第三十四話 ロドメリアン・スモッグ
「そ、ソフィアああああ‼」
バンッ‼
「な、何よ、いきなり……」
早朝、朝霧も深い日にソフィアの部屋へロメリアが駆け込んでくる。勢い良くドアを開けたロメリアは酷く汗をかいていた。
「いや、やぁ…、莽薙君の部屋にこんなものが…!」
ソフィアは恐る恐るロメリアが指で挟んでいる折りたたまれた紙切れを一読する。
「……これ、本当なの?」
『仲間を救ってきます』と拙い言葉で書かれた紙がある。するとロメリアはポケットからもう一つの紙を取り出す。
「……あからさまに罠ね、でもはっきりしたのはこの人物が犯人であるという事。」
『白髪の少女、赤城、不死鳥を元に戻してほしくば時計塔の麓に参れ』とはっきりとした字で書いてある。
「いや、私、何もわからなくて、んぁ……どうしようこれぇ…」
ロメリアは茶色い髪を強く抑えながら自分の行き場のない鬱憤を抑えようとしている。
「時計塔に行っても彼らはもういないでしょうね。それにここから時計塔は遠い。部屋にいるようにしなければならない状況下で、朝霧が邪魔をする。これは相当心配ね…」
「それだけじゃない……」
ロメリアは頭をを自身の拳で小突きながら地面に崩れる。今にも泣きそうで、悔しそうな表情をしている。
「……どうゆう事?」
「この朝霧は………有害なの……」
「前は有害性なんて無かったじゃない……!?」
朧気ながら朝霧をサーチライトのように照らす時計塔の光が見えてきた。この麓にすべての主犯格がいるはず。時計塔の光が強くなってきた。ようやく人影が見えてくる。
「……約束通り来たぞ」
「まさか、本当に来るとはな」
三人の人物がガスマスクに身を包み、黒く反射する眼がこちらを強く睨んで離さない。
「……みんなはどこに居る」
「こっちだ、着いてこい」
時計塔から左に出て、先の見えない街をひたすらに歩いていく。どうやらこのガスマスクの集団は男性が二人、女性が一人の構成らしい。ある大通りに出たところで右に曲がる。
「……ナギ君、なんか、呼吸が…」
「じゃあ背中に乗って、もう少しだから」
「…うん」
一人のガスマスクの半面が見える。目線は見えないが、恐らく自分達の事を見ているだろう。ある薄暗い路地を右に曲がる。
ゴホッツゴホッ
二人とも大きな咳が出るようになった。嘲笑うようにガスマスクが頻繫に振り返る。そもそも彼らは何故ガスマスクをいるのだろうか。そのまま路地の十字路を右に曲がる。
「……あとどれ程で着くのですか」
「もう少しの辛抱だ」
意識が朦朧し、歩む足取りが沼に落ちるように重くなっていく。もしかしてこれが目的なのか…?
「花蓮…!」
花蓮は腕をぶら下げたまま微動だにしない。遂には足もふらついて莽薙はバランスを崩して花蓮の下敷きになる。
「お、おまえら……これが…」
「約束通り連れて行くさ、君らの自由は無いけどな」
暗転する世界では耳も口も目も明くことは無かった。筋肉も骨も役に立つ事を放棄している。残っているのは無の感情という点で空っぽな脳みそ。長くて恐ろしい時間が続いた。今なら四肢の一本や二本が無くたって気づかないだろう。なんだろう、この終末感。無力感宛ら、世界の終わりの夢を見たような気分だった。
そんな中でいつもの饒舌の独り言は研究所の中で小さく呟かれている。言いたい事、思った事、考えたこと、自分への質問、自分への回答が頭の中に流れ込んでくる。この換気扇としてロメリアは意識せずに口から吐き出し続けている。しかし、そんな換気扇も人間本体が故障すれば意味もない。
「ああああああああああああああああ‼」
「何、いきなり」
「も、もう一回考え直そう……」
もはやソフィアの存在を否定して、頭の世界を真っ白な白紙とし、その白紙から目を離せない。限られた時間も運命も少ない。一刻も早く探し出さなきゃいけないのに、考えもアイデアも浮かばない。何故ならアイデアは考えようと思って思いつくような代物じゃないからだ。
「だめ、ダメッ、ダメッ、ダメ‼」
弱音を吐くな、まずはペンを取って——
「ロメリア、あの子たちから学んだことなんだけど」
ロメリアはその声には気づいたが、あえて振り向くことはしない。彼女に向き合っている時間が今は惜しいと考えたからだ。
「仲間っていいわよ」
そう言ってロメリアの横に一枚の紙が置かれる。殴り書きだが、簡潔にまとめられた物。それを見てロメリアも一時的に静止している。
「……こ、これ」
「まずは基礎情報と現状を纏めないと見逃すでしょ。私も頼りなさいよ、貴方の仲間なんだからさ」
ソフィアの方を見ると朝早く起きたばかりだが、髪の毛を束ねて結び始めている。頼もしい親友である。いや、とても頼もしい仲間だ。
コンコン…
「ジェットです、今よろしいですか」
「……今立て込んでてるし、こちらでも実害が出た。要件は手短にドアの前でお願い」
ロメリアはジェットを敵かもしれないと疑って、その場で話をさせることにした。暫く静謐が訪れてからジェットが口を開く。
「……わかりました、では用件だけ。梔子姫の所在地を絞り込むことができました」
バァン!
