第九十三話 真実の裏
「なんで……!! なんでなのよ!」
『貴様は、醜い』
「醜くなんかないわよっ!」
『醜い、見難い、あまりにも、見憎い』
オロチの牙に挟まれた霧子の肉体が、メキメキと音を立て始める。
それは、おおよそ人間の肉体がさせるべき音ではなくて、へし折れ始めた部位から溢れてきたものもやはり、人間のソレではなかった。
霧子を構築していた煤が、霧散していく。
オロチの牙で、鼻息で。オロチの口内に落ちた煤もふぅーと吐息で飛ばされて、空中に溶けて消えていく。
先生が、数回目を瞬かせた。
視界のない先生にもハッキリとわかるほどに、聞き苦しい断末魔が霧子の喉からほとばしった。
口から溢れてくる煤が地面に落ち、流動しながら俺達に這いずってこようとするのも、やはりオロチの鼻息で吹き飛ばされる。
もはやあの女の命は、オロチの口内で啜られるばかりの無力なそれに成り下がっていた。
「ぎっ……」
べきっ
背骨の折れる生々しい音がして、霧子が声を上げる事も出来ずにオロチの口の中で2つに割れた。
落下してくる上半身が地面に叩きつけられて煤を撒き散らし、舞った黒いモヤは空中に散って消えていく。
口内に残った下半身は、ボリボリと音をたててオロチが食って、やはり胃に落ちていった。
霧子の下半身を飲み込んだオロチが、長い舌を出して地面にこびり付いた煤を舐め取っていく。
その姿はどうにも、あの火種が煤を食っていく姿とよく似ていて。
先生の言う通り、オロチはあの火種だったのじゃないかと、俺は理由のわからない親近感に頭を抱えた。
もし火種がオロチだったのだとして、何故今まで──そして今も、俺達に味方をしたんだ?
先生はずっとオロチの呪いに苦しめられてきたし、帝都はオロチが熱を奪うせいで寒冷化している。
このままだと日本のほとんどは雪で埋まってしまうとも言われているのに……コイツは、何故。
「ソウちゃん」
「あっ」
頭を抱えて俯いていると、先生と直紹さんが声をあげた。
ハッとして顔をあげると、眼の前にはオロチの顔がある。
ここまで近付かれても気づかなかった事に驚きつつも、警戒する先生と怯える直紹さんを背後に庇った。
不思議と俺は、オロチを恐怖と感じていない。
殺される気も、しなかった。
「……何故、助けた? オロチ」
『あまりにも、見憎いがゆえ』
「……それだけで?」
『……憑かれ、疲れた』
疲れた。その言葉はあまりにも人間的で、直紹さんが少しだけ、顔を上げてオロチを見る。
先生の身体に移されていた残穢。
直紹さんに施された術式を帯びた髪から構築された身体。
火種が蓄え輝かせていた魂。
そして、俺の目にはまっている、アイツの眼。
あまりにも近しいもので構築されているからこその、親近感なのかもしれない。
「オロチ、お前は……本当に、悪い存在なのか」
『悪、とは』
悪とは。
オロチの重厚な声と共に吐き出された問いに、俺は咄嗟に返答が出来なかった。
オロチは伝承上においても女性を食う悪しき存在であると位置づけられている。
しかし、別の側面においては水の神であり、川の氾濫に対する人間の恐れから生まれた存在であるとも、書かれていた。
今を生きる人間である俺達にとってしてみれば、オロチの存在は脅威でしかない。
けれど、もっと自然が近しい時代において、オロチは本当に悪だったのだろうか。
『悪、飽く……下らぬ問いよ』
「……そうだね。僕たちは、自分の生活のために自然を破り、結果としてお前みたい神が生まれた」
悩む俺の後ろから、先生が顔を出す。
オロチの呪詛が身体から抜けた先生は、吐いた血の汚れが付着してはいるものの元気そうで、寒さすら気にしていないようだった。
先生は腕を組み、軽く己の顎を手で撫でた。
『神なる守り手』
「僕はね、オロチ。お前を殺す方法をずっと考えていたよ。なんなら今この瞬間、お前の首を切り落とす事だって、僕には出来る」
『然り』
「でも……ねぇ、お前は。もしかして、死にたくて出てきたの」
ピクッと、直紹さんの身体が反応する。
俺も先生の背中を見て、いつの間にかまた吐息が白く、寒くなってきている事に気が付いた。
「火種は煤を食う事で帝都の温度を維持してきた。でもその火種がお前の魂だったのなら……夜住の煤、つまりは人間の残骸をお前に与える事で、お前の封印を維持していたんじゃないかなって思ったんだよね」
『然り』
「お前の肉体は……ていうか封印は、火族五家の敷地の下を這うような形で……だからめっちゃデカいってのは知ってたけど……うーんなんていうか、もしかして灯楼は、お前を封じるための杭だったのかな。でも今はほとんどが倒れているからお前は出てこれたけど……ぶっちゃけ、それが真実だって知ったのは倒れてからだ」
『然り』
オロチの言葉は少ない。
だが先生の言葉を否定も止めもせずに聞いているのに、なんだか違和感というか、不思議な感覚があった。
オロチが復活したなら、こんな風に会話が出来るなんて思ってもいなかったからだ。
オロチは、俺達にとっては破壊の象徴で、封印すべき存在でしかなかったから、話なんて通じないとばかり思っていた。
だから今のこの時間は、驚きばかりで視線をウロウロとさせてしまう。
「あー、結論から言うと、今存在しているオロチへの畏怖は、ただ人間が創り上げただけのものだって事だよ」
「人間が……創り上げた?」
「そうだよ。オロチが帝都の温度を下げてる、オロチは封印すべきもの、可能なら倒すべきもの……でもそれは実際、僕達が見て聞いて、ってしてきたものじゃないじゃん」
「それは、そうですけれど……」
「日本人は、八百万に神を見出してきた。神を畏れ、敬うためにね。ただの石ころすらも、米粒ひとつでも神様が宿ってる。オロチだって、〝違ったとしても伝えられ続ければオロチが悪だという真実になる〟んじゃないかって、思ったんだよ」
先生の言葉に、オロチが笑うように炎の鼻息を吹き、一瞬だけ空気にあたたかさが戻る。
けれどそんなあたたかさを救いのように感じる余裕は、今の俺達にはなかった。
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