第四十二話 深い雲泥
ローシャング王国は確かに、人類発展の希望と、自ら神になる欲望が生み出した自然の脅威かもしれない。花、木、川、海、山、空、生物の命を幾多奪って来たかもしれない。自然の女神の首を狩り、その血肉をくべて栄光を見ていたかもしれない。
「それがなんだって?」
人間も自然の一部だ。自然の神の首を狩った時、我々が痛みを感じなかった訳ではない。人間も毒のある朝霧のように、『理想』と『現実』が織り成す深い濃霧に囚われ続けている。暗い濃霧の中を進むのであれば、神であってもくべる必要がある。
「ロメリア女王、アルテミス女王がようやく部屋を出ました!」
宮殿に響き渡るその号外。仕える全ての人物が二人の様子を一目見ようと執務室の前へと流れ込んだ。彼らにとっては「希望の光」の帰還だった。
「陛下、大丈夫ですか!?」
ソフィアはロメリアに肩を貸して、弱々しく、しかしその一歩は力強く前へと着実に進めていた。その勇猛な姿を見て、仕える者達は戦々恐々として身動きが取れない。
「……仕事はこれから、フィナーレをしなきゃね」
「こうなったら彼女は止まらない。貴方達の方がよっぽど理解してるでしょ?」
ロメリアは一度歩みを止める。目頭を抑えて疲労を痛感しながら、ソフィアの肩から手を離し、ふらつきながらも大股で自力で立った。深呼吸をした後で胸をなで下ろし、設計図を手元に出現させる。次に見開いた眼は君主として最高の凛々しいものだった。
「これが設計図、部屋の奥にあるのが試作機。二、三個あるから、それを工場の煙突につけなさい。二枚目の図面に必要な材料があるからそれを直ぐに集めて四台目、五台目を作る事。」
それを一番信頼している侍従長の長老に差し出す。
「早くしなさい!」
「は、はは!」
「貴方達も動ける人は動いて、一夜で国を変えるよ!」
『はは!』
外は昼であると言うのに、残念なほど曇天。人類は光を生み出したというのに、都合よくは行かない物だ。だが、この気持ちも最後になる事を信じるほかない。
市街地を無数のクラッシックカーが駆けて行き、ロドメリアの工業地帯に流れ込む。工場の煙突に、一台二台と設置され、目下の工場で機械が製造される。女王の半ば強権的で強引な要請で工場はその日、営業と言う営業はできなかった。
「陛下、北部のソビー工場が頑強に抵抗して——」
「私が行きます!」
「……え?」
ロメリアは応じない工場には足繫く説得に向かう。その説得の内容を以てか、女王の人柄を以てかは定かではないが、受諾する工場は多い。
「お願いします、国を変えたいんです!」
「……女王陛下とは言え、我が企業の生命線ともなりえるようなこの工場の製造ラインを変えて、煙突も変えるとなりますとなぁ」
「費用はこちらで負担いたしますから!」
「申し訳ないですが、我が工場を一日でも止める事があれば、各国への事業の遅れと他企業への信頼失墜が招かれる。これはビジネスにとっては大きな損失でね——」
「そこをどうか!!」
ロメリアはひたすらに頭を下げて回った。相手の工場長も反応に困ってしまう。それでも頑なに工場長も頭を下げることは無かった。
「……私の、私の名声が無かった。だけですね」
ロメリアは涙を浮かべてその工場に対して背を向けた。ロドメリアの一大工場の同意が得られなかったとなれば、他の工場でも拒否が続出するかもしれない。手伝ってくれたソフィアの努力が無駄になるかもしれない。そう考えると、ロメリアは抑え込んでも抑えきれない涙を浮かべていた。理想に届かないとは、斯くも悔しい物なのだろうか。
「陛下、陛下!!」
きっぱりとした男性の声が聞こえた。ロメリアは涙ながらに顔を上げると、そこには馬に跨った軍服の好青年が神妙な面持ちでこちらを覗き込んでいた。
「……キルメール候!?」
キルメール候は貴族の中でも優位に立つ存在。類稀なる勤勉な才覚が、彼を若くして公爵たらしめた所以である。そんな存在であるから、ロメリアとは古き付き合いだった。今は陸軍大佐として王国に奉公していた。
「遅くなりました。私が言って聞かせます。」
「いや、いいのです。彼らが応じないのならば——。」
「陛下の噂はかねがね聞いておりました。自室にこもってこちらを研究されていたとか。その集大成を、斯様な物で無碍にしてはなりません。理想と言うのは、時に強引に取りに行かねばなりませぬ!」