「あ、ごめん」
ジェットはいきなり開いた扉に頭を打たれて額を押さえている。
「ろ、ロメリア様は…いつもこうなりますよね……」
「次はもっと扉の丁番を硬くすれば勢い良く開くことは無いかなぁ…」
「ロメリア様ってやっぱズレてますよねぇ……」
「あ、不敬だ、『一般常識から逸脱した変出者』って、それ君主に対する不敬だ‼」
「そんなこと言っていませんよ!」
「……あの、よそでやってもらえる?」
ロメリアン・スモッグは早朝の身に出現する濃い霧を総称する。これはこのロドメリアの北と東が海であり、南と西が山岳によって気流が滞留する事。最も大きな原因なのは工場の煙。ロドメチルはとても便利で画期的なエネルギー源である。だが、このロドメチルを誰でも使えるエネルギーにするには、材料と膨大な火力が必要。その過程で出る煙は有害物質を含んでいる。だが、住民は朝が制限されるだけで快適に過ごせている。建物に着いている排気口で空気を浄化している。肝心な工場の煙には浄化装置はつけられてない。それほど多くを浄化できないからだ。未だこの問題は晴れる兆しは——ない。
「……ん、なんだここ」
「起きたか、莽薙」
「赤城じゃないか!?」
体を動かそうとしても麻痺しているようで動かない。動かそうとすると痙攣してしまう。壁に寄りかかって喋る事と、重たい瞼を開ける事ぐらいしかできそうにない。これが朝霧の影響である事を考察するには容易かった。彼らがガスマスクを着けていたのは恐らく身元を隠すためと同時に霧避けもあったのだろう。重い眼球を動かして左の壁にもたれかかる赤城へと目線を向ける。
「……ここは奴らの本部だ、梔子もここに居る。どこかは知らねぇが」
「奴らって?」
「ロドメリア騎士団だよ」
ジェットが率いるあのロドメリア騎士団が何故僕たちをこのような目に合わせるのだろうか。理由は不明だが、赤城が言うのだから事実に近い事なのだろう。顔が動かせないので把握はできないが、自分の肩に寄りかかっている花蓮は未だに起きない事は良くわかる。
「……どんぐらいの時間が過ぎた?」
「三日と言ったところかな、幸い食事の提供はあるからそれでわかるぐらいだ。実際のところは知らない」
この狭い牢獄で、三日も壁にへばりついていた訳か。これを絶望と呼ばずして何というだろうか。いや、他にも言い換える事はできるかもしれない。
時間が経つにつれて手足の自由が利くようになり、痺れも倦怠感も薄れて行った。それにしても赤城の言っていた食事が出てこない。それほどまでに時間が経っていないのだろうか。
「とにかくここから出ないと——」
「どうやって、武器でさえ取り上げられているんだぞ?」
莽薙はその言葉が脳裏の記憶を呼び戻す。
「……じゃあ、武器を取り寄せればいいんだろ?」




