第九十四話 アインシュタイン
「例えば……赤マントって話、あるよね」
「えぇと……」
「あの赤い外套を羽織り、鳥打ち帽や仮面で顔を隠した怪人……の話ですか?」
「そうだね、直紹はあんまりそういう話聞いたことない?」
「流言の類はあまり、その、制限されておりましたので」
「そっか。じゃあ教えてあげるね」
赤マントの話なんていうのは、最近でもよく聞く子供の流言飛語のようなものだ。
和穂やハルといった少なからず外に出る人間であれば一度は聞いたこともあるし、なんなら俺は「怪人赤マント現る!」なんていう号外を受け取ったこともある。
それを知らないという直紹さんにちょっと、先生のこめかみがピクッとしたのが見えた。
そこまで制限されていたのかという怒りを、なんとか引っ込めた感じのヒクつきだ。
俺はあえてそこは先生に指摘せず、大人しく先生の話の続きを聞く。
怪人赤マント。
赤いマントを羽織り、鳥打ち帽や仮面で顔を隠した怪人が、夕暮れ時の小学校のトイレや路地裏に現れ「赤い紙と青い紙、どっちが欲しい?」と訊ねてくる怪人だ。
赤い紙を選んだら血まみれになって殺されて、青い紙を選んだら失血死するまで血を抜かれて真っ青になって死ぬ、という噂がよくある流れだが、まぁそういうものが実際に存在しているかと言われればそうでもない。
大体にしてこういう流言の源は、表に出せない殺人事件でしかないからだ。
もっと言ってしまえば、夜住に憑かれて死んだ人間の末路──というべきか。
しかしそういう噂に疎い直紹さんは「血を抜かれて……!? 一体どんな方法で……」なんて新鮮な反応をしている。
こういう反応をする人が居るから、流言飛語は面白おかしくあっちこっちを飛び交うのだ。
「まぁ、こういうこわーいお話はね、どこからともなく現れて、人々の口から広まっていって形を成すものなんだ」
「形を成す……」
「そう。実際には存在しないけど、帝都では赤マントの怪人はすでに定着した話になってるんだよ」
「帝都の民の中では実在していることになっているが、実際には存在しない、ということですか」
「その通り。昔からある四谷怪談の類も、ほとんどは同じさ。語る人間が居るから広まっていき、広まっていくことで現実味を帯びていく」
「オロチも、同じだと?」
俺が口を挟むと、先生は俺の方を見て「その通り」と人差し指を振った。
すでに直紹さんの背後あたりに頭を置いて落ち着き始めているオロチは、この話を聞いていてもまるで他人事のような感じだ。
自分の話題だということがわかっているんだろうか。
わかっていても、コイツはこんな感じなのかもしれないが。
「三種の神器ってあるでしょう? あれだって、外箱はあるけど中身が公開されることはほとんどない。でも、中身はあるものとして扱われている。実際にあるかどうかも分からないけどね」
「それを我々が話すのは問題あるのでは……」
「独逸のとある天才科学者が、月は見ていない間もそこにあるのか、なんて悩んでいるらしいけれど……僕らに言わせれば、三種の神器の話もこれと同じってこと。同じように、オロチに関わっていない人間にとってしてみれば、オロチは人間の味方なのか敵なのかもわかんないんだよ」
先生の話を聞きながら、俺と直紹さんは視線を合わせてしまった。
場所が場所なら不敬罪としてしょっぴかれていてもおかしくはない先生の言葉。
しかし、実際に今オロチが居るのを目撃し、オロチに命を助けられた俺達からしてみれば、全く無関係な話題であるとも言えなかった。
オロチは水の神であるという説があり、信仰している者も間違いなく居る。
だが神話の中のオロチは娘を食らい人間に害為す、悪い怪物でしかない。
この2つの側面の隙間が、先生の言っている「三種の神器は箱の中にあるのか」「月は見ていない間もそこにあるのか」という話に繋がるのかもしれない。
「つまり……あかまんと? も、人間が噂をしているからこそ居ると定義されているもので、誰も話していなければ実在しないかもしれない、ということでよろしいでしょうか」
