第五十話 理想の君主
どんなに賢くても、どんなに優秀でも、風化すれば皆砂に帰るのだ。マリーが統治していたのはパラコから遥か北方の「イーサンド・ルイス」という国。国土の大部分が極地砂漠であり、言わば雪に埋もれた砂漠。そんな辺鄙な場所に繫栄する楼閣を築けたのは、彼女自身の魔力によって支えていたから。マリーの強大な魔力は国のインフラになり、生命線となった。
「魔力を平等に使い、この極地に自由と博愛のオアシスを」
マリーの大きな負担とは言え、そのスローガンの元で実直に民の暮らしを支えてきた。民が笑い、民が喜び、いつしかマリーという存在が、生活の認識から消えて当たり前になるまで。マリーは自分の事のように民を思い続けた。
「そんな御伽噺も……終わりはやってくる」
魔女の魔力が一定なはずもなく、マリーは魔力低迷期に入る。同時に飢饉も発生。マリーは魔力不足で何もできず、やがて地方の民衆が決起して首都ルインへ行進する。不幸なことにマリーが昔救った少年は、その決起した民衆の中でトップになり、マリーは軍隊を動員せずルインを明け渡した。そして不必要なマリーは処刑された。
「最後に、私はいつでも、このイーサンド・ルイスの為、見守っております」
処刑前にそのように民衆に伝えた。マリーが死ぬ事は町のインフラが永遠に停止する事を意味していた。それを知っていた少年は、恩返しもかねて処刑を誤魔化した。マリーはそれ以来山奥に隠居しながら民衆を思っている。
「マリーが軍隊を使えば一瞬で鎮圧できたであろう決起を、マリーは女帝として受け入れた。間違っているから叩くのではなく、むしろ彼らの意見を聞き入れてそれを育てようとする姿勢。私は君主としての器をよく知った。」
ヌビアは思い出話をするように語った。その一つ一つの言葉が丁寧で、マリーに対する大きな信頼と尊敬をしているのは良く感じられた。
「まぁ、これが端的なマリーさんの過去です。もう少し聞きたいなら本人から聞くのが一番でしょう」
上品なテーブルマナーや所作の所以がようやく分かった。だが、彼女はなぜこの過去を誰にも知られたくないのだろうか。今聞いただけだといい話ではあるが。
「さて、折角ですし、今晩は御馳走させてください」
ヌビアがそのように提案し、マハートと共に部屋を後にした。残った五人はその部屋で晩御飯まで談話をしていたが、花蓮がゆっくり莽薙に歩み寄り、莽薙に耳打ちで話しかける。
「……もし私達じゃ解決できない悩みがあるなら、マリーに打ち明けてみたら?」
莽薙はとても驚いた。それは花蓮がすべて見透かしていたからだ。当主としての悩みを、自分の夢の話を相談できるような経験を持つ人物はこの中に居ない。それが悩みの種だったが、もし花蓮の言うようにマリーに相談出来たら解決できるかもしれない。
「ありがとう、そうしてみるよ」
「うん、いってらっしゃーい」
そう言って莽薙は部屋を飛び出した。侍従や途中に会ったヌビアなどに声を掛けてマリーの居場所を徐々に絞って行った。
日が暮れ始めた夕方、ようやくマリーの姿を捉えた。マリーは隣町のイェナクールという町の喫茶店のカウンターでイェナ湖を見てひとり黄昏ていた。その姿をガラス越しに捉えることができた時、莽薙の足は力強く動いていた。太陽は既に山に消えたが、空の茜色を反射する湖は依然と輝いていた。
「…ん、あっ、えっ、莽薙君!?」
マリーも店内から気づいたようで、その驚いた姿には品位と言う物はなかった。だが、素の女性らしさが垣間見られた仕草であった。彼女は魔女であり、女帝でありながらも一人の人間なのである。
「…どうしてこんなところに」
マリーの隣の席に座り、莽薙は来た要件を話した。
「……そう、貴方のお悩み相談……、私で相手が務まるなら、喜んで」
マリーのお人好しさが伺える。やはりただの人間じゃない。
「あなたにとって、『人として正しいく生きること』って何ですか?」
