第二話 アヤメーニュ
「長官代理がご帰還されたぞ!!」
町中に入ると、ソフィアはアヤメーニュの住民たちに帰還を喜ばれた。ソフィアは一人一人に目を配って歩いて行った。目の前には大きな建物が見えはじめる。
「あれが『アヤメーニュ大聖堂』。あの近くに私の家があるから。」
「凄い町ですね、今までに見たことない規模で……。」
「これで驚いてるようじゃ、ローシャング王国に行ったときには魂が抜けちゃうわね。」
進んでいると、前から二人の人物がこちらに向かってくるのが分かる。その人物がソフィアを捉えると、安堵した様子で手を振る。
「ソフィア、よく戻った。」
「……でも、いい情報は得られなかった。」
「代理が戻って来たんだ、それだけで十分ですよ。」
一人は同い年ぐらいの黒い服を被る男。もう一人は白い軍服に青いマントを羽織る金髪の女性だった。
「ソフィア、そこの人達は?」
「レアンダムの被害者。そういえば名前を聞いてなかったわね。」
莽薙達は自己紹介をする。軍服を着た女性はそれを笑顔で聞き、男の方はそれを興味深そうに聞いていた。街中の人達も中々居ない異邦人だからか、一つの群衆になって囲い始めていた。
「長旅、ご苦労様です。どうか、アヤメーニュにてゆっくり羽を休めてください。」
軍服を着た女性はそのように労う。
「ミネルヴァ、この子達をお願いしていい?」
「え、なんで?」
「うちの家よりも本部は大きいし、いつまでもあなた一人の為の家にはしたくないし。」
「えぇ……」
軍服を着た女性は目を瞑り、呆れた様子で小刻みに首を縦に振った。ため息をし、莽薙へと歩み寄り、手を伸ばす。
「ミネルヴァ・ゲオルギア。アヤメーニュ防衛隊の隊長です。ソフィアとは古からの親友で、君たちの身辺を守る者です。気軽に『ミネルヴァ』と呼んでください。どうかよろしく、莽薙。」
「よろしくお願いします!」
二人は固い握手を交わした。その後で今度はミネルヴァとともにやってきた男が手を伸ばしてやって来る。
「エルヴァン・クロヴィルと言います。技巧院院長兼裁審員で、ソフィアさんの部下のようなものです。ので、気軽に何でも頼んでください!」
「それは頼りになるな、よろしくお願いします!」
再び固い握手を交わす。ソフィアはそれを見届けると、ミネルヴァを連れてアヤメーニュ大聖堂への道を再び進み始めた。クロヴィルは用事が別にあるらしく、莽薙達が来た道を逆走して行った。
「……じゃあ、また明日、私の家で話しましょう。」
「ありがとうソフィア!」
「ええ、ゆっくり休んで頂戴ね。」
ソフィアは扉を閉める。大きなレンガ作りの家。他の家は木製であるのに、なんと豪勢な場所なのだろうか。暖炉が轟々と燃えている。木調の暖かさも感じるようなこの家の目の前には、あの大きなアヤメーニュ大聖堂が鎮座している。
「アヤメーニュ大聖堂は新教王朝の政治と裁判をする場所なんだけど、知っての通りレアンダム派がね……。」
「——なるほど、だからこんなに大きいんですね」
「貴方は——花蓮だっけ?」
「はい、菊水花蓮です!」
「花蓮、晩御飯は食べた?」
「いいえ、おなかすいてます!」
「じゃあご飯にしましょうか。手伝ってくれる?」
『待ってくださーーーい!!!』
「料理の手伝いだったら、この梔子姫がしますんで!」
「……わ、わたし?」
「あ、あぁ、そうですか。では梔子姫、よろしく。」
花蓮に任せれば、高天河原の時のようにダークマターを作られかねない——。ただでさえ疲れているのに、その上で花蓮の料理を食べた時には——死が待ってる。花蓮はそれをよそに莽薙に向けて鋭い視線を見せていた。それも、晩飯になれば忘れる事だろう。
「出来ましたよ、『セリュネ』と『女神の涙』、『ミロティア』です!」
知らない料理が続々とテーブルに並べられる。「セリュネ」は川魚の包み焼き。「女神の涙」は魚介スープで、「セリュネ」で出た魚介の出汁も入っている。「ミロティア」は野菜をチーズとナッツで包んで焼いたもの。いい香りが部屋を席巻しはじめる。
「いただきま——。」
『御心のままに』
ミネルヴァが手を結んでそのように呟く。その光景に莽薙達は文化圏の違いを感じた。
「あっ、マネしなくていいですよ、アヤメーニュ派のしきたりなので…」
「いや、折角だしね!」
『御心のままに』!
