第二十六話 アルテミス再臨
テミスリンブルクの空を覆っていた曇天が淀み、やがて水滴が街を覆う。荒々と降る雨が空を濃紺に変えながら轟々と音を響かせる。折角の戦勝ムードは台無しだ。
「…ソフィア……」
本当に。全て。台無しだ。
「ソフィア‼」
顔から下の体中に穴が開き、そこから惜しみなく血液が溢れていく。肌も青白く、雨に打たれた後のように冷たい。曇天が部屋の中をいつもより暗くしている。
「…な、ナギ君、こ、これ……」
花蓮が指さしたのはソフィアから右に外れた壁。薄暗くて見え辛いが、意図的に何かが書かれている。
『楽しい時間を過ごせましたか、パーティーはお終い』
最後にニコニコした顔面を模した絵が添えられていた。それがソフィアの血液で書かれていた事は直ぐに理解できた。だが、自分の心情は全く理解できない。三階の部屋のように整理はできていても、参考資料が散らばり未だ理解できない。そんな時に人間が最初に出るのは最も安直な反応。
ドンッ‼ドンッ‼
壁の笑顔に向かって何度も拳を振り上げる。安直な感情、喜怒哀楽の中の怒である。鼻息も荒く、自制することが難しい。花蓮が腕を止めるまで壁に八つ当たりを繰り返していた。神はこのような人物にも残酷な運命を用意する。逆に考えれば平等に振舞っている。さて、そんな時、貴方は神を信じるか…?
「私は……信じる」
梔子姫が手を広げソフィアに向かって業火を放つ。傷口を癒す彼女の業火に望みをかけた。しかし、所詮は希望。その時出た願望は叶わない。それでもしようとするのが人間らしいとも言える。
「……ソフィア借りた本にあった記載の通りなら…」
梔子姫は覚悟を決める。火力を上げ、右手でナイフを手に取る。
「ナッシー、あんた何をして…」
その声を聞かずに梔子姫は自身の服を噛み刃物を自身の業火を放射する左腕に突き刺す。
ンンッ‼
そのまま呼吸を荒くしてナイフをねじり始め、傷口を抉っていく。梔子姫から悶絶する声と共に血液が滴り始める。
「ナッシー、や、やめなさいよ‼ナギ君もなんか言ってよ‼」
だが、誰も何も言わない。汗を滴らせながら悶絶し、決意の表情をする梔子姫がただの自傷行為をするはずない。だが、そんなことわかっていても惨い感情にはなる。自分の理性が戻る前に、自分が混乱している間に済ませてくれ……。
梔子姫の新鮮な血液を四匙ほど。赫赫した液体を片手に溜め込む。
梔子姫の艶やかな髪の毛を適量。業火の放射を中断し、自身の髪の毛を刃物で削ぎ落す。
梔子姫の煌びやかな爪を二欠片。両手が塞がっているので、足の爪を削ぎ切る。
自身の業火によって温めて融和させる。
はぁ、はぁ…
ようやくできた悍ましい液体。意を決して梔子姫は一口を呑み込み、再びもう一口を口に含んでソフィアに口渡しをして吞み込ませる。息が整う暇もなく再び腕を構える。
「……私は信じるよ」
梔子姫は本で見た通りの詠唱を開始する。
「不死鳥の名のもと、万物の自然は創造主を超えて永遠の喜びを得る……」
『万物の永劫再臨』‼
その詠唱と共に業火が勢いよく噴射され、ソフィアの全員を一瞬で覆いつくす。まるでソフィアを可燃材にしているようにソフィアの周りだけを勢い良く業火が叫びだす。その勢いに圧倒されて莽薙達は一歩後退。千々波は何かを抱えて外へと向かった。
『創造開始』‼
業火は縄のように一つの線に集約。その一本の火柱からソフィアの多数の傷口に向かって火柱が分裂している。業火の揺蕩う火先は通常の二倍か三倍の速さになっている。また、炎が小さくなっても熱も二倍ほどには熱くなっている。
「……くっ、思ったより…しんどい、わね」
