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祓火の番ー二十年の因縁と、封印された伝説の魔物。ハズレものの最強師匠に拾われた俺が、真実を焼き出す眼に覚醒して帝都の闇を焼き払うー  作者: ミスミシン
終章 神話の帰還

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第一◯一話 碧天

 膝から地面に崩れ落ちた俺の耳に最後に聞こえたのは、自分の荒い呼吸と、あちこちでパチパチと爆ぜる火花の余韻だけだった。

 ざあぁと周囲に熱をはらんだ風が駆け抜け、周囲の煙や煤が散っていく。

 勝っ、た──いや、終わったんだ。

 そう思った瞬間、俺の右眼を焼いていた凄まじい熱が潮が引くようにスッと消えていくのを感じた。

 熱いお湯が冷めていくような、あるいは握りしめていた重い荷物を不意に降ろされたような、奇妙な喪失感。

 

 刀を握っていた手の感覚がなく、全身の筋肉が悲鳴を上げている。

 だが、肺に吸い込む空気は、先程までの凍てつくような死の冷たさではなくなっていた。

 オロチを通して帝都を見渡し泥の蛇の核を捉えていたあの神の力が、俺の身体から離れていく。

 手を当てた右眼は、もはや熱を持っていなかった。

 視界も、いつもの半分──ただの人間の、ひどく狭くて頼りない、〝俺自身〟の視界に戻っていた。

 

『オロチ……』

 

 心の中で呼びかけても、もうあの圧倒的な気配は俺の意識には返ってこない。

 だが、それでいいのだと不思議と納得していた。

 神の力で世界を救う奇跡は、ここでおしまいだ。

 そう思うだけで、ふぅーと深い溜息が溢れ出る。

 吐き出すというよりも、本当にぶわりと溢れ出すような、そんな溜息だった。

 

 俺は震える腕で地面を押し、ゆっくりと顔を上げた。

 空を覆っていた雲が、強い風に流されて徐々に明るくなっていくのがわかる。

 視線を空からゆっくり下に向けると、目の前では先生が鈴を拾っていた。

 布都御魂之大刀から戻った、美しい音色の鈴。

 今はチリンとも音をたてていないその鈴を、先生はしっかりと、大事に拾って胸に押し当てていた。

 

「……せんせ……?」

 

 呼びかけようとした声が、喉の奥で詰まったように出てこなくなる。

 ゆっくりと振り返った先生が、俺を、真っ直ぐに見たのだ。

 視点が合わない、あの真っ白な瞳じゃない。

 夜明け前の薄明かりの中、その瞳は透き通るような──嘘みたいに綺麗な青空の色をして、間違いなく俺の姿を捉えていた。

 先生は数回、瞬きを繰り返す。そしてやはり、俺のことをしっかりと見ていた。


「……大きくなったね、ソウちゃん」


 その言葉に、俺の背筋にブワッと鳥肌が立つ。

 目の奥が、オロチの眼を使った時とは違った熱さでカッとして、視界が潤んで先生の姿が霞む。 

 

 先生の目は十年前のあの日の、雪の中で倒れていた時の優しい優しい色が宿っていた。

 俺たちに気付かせないように、暗闇の中で過ごした十年。

 先生が「最後に見た風景」から、今はじめて「新しい風景」へと時間が動き出す。


 オロチの呪いが解けたのだ。

 思えばオロチが味方となってから、先生の瞳には少しずつ青みが戻ってきていたように思う。

 オロチ自身が、その意思で己の呪いを解除し、俺達が気付かないうちに先生に光を返していたのかもしれない。

 俺達が気付かせないように光を失い、俺達が気付かないうちに光を取り戻していた先生。

 その眼が、俺をハッキリと見ている。


「先生……!!」

 

 俺が先生に駆け寄ると、先生もふわりと笑ってくれる。

 その先生の青い瞳から、ツツーッと一筋の涙がこぼれ落ちた。

 さっきの一言に込められた重みに、俺の視界も一瞬でぼやけてしまった。

 

 ああ先生は、この姿を……俺を、ずっと見たかったのか。

 十年前の子供の頃の姿を忘れずに記憶に刻んで、とっておいてくれたのか。

 俺を、育ててくれたのか。

 俺は何も言えず、ただ何度も、何度も泣きながら頷くことしかできなかった。


 その時、ズズン……、と、巨大な地響きが俺達の足元を揺らした。

 何事かと顔を上げれば神風屋敷を囲っていた大蛇が、外壁をなぎ倒しながらぐにゃりと伏していたのだ。

 思っても見なかったオロチの姿に、先生が息を呑んで走り出す。

 俺もその後を追って、雪の溶けた石畳の上を神風屋敷に向けて走った。

  

 神風屋敷に少しでも近付けば、オロチの発する熱波なのだろう熱が、ジリジリと頬を焼く。

 それでも先に進めば、屋敷を守り抜いた八岐大蛇がゆっくりとその巨体をほどくように庭園の真ん中へとその巨大な頭部を下ろしていた。

 オロチの身体は、もはや実体というよりも光を放つ陽炎のように揺らいでいる。

 鱗の端々から光の粒子が零れ落ち、風に溶けていくように輪郭がぼやけ始めていた。

 役目を終えた神がこの世界から去ろうとしているのだということは、誰の目にも明らかだった。


 先生の呪いや俺の眼との接続がとけたということは、オロチ本体だって弱っていてもおかしくない。

 呪いは、オロチ本体が自主的に解いたのではなく、もう維持するだけの力がなかったのだとしたら……

 俺は、オロチの近くまでゆっくりと歩き、無言で立ち止まる。

 このまま、どうすればいいのかわからなかった。

 

