第四十六話 ゼリテーヌ
パラミダス 地図
「ユートピア」とは、「どこにもない場所」「架空の理想的な社会や世界」を指す言葉である。「パラダイス」でもなければ「エデン」でもない。僕らはこの「ユートピアが錯綜して瓦解した世界」を、もう一度考え直さなければならない——。
砂漠の楼閣編
柔らかな砂は肌触りが良い反面、歩行者の足を奪って加熱する。地上の地獄とは正にこのことを言うのだろう。
ゼリテーヌ地方。かつて強大なパラミダス連合王国が君臨していた砂上の大地。彼らを砂漠の侵略から守る生命線はたった一つの川。だが今はそうとは言い切れなくなってきた。それは自然との争いではなく、人間との争いによって生まれたものである。結局は人の手によって最後の一打が打たれるという、何とも悲惨で人間らしい結末だ。
「あ、あちぃ……」
「熱いとは…聞いてたけど……、ここまでとはねぇ……」
莽薙と花蓮はゼリテーヌの砂漠の町を歩いて行く。地面からの反射光と風が全く吹かないサウナ状態で、今すぐにでも氷に噛り付きたい所である。だが、こちらも死活問題なのだ。
「す、すみません、井戸はやっておりますか……?」
「ああ、またあんたらか。今日の井戸水は枯渇していてね、他を渡って頂戴」
「そう……ですか…」
莽薙は垂れる汗を拭いながら前に進む。花蓮も負けじと着いてくるが、歩幅は次第に小さくなっていく。ゼリテーヌに上陸してから予想外の連続で、今日で七日目。生きているのが奇跡のような気分だった。
「じゃあ、今日も……あれにするか」
「……遠いよぉ」
「先に帰ってもいいよ、僕が行ってくるから」
「……行くよぉ」
ロメリアが言ったように、このゼリテーヌ地方は戦争が起きていない。しかしながらそれは逆説的に、他の地域では戦闘していると言う事だ。今このパラミダス連合王国は分裂して、共和制を目指すパラコ派、帝国主義によって国力増大を目指すミダル派に分かれて内戦をしているらしい。
いろいろな国に関わっては頻繫に内輪揉めに巻き込まれてきたわけだが、今回は双方の権力者に知り合いは居ない。今回は一般人として紛れてゆっくりしたかった。だが、その内戦の影響で食料も水も枯渇するのであれば別問題である。
「……水の古代魔術一つ」
「はいよ、少々お待ち」
店の店員は奥の怪しげな台で、紙に印字して刻印を残す。その紙切れを莽薙に渡し、対価を支払う。紙如きに大金を叩くなんて考えられないが、もはやこうなっては仕方ないのだ。
「……帰ろうか」
「…うーーん」
花蓮の体調を伺いながら飛行船に戻る。帰ると言う行為は普通足取りが軽いが、今ではこの紙切れを持つだけで汗が止まらない。頻繫に後ろを振り返って花蓮を確認する。
「……場所、そこから動いて無くない?」
「……あちゅい…」
いつもだったら背負うのだが、この暑さでは逆効果だろう。つまり、やることが限られてくるわけだ。しょうがないので花蓮の元に戻って行く。
「花蓮、口開けて」
「…んあぁー」
『マーヌン』
紙の刻印が光ると、その刻印から少しずつ水鉄砲のように水が出てくる。花蓮はそれを犬のように飲み始める。少し与えたところで、莽薙も少し飲む。水分補給はこれほどにして
『マーヌン』
その言葉によって再び刻印が反応し、水が出ることは無くなった。
「…もっと欲しい」
「飛行船着いてからな、あと先飲んだこと秘密な」
「…うん」
残りの道を莽薙は歩き始めた。飛行船が見えた時には、丁度梔子姫も帰ってきていた。
「…あら、調達できたかしら?」
「……まあ、今日も古代魔術だけど…」
古代魔術はこの紙切れの事で、魔法を知らずとも魔法を使える代物だ。この大陸西側で広く普及していて、利便性の良さから砂漠地帯の人々に人気である。しかしながら魔法に比べて出力や、規模は劣ってしまう。だが、死活問題の我々にとって、それどころでもないのは確かだ。
「そっちはなんか成果あった?」
「いいえ、何にも…」
梔子姫は次の行き先を早く見つけようと聞き込みなどの情報収集を急いでいた。だが、ここ最近は聞いたような情報ばかりで情報も少ない。
「あとどんぐらい待てばいいのかな」
ロメリアは飛行船との通信で物資を送ると約束したそうだが、ここまで来るのには数週間かかる。しかも却って自分達の動きを制限してしまったので、迂闊に他の場所へ行けないのだ。さて、それまで自分たちの生命が持つだろうか。
「……あんまり憂鬱な事を考えさせないで」
後ろからようやく遅れていた花蓮が到着し、流れるように飛行船内へ入ろうとする。莽薙は古代魔術を花蓮に託して、梔子姫ととある場所に向かう。