ロメリアは圧倒されて涙が消えた。キルメール候は馬で工場長に近づき、ロメリアとは対照的な上からの高圧的な物言いで屈服させにかかる。
「王立陸軍大佐 第五代キルメール候 アーサー・キルメルンである。ソビー工場長に物申す!」
工場長はさすがの迫力に汗顔せざるを得ない状況だった。
「女王陛下のご意向を私利私欲が為に無碍にしたのみならず、女王陛下に涙を流させる恥をかかせた。この大証は高くつくであろう!」
「いや、決して私利私欲ではない、この国の——」
「陛下以上に国を思う人間がおるか!?」
「……!?!?」
「もう一度問う。貴殿は陛下のご意向を無碍に致すのか!?」
「……いや、」
「ダメとは言わせん。陸軍の師団を使ってでもこの工場を占拠する。これが最後通牒である。」
キルメール候の怒涛のしっ責と恐喝。この場に居る全員がその声に反応せざるを得ない。そしてその力強い目線を向けられる工場長は、逆に涙が出そうであった。
「どうなんだ!!」
「……わかりました、陛下の仰せのままに致します。」
厚く深い曇天の下、ここにだけ一抹の光を見たような気分にロメリアは陥った。キルメール候は馬から降り、その工場長に対して頭を下げた。
「貴殿の英断、痛み入る。先程の怒号については謝罪させていただく。誠にあいすまなかった。」
工場長は呆気に取られてしまい、キルメール候が顔を上げると同時に頭を下げた。そのまま二人は来た道を戻って行った。
「……やはや、貴族とした事が、はしたないですな。」
キルメール候は馬を連れながらロメリアの元へと歩みを進めた。ロメリアは再び涙を抑え込む。今度は歓喜の涙であった。その涙が悟られないうちにキルメール候に飛びついた。
「ごめんなさい、私が普段からはしたないから……」
「いや、今の『はしたない』は私自身に言った物なのですが……」
ロメリアは久々の温かさを知った。鉄の冷たさではない、人間そのものの温もりだった。それだけで傷ついた手先や心が癒されそうだった。
「……ありがとう、国の為に」
「陛下の為でもあります。それは貴方の頑張りに魅了されたからです。こちらこそ、我々の為にありがとうございます。」
馬がロメリアの頬に流れる涙を舐めとる。ロメリアの帽子が地面に落ち、茶髪の髪の毛がキルメール候の視界に広がった。
「よしよし、お前も陛下を慰めているのはよくわかったぞ。」
ロメリアもその馬を撫でる。その頃には涙も引いていつもの様子の笑顔であった。キルメール候もそれを見てとても安心した様子。キルメール候は地面に落ちた帽子を拾い、ロメリアに被せた。
「陛下、まだこれからですな」
「あの、お時間よろしければ、まだ手伝って頂けませんか?」
「構いませんが、ここからでは馬で向かわなければならない故、一度基地に戻らせて頂ければ……」
「いいえ、馬に乗せてくださる?」
ロメリアはその突拍子もない事を言い始め、流石のキルメール候も呆気に取られてしまった。
「確かに、私の馬は並大抵の馬ではないので、二人乗りはできなくはないですが——」
「できなくないならいいのね。さ、私を乗せて頂戴!」
「如何せん車の方が、乗り心地も速さも段違いでございますが……」
「ロドメリア市中ならそんなに距離ないでしょ?」
「……かしこまりました。では、行きましょう。」
キルメール候はロメリアの腰を待ちあげ、馬に跨らせた。その後ろにキルメール候が跨って馬を操作した。
「どんなに技術力が発展しても、この馬のようなゆったりした物が必要ね。」
「ええ、人間の進化は技術力だけでは成しえないという訳です。」
「所詮、人間も自然の一部。こんだけ大きな町でも、自然には歯が立たない。これは自然への贖罪じゃない。人間の進化の為に必要な過程。」
理想という名の強欲に向けて狂気的、強権的に取りに行く。これが「人間の性」であるのならば、過去の人類は何一つ悪いことをしていない。そして、「贖罪」こそ、自然を敬わない「人間の性」の一部である事を自覚しなければならない。
あくまで、人間は自然の一部。
あくまで、自然との対等な取引。
あくまで、理想論。
である。
※「しっ責」の「しかる」と言う漢字はここでは使えません




