第七話 漆黒の運命
「何しに戻ってきた、一族の裏切り者が」
父は自分に対して酷い仕打ちをしてきた。故に多少の恐怖は克服されていると思っていた。しかし、それは単なる希望的観測であった。やはり「恐れる」という人間の防衛本能は、そう簡単に自己制御できるわけではない。
「お前も出来損ないに違いなかった。なぜこうなったのだろうな……」
なぜだろうか、自分自身の体であるのに、知り尽くしている体のはずなのに、慣れている環境であるはずなのに、冷や汗が止まるところを知らない。心拍も早くなっている。正直言ってここに来たことを後悔した。では、なぜ自分はここに来たのだろう。
「今日はもういい、独房で反省でもしてろ」
父は息子に向かって眉間を抑えて手で追いやる。しかし。この手法はいつもと違う。失敗すればすぐに手を上げていたのに。あの大きな手が振り下ろされていたのに。そう思っている矢先、一人の家来が凄い剣幕でやってきた。
「糀谷様、上空に火の玉が——‼」
父は早歩きでこちらに歩き、胸ぐらを掴んで外の景色を見せた。そこには上空に不自然な炎が漂っていた。陽炎のように周囲の景色を歪ませながら、炎は徐々に大きくなっていく。その炎は人々に惨憺たる現状を照らし示す業火である。人間の愛する火の脆弱性は何処にもない。こんなもの、人間が愛せるものじゃない。
「これがお前の望んだ未来なのか…?」
「こ、こんなはずでは…」
父は胸ぐらを掴んでいた手を下ろして部屋に戻っていった。その足取りはとても重く、とても遅いように見えた。
「判断を間違えるというのはそう言うことだ」
やがて朝になると炎が噴き出す灰が天を覆い、日の光は完全に遮断された。彼らに期待して押し付けたとはいえ、非常に呆れた。これまでのいきさつもすべて、不死鳥の手のひらの上であった。私にしかこの町を守れないのは明白だった。昼になれども日の光も希望の光も届かず、底のない漆黒がただ天を覆っていた。地獄の業火が悲鳴もしくは産声を上げると、この町の伝統芸能で、誇りだったガラス細工が瞬時に割れ、人々の喉と腹を切り裂いて行った。今思えばあれが運命の分岐点だった。いや—
「運命には抗えないのだ…」
どのような道に行こうとも、必ず運命は現れる。困難は現れる。それに抗う事なんて到底不可能なのだ。一番愚かなのは、その運命や困難に直面した時に、それを実感するという事だ。惨めな人間だと思う。人間が惨めなのかもしれない。
糀谷はそんな人間としての価値観と高天河原の人物としての尊厳を失っていた。閉ざされた自室から見る街は悲惨だった。
ガラスの破片がこちらに向かっているのが見える。また直面した瞬間に実感した。抗えないのだから体を動かす必要もない。父さん、惨めな跡継ぎだらけで、本当に、申し訳ない。
「…え」
全身が温かい。火に包まれたかのような温かさだった。業火には程遠い、これこそ人間が愛すべき「火」という物だ。
「馬鹿者、ちゃんと前を見んか」
そうか、自分の父は不器用だった。今までの暴力も、兄たちの左遷も、すべて統治者になるための愛のある教育だったのか。だけど父さん、不器用な教育を世間では「毒親」とでも言う。道徳的にいい教育とは言えない。でも言っておかなければならない。自分がここに来た理由がそこにある。
「お父さんを、理解できなくて、ごめんなさい」
「やっと正しい、親父に……なれたか、……?」
父はそのまま意識を失い、屋敷の手厚い治療を受ける事になった。外を見ると大きな炎が不死鳥の形に近づいていた。町のガラスは全て割れたようだ。行くなら今しかない。父の血が付いた服のまま御伽の下へ向かった。彼らが諦めていないなら、自分が諦めてはいけないと思ったからだ。
御伽の名を呼びながら街を歩くと群衆の人影が見えた。とにかく生存者に会おうとその方向に向かった。しかし、その真逆の状況だった。無数の死体に不死鳥の炎が飛び火してゾンビのように動いていた。彼らがこちらに気づくと人間とは思えない足の速さで襲ってきた。糀谷は衝撃的な状況を前に腰を抜かしてしまった。
「不死鳥ってなんでもありかよ……‼」
「そう言うお前は臆病ってのは演技じゃなかったのか?」
見上げるとそこには赤城が立っていた。抜刀されたその刃の色が、業火の光を反射している。糀谷は安心している笑みをこぼし、ゆっくりと立ち上がる。
「いや、予想外な事には弱いだけです」