「テミスリンブルクには劣るけど、ここもなかなかの品ぞろいよね」
ここはゼリテーヌ図書館。ゼリテーヌは戦前、金鉱業が盛んに行なわれていた恩恵で、金融・経済の学べる場として成長してきたらしい。その名残がこの図書館に残っていたのだ。
「じゃあ僕は向こうの魔法科学の方見てみる」
「私はその奥の古代魔術について見てみるわ」
勿論、不死鳥について通ずる物を探すことが最優先だが、この地で生き残る以上はこちらの知識も粗方知っておきたいのだ。
コツッ、コツッ、コツッ
羅列する魔法科学の本棚から厚底の靴の音がする。横を見ながら進んでいると、大きな人影を確認した。その人影が気になり、後をついて行ってみる。というのもコートやブーツなど、この地域の気候にはそぐわないからである。他の来館者もその人を見て啞然としていた。
暫く歩いたところでその女性は振り返り、来た道を戻り始めた。彼女は茶髪で髪が長く、丸眼鏡をかけている。コートの下に長袖を着ており、鍔の広い三角帽子をつけている。下はブーツで、手には黒い手袋を着用し、コートの中で本を三冊抱えていた。間違いない。北西部で主流の魔法を司る女、魔女である。北西部には魔法によって成り立っている国もあるのだとか。いつか行ってみたい物だ。
彼女とすれ違う時、香水なのかは不明だが、ほのかに花の香りがする。さらに彼女の周りは少し涼しかった。というより寒かった。彼女はそのまま歩く速度を変えずに図書館の奥へと向かった。
「……何だったんだ」
とにかく、不死鳥の情報収集をしなければならない。不死鳥に関連深そうな本を手当たり次第に開けてみて、不死鳥の記載がないか確認する。やはり見立て通り不死鳥の記述はない。ふと時刻を見るともう少しで日没——。
「やっべ!」
砂漠地帯は夜になると一気に冷え込み、日中の熱さなどは遠い記憶になってしまう。サウナに入った後の水風呂ぐらい気持ちよければいいのだけど。
「もう時間だ、帰ろう」
「あら、ほんとだ。帰りましょうか」
外はすっかり橙に染まり、快適な気候になってきた気がする。日差しがないだけで大変過ごしやすい。その中を梔子姫と帰路に就く。ロドメリアで不死鳥が思ったよりも狙われることが分かったので、気を緩めないようにしていた。というのも、毎日この時間に図書館を出ると視線を感じるのだ。気に留めながらも今日も難なく飛行船に帰還した。
「やぁ、どうだった?」
「いやぁ、ありませんでしたよ。船長も支援してくれる船とは連絡つきました?」
「…こっちも生憎な」
ドレイク船長はここまで操縦してくれた凄腕の人なのだが、立ち往生によって彼も取り残されていた。食糧も今や船長の許可によって、彼らがローシャングに帰るための食糧を使わしてもらっている。これがそこを尽きれば非常食。非常食が尽きれば死亡である。水も浄化装置はあるが、常に動いていても一日に出てくる量は決まってくる。水も不足しているのだ。まさに踏んだり蹴ったり。ここまで良くも悪くも何も進展しない旅は初めての感触だ。
「今帰ったよー」
「お帰り、どうだった?」
頭を左右に揺らして返答する。全員の目が完全に死んでいる。
「ああああああああああ、依り代なんてしなきゃよかったあああ!!」
千々波はいつもこのように騒ぎ立てる。
「熱いし、おなかすいたし、喉乾いたし、つまらないし、溶礼術も使えないし。地獄ですよ、地獄ぅ‼」
「依り代だけど、そこは本体とリンクするんだな」
「そりゃあそうですよ、本体が食べれないんだから依り代が食べなきゃ‼」
「でも、依り代だから別に……」
「うわあああああぁあぁああーーー、水不足問題…、食糧問題は!私のみならず、この船内にいる全員の問題じゃないですかぁぁ!」
ああ、なんか聞いたことあんなこれ。デジャブか?
「何度食って飲んでも腹減って同じや同じや思ってぇ…。莽薙さん、あんたには分からないでしょうね!」
「いや、絶賛同じ心境だわ。あとこれ以上しゃべんな、なんか嫌だ。」
船内は再び静謐に包まれた。こうして幾度目かの夜を超える作業の時間に入る。また明日は井戸水交渉をして、古代魔術を買い、図書館に行って書籍の洗い出し。そろそろ次の目的地も視野に入れたい。あの魔女みたいに北方に行ってみるのもありかな。いや、それは自分の願望であって千々波の為にも梔子姫の為にもならない。もう少し吟味する必要はあるだろう。そう思いながら今日も汗臭いベッドで夜を越す事になる。




