第四十七話 砂上の魔女
「あ、あちぃ……」
今日も今日とて熱された鏡の上を歩くような感触。しかしながら今日はいい知らせもあった。井戸水のおばさんから聞いた情報。
「そういえば、一時的に停戦するらしいよ、この内戦」
戦争が止まるという事は食糧、水資源が多少解決される。やっと戦争が終わるのか。どこから来たかわからない安堵が自身の活力になる。
「まぁ、そうなんだけど……」
「…何か問題があるんですか?」
「……どうせすぐ戦争が始まるんだ。この戦争はそれを繰り返している。うちの夫も戦地から帰って来なくてね。死んだとも言われないし、停戦しても帰って来ないし……」
戦争はいろいろな物を奪っていく。一般市民から許可も取らずに接収しては乱暴に扱う。それなりの責任感というのが、この国には存在しないのだろうか。そもそも戦争を停戦から再び戦端を開くなんて、飛んだ愚策であるというのに。
おばさんは自身も苦しい状況であるのに、旅人で異邦人である謂れのない僕たちにオレンジを二つくれた。久々の甘味に花蓮の目は日光のように熱い視線を輝かせていた。
「やっぱり美味いなぁ、果物って」
「うん、おいしぃ、おいしぃよぉ」
オレンジを齧りながら、昨日と同じ古代魔術の店に行く。
「すみません、水の古代魔術を一つ」
「はいよ」
店主は奥に進み、古代魔術の制作に取り掛かる。
「私、古代魔術をもらって帰るから、先にナッシーと図書館行ってきたら?」
そう言ってオレンジを齧る。
「オッケー、ありがとう。気を付けてね」
「うん、いってらっしゃーい」
言葉に甘えて図書館に向かう事にした。梔子姫を船内から探して外に連れ出し、ゼリテーヌ図書館に向かう。やはり日中のゼリテーヌ図書館は避暑地として多くの人がいた。その中に人知れず、あの魔法使いと思われる女性が居た。
「じゃあ、私は今度、そっちの魔術科学の方を見てくる」
「じゃあ自分は歴史の方に」
そう言って別れることにした。歴史を選んだ理由は、純粋に何故停戦しても尚戦争が続くのかを知りたかったのと、不死鳥伝説の歴史がないか調べたかったのが理由。歴史書と言っても一筋縄ではなく、どの時代かによって変わってくる物だ。
「うーん、どれにしようかなぁ……」
とりあえず気になった本を取って、ざっと目を通す。そのつもりだったが、以外にも面白くて手が止まらなかった。結局一冊読んで、本棚を再び漁り始めた。
「うわ、あれ高いな……どうやって取るんだ?」
諦めようとした時、勝手にその本が浮かび上がり始める。
「はぁ…!?」
確かにそこにあった本はみるみるうちに高度を下げてゆっくり莽薙の下にやって来る。莽薙が手に取った時には既にその本は浮力を持っていなかった。この図書館の機能なのか。
コツッ、コツッ、コツッ
後ろから昨日にもすれ違った魔法使いらしき女性がやって来る。目の前で花の香りを残しながら莽薙の前を通過していった。彼女はその時に何かを言いたげに振り向こうとしたが、結局構わず進んで行った。
「……これ、どうやって戻せばいいんだろう。」
その日はその本を半分呼んだ時に丁度いい時間になったので、そこで切り上げて帰路に就いた。
「古代魔術はこのミダル派の本拠地じゃなくて、占領下のトミコ大祭壇が発祥らしい。」
「国によっては古代魔術と魔法はどうやらセットで覚えるらしい。それほど理論的には似ているらしいわよ」
こんな感じでお互いの知識を交換し、知見を深めていった。結局の所、知りたい情報の核心には迫れなかったが、それでも知識を得ることは楽しいのであればそれは本懐だろう。
「ただいまー」
「おかえりー」
今日も今日とて同じような晩御飯が振る舞われ、少しでもこの砂漠という極限状態を生きる自分達にオアシスを与えてくれた。そうして就寝準備をする中で、外からのノック音が聞こえる。
ゴンゴンゴン
「はい、どちら様でしょうか。」
花蓮が扉を開けると、そこには無数の軍隊が居た——。
「……え」
その圧迫に花蓮は汗をひたすらに流していく。その異常さに赤城と莽薙が顔を覗かせる。
「……えぇっとぉ、ご用件は——」
「国からの要請だ、今すぐに飛行船を手渡せ。さもなくば我々は武力攻撃も辞さない」
驚きだ。今まで全く音沙汰の無かった警告が今、突然行われたのだから当然。赤城と莽薙は飛行船を降り、彼らとの交渉に臨んだ。
「一体なぜ飛行船を渡さなければならないのでしょうか?」
「国が決めた事だからだ」
「国の偉い人と交渉できないのでしょうか?」
「すでに決定した事は覆らない。その船を確保した後で交渉を行う」
「明け渡すにしても、少し時間を頂かないと……」
「時間はない、今すぐだ!」
交渉の余地はないらしい。五十人ほどの軍団に対して何かをできるだろうか。流石に全員が出て来たところで……。いけるかな、あまりやりたくないのだけども——。
カチッ…。
赤城は早くも鯉口を切って斬る準備をしている。どうにかして丸く収めたいが、やむを得ないのか——。
「失礼してもよろしいですか」
声がどこからしたのかもわからず、色々な場所に首を動かすが、全く分からない。
「面倒事には首を突っ込みたくなかったのですが」