「それは臆病じゃないのかよ」
赤城はそう言いながら刀を鞘に納めて抜刀の構えをする。卓越した抜刀術と太刀筋で素早く敵を一掃すると、御伽達のところに連れていってくれた。
「千々波には近づくなよ」
そう念押しされ千々波の方へ向くと、おそらく溶礼道の神楽であるだろう舞を踊っていた。確か手に持っているのは神器の一つ白響鈴。身にまとっているのも神器の一つ神乳布。腰につけているのは神器の一つ乳瓢…。千々波から溶礼道を学んどいてよかった。それにしても少女には思えないほど大人びた舞を踊るんだな…。
「三郎、帰ってたのか!」
「莽薙、探していたよ」
莽薙が走って近づいてきた。
「俺たちの仕事は千々波を何としても舞を全て無事に終わらせる事。だからあの死体たちから千々波を守る——できるよな?」
自信を持って胸を張って言う事にした。ここで演技をしても意味はない。
「お任せください‼」
笑いながら莽薙は持ち場に戻って行った。と言っても殆ど邪魔する者はいなかった。あとから聞いた話では赤城が先方に出て粗方片付けてしまっていたらしい。
千々波の演舞が終わりにかかったところ、天に浮かぶ炎が騒がしくなった。やがて地上に大きな火柱が立ち、糀谷の目の前に炎を纏う梔子姫が舞い降りた。
「悪いけど、千々波さんを殺さなきゃいけなくなったの」
初めて彼女の喋るところを見た。梔子姫はそのまま自身の横を悠然と歩いて行く。思わず肩を掴んで止める。手がとても熱いが、彼女にも問わなければならない事がある。
「おい、不死鳥」
梔子姫は止まらず歩みを進める。
「お前、うちの住人殺した事について何も感じないのか…⁉」
不死鳥は歩みを止めて一言発する。
「今起きてることも、これから起こる事も『決まった運命』。あなたが呼吸することを意識しない事と同じように何も感じない。」
「呼吸でも意識すると息苦しきなる。何も感じないじゃなくて、何も感じないようにしてるのだろう。君にはまだ人間としての良心が残ってるはずだ!」
梔子姫は前を向いて歩き始めた。やはり運命には抗えないのだろうか。目の前の困難には歯が立たないのだろうか。それほどまでに弱い人間なのだろうか。
「運命は抗う物じゃない‼」
目の前で演舞する千々波が声を上げ始めた。
「運命は受け入れるもの。自分の不幸すらも甘んじて受け入れて、その状況を自分にとって意味あるものにすれば、不幸とも融和できるよ‼」
「千々波さん…」
「千々波…」
「これも溶礼道の融和の教えの一つね‼」
梔子姫の歩みが止まった。そして糀谷は梔子姫の前に出て手を広げた。これが糀谷にとっての人生最大の試練だった。しかし、自然と辛さは感じない。
「じゃあこの運命も、自分を成長させる、意味のある境遇に……」
運命も困難も時として相応に訪れる物で抗う事ができない。ならばせめて、自分に合った境遇に解釈や行動で変える事で、その運命や困難が持つ意味その物を変えてしまえ。都合が良いように聞こえるかもしれないが、都合悪い物を都合良くして何が悪い。
「邪魔です、貴方如きに何ができるというのです」
不死鳥が強引に前へ進もうとするので、予め持ってきていた刀を抜き、左足を後ろへ下げて臨戦態勢を取った。
「そんなもので何をするつもりなのでしょう」
「何もできないかもしれないが、やらないよりマシだ」
父のことも、住人のことも、無作為に殺すのは断じて許されない。自分の母も若くして亡くした。そんな子たちが増えてほしくない。兄たちと離れ離れになって一人にさせたくない。
その思いが強くなるたびに自身の持つ刀が熱くな始める。神の祝福か、自分の中の潜在能力かは不明だが、刀に黄色い炎が纏い始める。
「な、なんだこれ」
その纏う炎は自分には温かく感じる。その温かさが自分に立ち向かう勇気を与えてくれる。これも運命を受け入れた者への賜物だ。
「よくわからないが、やるしかないか」
刀を構えて狙いを定める。いつもより体が軽く感じる。今までにない感触だが、これならいけるかもしれない。勢いをつけて斬りつけてみると炎はより勢いを増す。梔子姫の体は右肩から左腹部にかけて二つに切れた。これには不死鳥も驚きの表情であった。不死鳥は直ぐに体を再生し始める。だが、再生にしては遅く、不死鳥も焦っているような気がする。
「調子に乗るなよ、人間風情が」
「ここで神退治をしなければ…」




