第二十五話 エイレネ川の戦い
「それじゃあ気をつけてね」
「え、ソフィアは行かないの…?」
「同時並行でやる事があるから。それに戦えない人が行ってもお荷物でしょ」
「……なんかあった時は私達…」
「貴方達ならなんとかできると信じているわ。他の人には予想外の時の対処は教えているから大丈夫よ」
ソフィアはレモンティーを入れて莽薙達を玄関まで送る。今日はちゃんと寝られたようで顔色はとてもいい。安心して行けそうだ。
昨日と違って空は曇天。人間との距離がとても近くなっている。アヤメーニュとテミスリンブルクの境目を流れるエイレネ川。今日は心なしか水位が低い。最近雨が降ってない事も関係しているのだろう。この上流がこの物語の最初でも言ったようにレアンダム留置所が置かれている。僕らが目指すのはその留置所。地獄が描かれるキャンパスだ。
「——騎士団長、アヤメーニュからの敵襲です‼」
「あいつらにそんな余力が…?」
鎧を鳴らし、砂埃が舞う。曇天と水面の先にかすかに見える人影。
「総員戦闘態勢、双眼鏡をよこせ」
双眼鏡を覗き込む。アヤメーニュは既に川に船を浮かべ、こちらに向かって漕ぎ出している。上陸先にはレアン聖堂がある。もし、レアン聖堂で戦闘になればレアンダムの損害を打受け、その間に「ルネのティアラ」を奪われるやも……。
「川を渡って交戦するぞ、奴らに上陸を許すな‼」
急いで船に騎士を派遣する。アヤメーニュの船団に比べて約二倍の船団が対峙する。船のサイズ自体も大きい物を用意した。質も量も完全に上回っている。レアンダムの勝利は必然。川の流れが早くなる中流で戦闘が始まる。レアンダムの兵士は船を強引に激突させてアヤメーニュの人々を殲滅して回る。
「に、逃げろ、俺達には敵わない‼」
戦闘は勿論アヤメーニュの不利。レアンダムは後続が我先にと船を全速力で敵陣に向かわせる。しかし、アヤメーニュの船は小回りが利き素早い。中々追い付けなかった。
ドオォォーーン
「うわ、なんだ…!?」
レアンダムの兵士達は驚いただろう。隣の船がいきなり爆散して沈没していく。それを知らない後続の船は前へと進んでいく。そんな中で指揮系統が混乱するのは必至。容赦なく前方の船は連鎖反応のように水柱が上がり、爆発四散していく。
「どうした……、何が起こっている…‼」
「団長、対岸をご覧ください‼」
「あ、あれは…‼」
対岸は丘陵が広がっており、その頂上に大砲が5つ設置されている。
「最初見た時は無かったぞ…、あんなもの……」
対岸の大砲は戦闘前に布と丘陵の影に隠れていた。戦闘が始まった合図を受けて大砲が雷鳴のように音を轟かせる。レアンダムの船は大きい為大砲の放火に当たりやすい。対してアヤメーニュへの誤射は少ない。当たらないのもそうだが、小さいため区別がつきやすいのだ。
「…くそ、一旦撤退させろ!」
「指揮系統が混乱してそれどころではありません」
「くっそぉ……」
しかし、大砲というのもそう万能ではない。装填には時間がかかり、大きな船はとは言え当たる確率も極端に少ない。少し沈めても後方からレアンダムの船が迫りくる。前線は着実にレアンダムの有利には傾き続けている。
「押し切って、あの大砲を我が物にするぞ‼」
ゴォォォ……
そう躍起になるレアンダムにさらに上流から濁流が流れ込んでくる。砲火を合図に上流の堰を壊して川を洪水状態にした。水上の船は逃げ場がない。そして大きい。濁流の影響はとても大きい。次々と水上からいざなわれるように沈んでいく。上陸を準備していた騎士は、自らの身を守る鎧で二度と浮上しない。やっとの思いで浮上したものは流されるか弓矢によって射殺される。これには騎士団長も開いた口が塞がらない。洪水、砲火、弓矢の攻撃はレアンダムを劣勢にさせるだけの要因だ。いや、敗因は一つ。
「絶対にレアンダムは油断をする。それを利用しましょう。油断は一番の敵ですから」
ソフィアの言った通りだった。アヤメーニュとの軍規模、緒戦の快勝、中々当たらない砲火の意味。全ての油断がこの戦果を産んだ。さらに上陸しても丘陵に築かれた自然の要塞を簡単に攻略はできない。用意周到も甚だしい。
「……騎士団長…」
「今度はなんだ!?」
「留置所のアヤメーニュ派が全員いません……」
「は、はあ!?」
団長は急いで駆けつける。護衛は気を失っていて、アヤメーニュ派の牢獄の鍵が全て空いている。まさに新築の留置所と言わんばかりの閑散と静寂。後から分かった事は脱走したのはアヤメーニュ派関係なく、レアンダムで異端審問を下された人物だけだった。