水が清き新教王朝だからこそ取れる「臭みのない川魚」。その包み焼き料理、「セリュネ」。味付けはオリーブオイルと塩、香草だけのシンプルな味——。質素で上品な口溶けが、新教王朝料理文化の代名詞である。
逆に、「ミロティア」は濃厚。香り高きチーズと、野菜のみずみずしさ。頂きにナッツの香りが君臨するこのうねる様な峰が、地平線へ幾つも続いて行く——。
この「女神の涙」というのは、ただの魚介スープではない。食前にレモンを一かけら搾り入れる。これが「女神の涙」という名前の由来となった。この素朴なスープに花を咲かせたのは「女神と見まごうレモン汁」だったのだ——。
「……上品でおっとりします。しかもほっこりする」
「ナッシーの言うとおりだよ」
「ありがとうございます。喜んでもらえて何よりです。」
「明日は朝起きればいいんですよね?」
「はい、朝。二階の部屋は五部屋あります。誰も使ってませんから、皆さん好きな部屋を使ってください。」
「ありがとうございます!」
「……ちなみに、修行場はあるか?」
「ええ、この家の裏手でもいいですし、防衛隊宿舎にもありますので。」
「わかった。」
赤城はそれを聞くと満足げに頷いた。そんないつも通りの赤城を見ていた時には、千々波を探さなければならない焦燥感から解放されていた。
翌朝、莽薙がいち早く起き上がる。部屋を出て、一回のテーブルに向かう。しかし、誰も居なかった。しかし、暖炉は轟々と燃えている。誰かが火をつけたのは間違いない。
「どうせ赤城が朝早くから修行でもしているのだろう」と感じ、ミネルヴァさんの言っていた家の裏手に向かってみた。そこからは水が幾度かに分けて地面にぶつかる音が聞こえる。
「おはよー、あか——ぎ……」
「へっ?」
そこには薄着のミネルヴァさんが居た——。
「……あっ」
「……えっ」
ミネルヴァさんの長い髪から水が滴る。薄着の向こう側にある貼りつく肌色が、朝日に晒され、艶めかしく彩っていた。
「すみませんでした、別に覗ってのじゃ……!!!!」
「こちらこそすまない。アヤメーニュの慣習でな。ゴホッ」
「えっと……た、タオルとか……」
「ゴホッツゴホッ、タオルは持っている。恥ずかしいから下がってくれ。」
「そうですよね!」
莽薙は最後に破廉恥な姿を一瞥して急いで室内へと戻った。背後で咳き込むミネルヴァさんには気にも止める事が出来なかった。
「おはようございます、ナギ君。」
「な、ナッシー、今起きたの?」
「はい。なんだか物音がしたものですから。ところで、先程から咳き込んでいるのは?」
「外にミネルヴァさんが居て——。」
「そうなんですね。」
真珠が鏤められるその肌に、夜明けの長い髪が項垂れている。顔を傾げて揺れた髪の毛が、莽薙の心を擽る。莽薙は初めて梔子姫を美しく感じ、後ろにかかる朝日の後光がそれをさらに後押しした。
「……どうしたの?」
「いあ、あの、ミネルヴァさんが……半裸で外に居たから——。」
「……へぇ。」
「咳き込んでたし、ちょっと心配でさ、様子を伺ってほしくて……」
「なるほど、わかりました。確認してきますね。」
莽薙は心を落ち着かせるため、暖炉の前のソファーに座った。
「ふわぁ……あ、ナギ君、おはよう。」
「おはよう、今日は早いね。」
「なんか騒がしいから起きて来た。赤城とナッシーは?」
「ナッシーは外で、赤城は……どうだろう。」
バッ!
勢いよく扉が開かれる。その先には息が続かない梔子姫が居た——。
「ミネルヴァさんが……倒れてる!!」




