第九十二話 残穢と肉とまなこと魂
一体何が起きているのか。
オロチと対話した俺ですら理解出来ないものを、ここに居る別の誰かに理解しろというのは難しいだろう。
オロチが火種を食った瞬間に、無意識に刀を構える。
けれど、あの巨大な蛇にこんな短い刀が通用するとは思えない。
それに、オロチはなんで──火種を食った?
火種は、夜住を祓うために必要な刀主の力の源で、灯守に与えられるもので、夜住の煤を食う者だ。
オロチは、そんなものを食べて平気なのか?
チラチラと火種が喉を通って行くのを視て、困惑する。
火種を失ったら、俺達は、どうなる?
「……ソウちゃん、見て」
「えっ」
「え、ぁ……」
緊張で激しく脈打つこめかみをグリグリと拳で押している俺の着物の裾を、起き上がった先生が引っ張る。
示された先は、直紹さんだった。
さっきまで彼を包んでいた炎が、燃えていく髪と共にまるで煤のように宙を舞う様子に、霧子と俺は同時に刀を構えていた。
あんな女と同時に行動をしたのが悔しいが、やはり本能が煤を警戒する。
しかしその焼け焦げていく長い髪は、この広い空間をうねりながら移動するオロチの鼻の穴に吸い込まれていき、巨大な口が咀嚼するように動いた。
これには今度こそ、俺達は絶句してしまう。
一体何が起きていて、オロチが何をしているのか。
まるで、理解が出来ない。
さっき、俺の眼が見る世界に入り込んできた大蛇は、先生の吐いた血を食らうように出現した。
そして周囲の夜住を食らい、火種を飲み込み──直紹さんの髪を吸い込んだ。
それはまるで、まるで、必要なものを回収しているような、そんな姿で。
『吾は、お前が隠している者たちを食らう』
『だが、それは殺しではない』
オロチの言葉を、思い返す。
俺が隠している者たち……つまりは先生と直紹さんを食らうと、オロチは言った。
しかしそれは2人を殺すものではない、と。
「あぁ……あぁぁぁそういうこと……!」
「先生?」
「いやでも、待って。理解が追いつかない。もしそうなんだとして」
頭の中で碁を打つように必死に答えを囲い込んでいると、さっきまで苦しげに血を吐いていた先生がすっくと立ち上がった。
口元と衣服は汚れているが、もう弱っている様子はない。
だが髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら、先生は困惑と混乱でいっぱいの顔をしていた。
「僕の予想が合ってたとして……なんでオロチが僕たちの味方をするのかが、わからないっ!」
えっ、と俺と直紹さんの声が重なるのと、俺達を囲んでいたオロチが霧子を食らいに行くのは、ほぼ同時だった。
刀を構えていた霧子は、即座にオロチの牙に刃を叩きつけてその一撃を回避する。
オロチの鼻先を強く踏みしめて軽やかに跳んだ霧子の刀が、オロチの喉元を裂かんと鱗の隙間を狙おうとした。
だが、俺達に聞こえたのは金属とも違う硬質なものが刃を弾き飛ばす音、だった。
ガギン、と、まるで青銅の鎧を鉄の棒で殴りつけたような音がして、霧子の刃が弾かれる。
霧子の顔がわずかに歪み、あの頑丈な長柄が少しだけ曲がったのが遠目にもわかった。
なんで、と、霧子の唇が動く。
「なんでなんでなんでなんで!!! なんでお前が!! 彼奴等に手を貸すのっ!!」
その叫びはまるで子どものようで、現実を受け入れることの出来ない駄々っ子のようにも見えた。
霧子はオロチを自分で討伐することで家と自分の名声を永遠のものにしたいようだと、先生は言っていた。
ならば今の状況は相当に悔しくて、納得行かないものだろう。
疼く右目を手でおさえながら、今にも霧子を噛み殺さんとするオロチを見上げる。
その姿は、さっきまでの火種や直紹さんの髪を食おうとしていた時のものとはまるで違う。
「食う」のではなく「殺す」ために口を開いている──そんな感じで、見ているだけの俺も背筋が凍る心地だった。