「……なにその質問」
引かれて当然の内容だと自分でも思う。とても重い質問であるとも思う。だけども、良い相談相手は目の前にしかいない。
「普通に生きることが『人として正しく生きること』なら、僕が当主になる事は普通じゃない。それなら僕は……どうしたら——。」
「あぁーそう言う事ね」
以外にも素っ気ない態度を見せる。肘をカウンターに載せて頬杖をつき、手で口元を覆いながら、目の前のイェナ湖の輝きを羨ましがる目線をしていた。
「なら、どっちもすればいいじゃない。人間は欲張りであるべきだもの。」
「……欲張り、ですか…」
マリーは視線を変えずにゆっくり顔を縦に動かす。
「『人として正しい生き方』がもし、君の言う『普通』だとして、『当主』にもなりたいと言うのであれば、『着飾らない普通の当主』になるべきよ。それこそヌビアのような『民衆の一員のような当主』に」
「……民衆と変わらない当主か…」
「って、質問の答えじゃないわね。私にとっての正しさか——。」
莽薙にとっては十分な回答だった。だが、それを言う前にマリーが答えを言う。
「私にとっての正しさはそのまま、『人道的な正しさ』かしら。少なくとも私は法律とか、効率とか、利害とか、勝者ではない、もっと感情的な物を正義としている……かな。」
「論理的じゃない、人間としての道徳心……って事?」
「そうそう、自分に利益が無くても相手に尽くす。そうすれば、いずれこの世界が『ユートピア』になるとは思わない?」
マリーが莽薙に向けた笑顔はその理論を説明するに十分な要素だった。ヌビアの言うように、彼女こそが君主に相応しい存在かもしれない。
今思えば、鳩海湾の仲山王も同じように温かな人間だった。僕が求める理想の君主像は、『超次元的で神秘的な神々しいもの』ではない。あくまで『人間の一人として素朴に慎ましく、温かみのあるもの』ではないだろうか。そうなると父の遺言の解釈も、マリーが先に言った物に変わってくるのは自然な話だ。
「あら、もうすぐ夜になる。手を。」
差し伸べられた手を握り、テレポートしてヌビアの元に帰宅する。夕食の匂いが食欲を誘い、その誘導のまま部屋に着くと既に全員が食事の準備をしていた。
「ナギ君、遅いですよぉ、みんなナギ君が来るまで食べないとか言って……」
「当たり前でしょ、先に食べるとかありえないから!」
「…ほら、怖いでしょぉ、鬼ですよねぇ、少し摘まんだだけでも激怒するんですから…」
「誰が鬼ですってぇ…!?」
相変わらずの二人にマリーも微笑みながら見ている。赤城と梔子姫は部屋の端でひそひそと話をしている。ここも相変わらずの様子だ。
「それでナギ君…」
小動物のように首を掴まれて大人しくなった千々波を連れて莽薙の所へとやってくる。花蓮はしばらく莽薙を見つめてそのまま微笑む。
「……良かったね」
そう言ってマリーとの間を通り、部屋の外へ出て行った。その時、千々波は暴れながら莽薙とマリーに助けを求めていたが、二人は見て見ぬふりをした。おそらく食事の時には終わるのでそれまでの辛抱である。
「そういえば、貴方は『当主になって何がしたい』の?」
莽薙はマリーのその質問に耳打ちで話した。それを聞いたマリーは珍しく大笑いしながら莽薙の肩を叩く。笑いが収まった後に投げかける。
「蜃気楼と見紛う果てしない道のりね。でも、貴方のならきっとできると思う。勿論、私もその為ならいくらでも手を貸すから。」
「マリーさんがそう言ってくれると心強いです」
そう言って二人は硬く握手をした。丁度料理が運ばれて来た所でそれぞれの席に移動し、花蓮達を待った。花蓮は部屋に入ると、そのまま早歩きで席に直行して座る。一方の千々波はフラフラした様子で席に座る。あまり知りたくないが、何があったのだろうか。
ヌビア達は職務上の都合で食事を共にできなかったが、このパラミダスに着いてから一番豪華な食事であったことは間違いない。