「お、おい、ここに居た奴らはどこ行った……‼」
残されている犯罪者に聞いて回る。
「異邦人が襲撃して犯罪者以外を開放していったよ」
「異邦人…」
騎士団長は思い出してその牢獄に向かう。
「な、なるほどな…」
個々の牢獄は千々波が監禁されていた場所。ここの鍵は事情聴取の為に鍵を騎士団長が持っていた。ここの牢獄は鍵ではなく、柵が切り捨てられていた。
「あらら、これは大変だね……ボロス騎士団長」
「アメデオ大司教…‼」
アメデオはポケットから懐中時計を取り出して針を見つめる。
「……一時間と三十三分十三秒。これで戦いには敗北し、捕虜を逃がしてしまうとはな」
「…も…、申し訳…ございません」
「いや、人間には失敗はつきものさ。それにしてもレアン聖堂には来なかったんだね。私だったら「ルネのティアラ」も探すけど……」
懐中時計をしまってアメデオは背を向けて歩き始める。ボロスの服の中は冷や汗と緊張、プレッシャーでぐちゃぐちゃになっていた。しかし、そんな中でもニヒニヒと笑みを浮かべ始めた。アメデオはそれを不気味に思って振り返る。
「何笑っている、君は失敗したのだぞ?」
ボロスの笑い声が静寂の中を駆け巡る。やがて荒い鼻息と睨みつける目つきがアメデオに向けられる。
「……次期に大きな報酬が手に入りますとも…、『次期に』ね…」
「……そ、そうか……期待している……」
アメデオは気味悪がってその場を足早に立ち去った。曇天には声高くアヤメーニュ派の勝利の賛歌が聞こえる。この後レアンダムでは雨が降るだろう。
「元気にしてたか?」
「いや、元気ではなかったかもしれない、けど……」
千々波は莽薙と花蓮の間に入ってお互いと強く手を握る。
「ナギ君達が助けに来てくれると思ってたので、元気でした。今ももちろん元気です‼」
「それは良かった」
花蓮が千々波の頭を撫でて褒め称える。アヤメーニュの人々も再びアヤメーニュに戻る事ができると歓喜している。アヤメーニュへ閉ざされていた門は、今もう一度開く。
キィー…
「あら、莽薙、もう帰ったの?」
ソフィアは二階から一階へと階段を下っていく。莽薙の帰還によって作戦の成功は見なくても感じ取れたので、片手にはレモンティーを持って階段を気持ちよく降りていく。きっと疲れているだろうし、新しいレモンティーも入れてあげないと……。
「みんな、おかえり…」
玄関の方には誰もいない。だがドアは空いている。体中があえて気づかないようにしていたことに気付く。恐る恐る目線を下げる。知らない人間と右脇腹からドロドロとした赤いものが自身から溢れているのを目視する。滴る液体がパンストを伝って滴り落ちる。この肌と密接に繋がる感じが私は嫌いだ。
「ソフィアさん、お楽しみいただけましたか?」
知らない男は小型のナイフをソフィアから抜くと、ソフィアの冷や汗と血液は止まらない。そのまましゃがみ込むが、男が片腕で首を締め付ける…
「うッ……ウガッ…」
男は片手でソフィアの胸元のネックレスを掴み取る。そして強引にソフィアの元から引き離す。何も言葉を発しないままソフィアを反対側の壁に投げつけた。壁に打ち付けられたソフィアは何とか立ち上がる。右手で傷口を抑えるが、流血は止まるところを知らない。左手で額を抑える。
「……ハ、ハァ…ハァ…、こ、これがぁ…目的…?」
「いいや……もう一つ」
男は手元に槍を出現させる。ソフィアには理解できない状況だった。驚きのあまりソフィアは右足が脱力して崩れ落ちる。
「ま、まって……あなたの要望は…」
こんな状況で誰もが質問の有意性の無さを理解できるだろう。だが、反射的なのか本能的なのかその言葉が出てしまった。男はその愚問ににやけて答える。
『魚群の乱舞』
ウッ…アッ、ツッ…ガハッ…ウゥ…アッ…、
ソフィアの体のあるとあらゆる所に槍が刺さっていく。穴はソフィアが声を上げる度に増えていく。最初こそ痛みと苦痛を感じていたソフィアは、肺を貫通してから呼吸を諦めた。その為痛みも苦痛も出せる声も次第に小さくなっていく。そして最後に首に一突き。ソフィアはすべてを放棄し、遂に動かなくなった。
「……美しいね…流石裁審長官代理…」
男はしゃがみ込んでソフィアの血液を触り、ペンダントにつける。そして壁に落書きを始めた。描き終えると指に付いたその血を全て舐め取る。
「……味も上品だね…、もう少し叡智の血液を堪能したかったんだけど、彼らが帰ってきちゃうからね…、おやすみなさい。ソフィア」
そう言って目を開けたまま動かないソフィアの瞼を閉じる。全て。そう全てがその時に閉ざされた。ある男一人によって。