「簡潔なまとめだね、直紹! その通りだよ」
「オロチも、人間が悪いものだと伝えてきたから悪と定義されているだけで、箱を開ければ違うのかもしれない、と」
「ソウちゃんも飲み込み速い!」
もっと言ってしまうと、オロチが悪い神と呼ばれていたのは、オロチが悪い存在であった方が都合がいい人間が居るからこそ伝えられたものなのかもしれないね。
先生があまりにもサラッとそんな事を言うから、俺はグッと押し黙ってまた、直紹さんの背後で退屈そうにしているオロチを見た。
あまりにも顔がデカいせいで、もはやただの壁にしか見えないオロチは、俺が見上げるとまぶたを少しだけ動かして真っ暗な眼窩を俺に向けた。
「お前は……俺達の敵なのか?」
『否にして、意なるものである』
「……俺達の受け取り方次第って言いたいのか」
『然り』
オロチの返答を聞いて、俺はそっと右目に手を当てた。
今までの事を思い返してみて、実際に俺はオロチをどう思っているのだろうかと考えてしまう。
少なくとも俺は、オロチは倒すべきものだと思っていた。
この帝都の寒さの根源で、先生に呪いをかけた恐るべき存在なのだろうと思って、霧子よりももっと強大な存在なんじゃないかと、思って。
でも、思い返せば「八岐之大蛇」という存在はいつだって「敵ではなかった」。
俺の眼が視た過去の光景は真実を映し出し、この眼のおかげで見抜けたものはいくつもある。
もし本当に八岐之大蛇が敵であったのなら、脳にほど近いこの眼球という部位を使っていくらでも悪さはできたはずだ。
それこそ、先生と俺と直紹さんはそれなりの頻度で一緒に居ることもあったし、火種だってそうだ。
そう、火種──
アレがオロチの魂だったなら、なんで人間を助けるための灯火になってくれていたのだろうか。
人間を襲う夜住の煤を食らい、熱に変換して、人間を守る。
最悪の循環だが、人間を守るための絶対的な力を与えてくれていたのは、オロチだったということにならないか。
オロチは、俺達の受け取り方次第だと言う。
先生は、人間の思惑の結果だと言う。
では今ここに居る俺達は、オロチをどう定義づけるべきなのだろうか。
『ふふ……ふふふふ……なまっちょろいわね……』
「! 深神霧子……!?」
「馬鹿な、どこに……」
『オロチが敵だとか味方だとかどうでもいいじゃない。ソイツは厄災。ソイツを殺したものが英雄として伝えられるのよ』
不意に聞こえてきた声は、間違いなく深神霧子のものだ。
この地下空間に反響するように笑い声が響き、一体どこに居るのかもわからない。
さっき煤として散って消えたはずの女が、どうやって生きているというんだ。
刀を構え直し周囲を警戒すると、霧子の声は甲高い笑い声となって地下を響き渡る。
わかった、煤だ。
俺は、片目を封じていた手を離してオロチの眼で周囲を視た。
この空間には、俺達に対して害意を向けている煤が滞留している。
これは……これが、霧子だ。
『もしここでオロチを逃がせば、アンタたちは厄災をとり逃がした……そうね、人災よ。刀主が三人も居て、情けないったらないわっ』
「霧子……っ」
『私も……ただでは死なない。この私が! 爪痕も残さずに無様に死ぬなんてありえないのよっ!』
ズズッ、と天井がズレるような音が響いて、オロチが頭を上げて俺達の頭上を見上げた。
天井を見上げようと思ったのにオロチの頭が邪魔をして見上げられず、俺は少しだけ身体をズラして上を見ようとした。
その瞬間、
『一人でも多く! 道連れにしてやるわ! わたしを認めなかったこんな世界は、壊れてしまえばいい!』
霧子の声が響くのと同時に、天井にヒビが入り岩が転がり落ちてくる音が空間を支配した。
上に向けて術を放とうにも、火花を散らすのが──間に合わない。
俺は即座に身を翻すと、先生と直紹さんを抱え込んで二人の頭を守った。
例えここで俺が死んでも、この2人が居てくれればなんとかなる。
それはもう、希望というよりも確信と呼べる信頼感だった。
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