょうか」
実義の声が部屋中に響き渡る。全員が莽薙の指示を待っていた。以前の自分であれば度肝を抜かれ、優柔不断な命令を下していただろう。だが、今は幾つもの修羅場を越えてきた者として自信のある命令が出せる。
「所領当主に馳せ参じるように伝えてください。全体で話し合います」
『ハハッ』
その瞬間に全員が起き上がり、荒川親子と吉郎おじさんは部屋を飛び出した。寒川もゆっくりと起き上がって部屋を後にした。そして母が莽薙に近づく。
「それで、思い出話を聞かせてくれる?」
そのまま思い出話に花を咲かせた。「死にたい不死鳥の話」「色々な家族を跨いだ絆の話」「真実と事実の狭間の話」「未来と共生する町の話」「魔女が支える自由の話」「貪欲な命についての話」どれも熱が入る多彩な冒険譚だった。母も笑いながら、時には涙を流しながら一喜一憂して話を聞いていた——。
——数日後、御伽家に従属している所領を持つ「糀谷家」「大石家」「柊家」の当主が御伽屋敷に集合した。それぞれが新たな当主の誕生を祝う所から始まった。
「新当主ご就任を、大石家を代表しまして、大石法規がお祝い申し上げます」
「ありがとうございます、大石おじさんもお久しぶりですね」
「は、はい……」
「同じく柊家を代表しまして、柊拓麿がお祝い申し上げます」
「ありがとうございます、柊さんもあまり畏まらなくてもいいですよ」
「え、えぇ……」
「……ナギ君、一応礼儀だからビシッと、シャキッとしなさい。言いたいことはわかるけど」
莽薙の後ろの側近として座る花蓮が耳元で囁く。それを聞いて莽薙は小さく頷き、背筋を伸ばして威厳あるように振る舞い始める。しかし、堅苦しいのも似合わない。目指すのならば仲山王やマリーさん辺りだろう。
「本日は私の一存で集まって頂き、誠にありがとうございます。」
「滅相もございません」
「集まっていただいたのは、我々の今後についてです」
一気に緊張感が高まったのがよくわかる。自分の夢、いやこの世界の夢を叶えるべき時が来たのかもしれない。そう考えればこんな緊張感は安い物だ。
莽薙は空気を静かに吸込んで吐き出す。肩の力を抜いて言葉を発する。その声は威力こそなかったが、相応の威厳を示す事になった。
「御伽家はこれより『理想郷建国』へと邁進する。」