莽薙が今日図書館で遭遇した「本がゆっくり降りていく様子」。あれを実演して降りてくる女性。その女性も今日図書館で見た。
「邪魔すんな、こっちは国の命令で動いているんだぞ!」
「Ça me soule(うんざり)」
その女性は眼鏡を整えると、黒い手袋をつけたまま飛行船に触る。そして莽薙達の方を見てジェスチャーで飛行船の中に入るように促す。莽薙と赤城はそれを信用して中に入ると、その女性は目を瞑る。
「おい、聞いてるのか、国の命令だぞ。そこを離れなければどうなるか…」
——『テレポート』
その瞬間に彼らの目の前には何もなくなった。虚無に語り掛けていたような、夢から醒めたような感覚に陥り、困惑が隠せなかった。
「……あんな大きな飛行船を…一瞬で、そんな技量が——。」
一方で飛行船は草原地帯に降りた。そのまま何も起きずに安定したので、外に出ることにした。今まで砂漠や砂岩で整備された道を歩いてきたので、草原を歩くのは久々だった。もしかしたらテミスリンブルクの一本木以来なのではないだろうか。
外に出てあの魔女にお礼をしなきゃいけないと感じて、辺りを見回す。しかしながら見つからない。どこに行ったのだろう。もしかしてもうどっかに行ったのだろうか。
「Nickel(完璧)」
そう聞こえたのは飛行船の裏側。その方からあの魔女がゆっくり回ってこちらへやって来た。
「傷もなかったし、船内に衝撃がなければ大丈夫かな」
「いや、快適でしたよ。移動したことが分からないぐらいに」
「…そう」
「ありがとうございました、平和的に解決してもらって…」
「いいえ、私は当然のことをしたまで。あれを見かけたらするしかないわよね」
でもあんな辺鄙な場所に止めたのになぜこの魔女は僕たちの居場所を炙り出し、タイミングよく表れたのだろうか。
「……なんで私たちの場所を把握できたんですか?」
そう返すと、魔女は微笑みながら眼鏡を整える。
「……私は知ろうとする人は好きよ。じゃあ、入れてもらえるかしら。中でじっくり話すわ。」
そう言って飛行船内に魔女を招待する。一人だけ厚着をしている彼女は、この船内でも異質な雰囲気に他ならない。訝しげな態度をすると逆効果だと感じて、いたって普通に振舞った。
「流石ローシャングの船。広いし、頑丈。さぞ快適だったでしょう。」
「ええ、空飛ぶ家みたいなものですよ」
近くのソファーに座らせる。他の人は気にかけて二階へと退避していた。魔女は右手の平を広げ、その上の虚空に穴をあける。そこに片手を入れて鞄のように探り始める。莽薙は折角の客人なので飲み物を用意しなければならないと感じて席を立ち、すぐ横にある調理場に向かった。
「あぁ、いらないわよ」
「え、お茶も菓子もですか?」
「ええ、そうよ」
そう言って手の平の上に出した穴からティーポットとティーカップを出す。さらに手を伸ばすと大きな袋の中にコロコロと入った洋菓子が出てくる。莽薙はその様子を見て意味を理解し、ソファーに腰を掛ける事にした。指を収束させると自然に穴は塞がって行った。
「……どうして三つ出すのです?」
ティーカップもお菓子も三人分に分けている事が気がかりだった。魔女はコートを脱ぎ、自家製のハーブティーを注ぎながら質問を当たり前のように返す。
「だってあなた、いつも図書館に二人で来てるじゃない」
そう端的に済ませると魔女はロメリアのように三角帽子を取り、コートと一緒にあの消失術で手元から消し去った。その後で平然とハーブティーを啜る。
「……それなら呼んできた方がいいですよね」
「…無理にとは言わないけども」
と言う事で二階に呼びに行く。みんなが密集して話していたので、そこの輪に入る。
「……ナッシーから聞いたけど、あの人図書館であった子とあるの?」
「え、うん…」
「あの人、大丈夫なの、ストーカーとかじゃなくて?」
「……多分。高い所の本取ってくれたし」
「…あなたが言うなら、まぁ、信じるけど」
花蓮をなだめて、梔子姫を呼び寄せる。そのまま一階に戻ってソファーに座り直す。すると遅れて梔子姫が降りて来て、そのまま足早にソファーに腰を掛けた。
「どうも、お嬢さんもお飲みになって」
「あ、お気遣い、どうもです」
「あなた達は全員何人で旅をしているの?」
「五人ですね」
「そうなのね、長い事旅をしてきたのね…。もう少しで一周できそう?」
「え、なんでそれを…」
「服装で出身地は把握できますし、飛行船の技術力はローシャングのものでしょうし。ここら辺の地域に来るのは初めてそうだから、きっと半周はしてきたのでしょうね」
「……よくわかりましたね」
コートと帽子を取れば単なる博識なお姉さんなのに、この節々の所作、そして繊細な身だしなみから育ちの良さを感じる。この人もきっとお偉いさんなんだろうな。そして僕たちに会って助けたのは、その先に何かがあるからなのだろう。
「…あなた達の事聞いているばかりじゃ、尋問みたいで嫌ね。私の自己紹介でもしましょう」
そう言ってティーカップを優しく置く。中のハーブティーは左右に揺れ始めた。
「私の名前はマリー。北方の雪国、ルイスで魔法研究をしている魔女です。」