「……オロチ……!」

 

 そこに、屋敷の縁側から、ふらつく足取りで駆け寄ってくる人影があった。

 葵に支えられながら真っ白な顔色で進み出てきたのは、直紹さんだ。

 直紹さんは、もう限界を迎えているはずの身体を引きずるようにして、地面に横たわるオロチの巨大な顔の前へと歩み寄る。

 オロチは、静かにその眼窩を直紹さんに向けた。


 そのまま、直紹さんはなんの躊躇もせずにオロチの鼻先に抱きつくように膝をつく。

 この熱波の中、もしかしたらオロチ本体すらもジリジリと焼けているかもしれないというのに。

 

 直紹さんの身体は、本来オロチが復活するための『器』として用意され、薬によって整えられていたものだ。

 オロチがもし、この地上で生き延びることを望むなら、今この瞬間に直紹さんの肉体を奪えばいい。

 そうすれば、神として──あるいは強大な妖として、この世界に君臨し続けることも可能だったはずだ。

 だが、オロチは微動だにしなかった。

 むしろ近づいてくる直紹さんを労わるように、シューッ……とどこか優しげな、熱い鼻息を吐き出し、ゆっくりと瞬きをする、だけだ。

 

 人間の身勝手な業によって供物にされかけ、己のために人生を狂わされたこの哀れな青年の命を、オロチは奪おうとはしなかった。

 あの地下道でもオロチが異常なまでに直紹さんを守ろうとしていたのは、単なる『自分の素体の維持』のためだけではなかったのだ。

 それは己のせいで犠牲になった存在への神なりの贖罪であり……情だったのではないだろうか。


 俺は、もうなくなった瞳のあった右の眼窩に触れ、そんな事を思う。

 オロチは、本当に悪だったのだろうか。

 

「……あぁ……」

 

 直紹さんが震える手を伸ばし、オロチの巨大な鼻先にそっと触れ途端に、彼の目からとめどなく涙が溢れ出す。

 自分をこれまで縛り付け、苦しめてきた元凶とも言える存在。

 忌むべき厄災。

 なのに、直紹さんの表情には一片の憎しみもなかった。

 ただすべてを許容し、慈しむような、ひどく穏やかで美しい涙だった。

 

「ありがとう、ございます……私たちを、助けてくれて……」

 

 直紹さんはオロチの鼻先に自らの額を押し当て、まるで古い友人を抱きしめるようにして涙を流す。

 

『──────』

 

 その声に、涙に、オロチが低く……本当に低く、満足げに喉を鳴らしたのが聞こえた気がした。

 

 人間から「川の氾濫」という厄災として恐れられ、地下の暗闇に縛り付けられてきた孤独な神。

 その神が最後に見つけたのは自分を討つ刃ではなく、自分のために泣いてくれる人間のあたたかさだったのか。

 でも、そんな厄災である自分のために涙を流してくれる人間がいる。

 自分のために用意された供物が、自分を恨むのではなく感謝を伝えて泣いてくれている。

 その事実だけで、オロチの魂は満たされたのじゃないだろうか。


 いや、きっとそうだ。

 今はもう繋がっていないのに、オロチの満足げな表情を見て、そう確信出来る。

 周りに居た者たちもそれを理解していたのか、黙ってオロチと直紹さんのふれあいを見守る。

 

 そのままどれだけの時間が経ったのか。

 直紹さんの涙がオロチの鼻先を濡らした瞬間、オロチの巨体が一気に眩い光の粒子へと変わった。

 光は、バサバサに切り裂かれていた直紹さんの髪の毛を数本だけふわりと巻き上げ、まるで彼の一部を大切に持っていくかのようにして、空高くへと舞い上がっていく。

 

「あ……」

「わぁ……」

 

 和穂が、ハルが、そして屋敷にいた全員が、空を見上げて声を漏らした。

 

 空を舞う光の粒子が、帝都を覆っていた凍てつく空気を一瞬で押し流し、信じられないほどあたたかい風を運んでくる。

 その風は、雪を解かし、凍りついていた路地に水が流れる──紛れもない『春の風』のようで。


「粋なことしやがる」

「あはは、ほーんと」

  

 長くて暗い冬の時代を終わらせ、オロチがこの世界に置いていってくれた最期の、そして最大の贈り物。

 俺と先生は、初めて見た真っ青な空を見上げながら苦笑してしまった。

 

 東の空に、眩い光が輝いている。

 夜が明け、先生の瞳のように真っ青になった空が煤にまみれた神風屋敷を、そして帝都の街並みを黄金色に照らし出す。

 屋敷の奥で唯一残っていた神風の火種が、春風に揺られてパチパチと元気な音を立てていた。


次回、エピローグ。

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