「ソウちゃん、ちょっとオロチを、見て欲しいん、だけど」
「! はい」
「オロチの中に……術力は見える? オロチ以外の」
「オロチ以外の……術力?」
言われて、ハッとした。
さっき、オロチが火種を食った時には火種の気配がチラチラと喉に落ちていってもハッキリと視ることが出来た。
なら、もし術力のこもったものなら──例えば、血液だとか、髪だとかが腹に入っているのも、わかるのかもしれない。
俺は、右目を閉じていた手で左目をバチリと叩いて、右目だけでオロチを視た。
うねうねと動きながら霧子を攻撃するオロチを視るのは、一目で、とはいかない。
あまりに巨大すぎて、一度に視界に入ってこないのだ。
しかし、じっくりとオロチを目で追っていると、オロチ自体の術力に違う色のものが絡まっていることに気がついた。
アレは、おそらく先生の術力と、直紹さんの術力だ。
血も、髪も、古来より呪術に使われたりもする「分身」となる媒体だ。
さっき、先生の吐血から出現したオロチが直紹さんの髪を食ったのも、意味があってのものだったのか。
術力の色を視ながら納得をして、そこにチラチラと近付きつつある火種の気配に眉を寄せる。
火種は、自分から先生と直紹さんの術力に近付いていっているように見えた。
濃い術力だからって本人と勘違いしている……ということもなさそうだが、これは、一体。
「みえた?」
「はい。先生と、直紹さんの術力の気配です。そこに今、火種が近付こうとしてます」
「火種……あぁ、やっぱそうか。そういうことか」
「先生……?」
「僕達は多分、オロチを構成する一部だったんだ」
火種が、先生の術力に触れる。
その瞬間、オロチの体内で爆発的に術力が膨れ上がり、凍えてしまいそうなほどの冷気が地下空間を支配した。
俺でさえ凍りついてしまいそうな寒さに、先生と直紹さんを抱え込んで火花を散らす。
少しでも暖を取らないと、防寒着のない直紹さんは危ない。
震える直紹さんの羽織を風に持っていかれないように抑えていると、視線の端で霧子の術式が凍りついているのが見えた。
「僕の血は──オロチの残穢」
しかし、その寒さはすぐに熱へと切り替わり、寒さではなく熱さから身を守るために火花が音をたてた。
霧子の夜住の部分が煤になり、なんとか術式で耐えている。
氷は剥がれて、割れた硝子のように刃となって霧子を襲う。
「直紹の身体は──オロチの肉体」
ずっと伸ばしてきていた髪が代替品になってよかった、と、先生は溜め息を吐く。
先生は熱波なんか少しも気にしていないような素振りで、いつも身につけている鈴を手のひらでかざす。
鈴は強い熱波に振り回され、ヂリヂリと、悲鳴のような音をたてた。
「ソウちゃんの眼は、オロチの眼」
熱波が収まる直前、火種がオロチの中で直紹さんの術力に食らいつくのが見えた。
途端に、熱波はおさまって強い風が視界を奪う。
俺達にとってはなんでもない風だったが、煤となった霧子の一部や夜住たちが舞い上がって、散り散りになっていく。
「そして火種は──オロチの魂」
先生が鈴をグッと握り込み、まるで呼応するようにオロチが上から叩きつけるように、霧子を襲った。
今までの冷気と熱と風で半身を奪われていた霧子は、回避しようにもグラついて咄嗟の動きが出来なかったのか、そのまま巨大な顎の下に潰される。
血は、出ていない。
ただ黒い煤が、申し訳程度に舞い上がった。
「僕達は、オロチを構築する肉体の一部だったんだ。それがここで揃ったから──オロチはすべての要素を取り戻して、復活した」
オロチの巨大な口が、霧子の肉体を歯ぎしりするようにして潰していく。
彼女の憎しみに満ちた声はもう俺達には届かなくて、俺はオロチの言っていた「頃しも」の意味をようやく、理解した。
■頃しも・・・その時ちょうど、ちょうどそのころ■
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