梔子姫は更に険しい表情をする。そして莽薙は理性を取り戻してしまう。
「ナッシー、やめてくれ…‼」
「こないで、わたしが、私が全部するから…‼」
莽薙は熱風をかぎ分けて梔子姫に近づく。
「ソフィアもだけど、ナッシーも大事だよ‼」
梔子姫は右手を左腕に当てて支える。限界が近いのかもしれない。
「……ソフィアが、私たちにしてくれたように…、私も、自己犠牲は惜しまない…‼」
ソフィアの傷口が灰で溜まっていく。その灰は燃えて肉片として傷を少しづつ癒していく。まさに燃える状況を高速で逆再生しているようだった。だが、この世の摂理と創造主に対抗するという事は、それ相応の対価を払わなければならない。
「……ま、まずい……、意識が…」
梔子姫が炎と共に足元がふらつき始める。熱風を吸い込んで咽ながら瞼も開いたり閉じたりを繰り返している。
「……あぁ、まずい…」
梔子姫はついに後ろに倒れた。だが、地面にはついておらず未だ自立している。梔子姫はそのことに驚いて後ろを確認する。
「か、カネチー……」
「……自己犠牲も良いが、少しは仲間に預けてくれ」
梔子姫はその励ましで赤城に身を預けながら続行した。傷は小さなものから次第に塞がっていく。
「……『カネチー』って言われたこと、今回突っ込まなかったよね」
「こんな状況でよく笑ってられるな、流石不死鳥ってか?」
「あと、カネチーが言ってた事、こないだナギ君がソフィアに言ってたよ」
「…一緒に過ごしていると価値観も似るのかもな」
そんな中で千々波が「トトトト」と小走りでやってきた。
「ナッシー、これ吞んで‼」
千々波が梔子姫に乳瓢をふたを開けた状態で渡す。支えていた右手を乳瓢に伸ばして一気に飲み干す。すると体調が幾分かよくなっていく。
「す、すごこれ。ナミみん、なにこれ」
ナミみんは千々波のあだ名。そんな千々波はドヤ顔で語る。
「えへへへっ、これは溶礼道秘伝の千々波特製回復薬だよっ‼」
「……それって『溶礼道秘伝』か『千々波特製』なのかどっちよ…」
花蓮はそうツッコミながらも、梔子姫の笑みを見て少しは安堵した。莽薙もそれを見て安堵したようで花蓮の横へ戻って行く。
灰は万物を支える物。「灰燼に帰す」というのは決して終わりではない。新たな始まりであり、再臨である。不死鳥が灰から生まれたのであれば、万物の永劫再臨は灰と業火によって可能である。「時間」と言う制約を生み出した創造主への対抗を我々はいつの日かすることになるだろう。我々近いうちに「神々の領域に挑む時代」を迎えるだろう。
ソフィアが梔子姫に貸した本の最後はアルテミスのこの言葉で締めくくられていた。最後の審判の時までに我々はどこまで灰燼を繰り返し、神に挑めるか定かではないが、
『神は人間の最大のライバルであり続けるだろう』
ゥ、ゥウ……グハッ…
ソフィアが口から吐血。これはソフィアが生命活動を再開したことを裏付けていた。
「ふふ、よ、良かった……」
梔子姫は一気に脱力して倒れる。赤城もバランスを崩したが支え直した。
「……こいつ二階に運んでくる」
赤城はそのまま気絶した梔子姫を担いで二階のベッドに寝かせる。一方で千々波がソフィアに所謂「溶礼道秘伝の千々波特製回復薬」を飲ませて容体を観察する。ソフィアの血行は良くなり、体温も肌色も通常に戻ってきた。再びソフィアに炎は宿された。
「……じゃあソフィアは俺が運ぶよ」
莽薙はソフィアを担いで二階のソフィアの自室のベッドに寝かせる。布団をかけ、呼吸を確認した。恐らく問題はない。アヤメーニュの天気はいつしか曇天の隙間から茜色の光が差していた。




