桃の節句 二
桃の節句には、近くの熱田神宮に皆でお参りに行き、そこで厄落としをする。
ご主人と奥様がお祓いを受けた後は、全員で近くの伊勢谷に行き厄払いの食事をするのが恒例だ。
ところどころ、家の庭先には梅の花がほころんでいる。
熱田神宮は歩いて五分もかからないので、ご主人を先頭に皆で歩いて行く。
3月はまだまだ寒い日が続くが、今日はお天気も良く、比較的暖かい。
熱田神宮の長い参道は杉の大木に囲まれ、日が陰っているせいかヒヤッとする。
厳かな雰囲気が満ちている。
ご主人を先頭に、奥様、お房、お咲、お春、お雪の列はその中を静々と進んでゆく。
ご主人と奥様がお祓いを受けている間に、女中たちはお参りをする。
手を合わせ、お雪はそっと目をつぶった。“神様、お陰様で何とかやっております。いつも見守ってくださってありがとうございます。”
静かな祈りを、隣の声が遮った。
「なに、長々とお願いしてるのよ。神様はね、そうそうお願いごとなんて聞いてくれないのよ。」
そんなことを言うのは、もちろんお春である。
「何かお願い事したの?」
お雪は試しに聞いてみた。
「そんなの決まっているじゃない。聞きたい?」
別に聞きたくもないけど、まあ、長谷川先生のことでもお願いしたんじゃないの。
「もちろん、長谷川先生といい仲になれますように、ってお願いしたのよ。きっと神様が叶えてくれるわ。」
お春は、半ば自慢げにそう言い切った。
「そうなるといいわね。」
何も考えずに答えると、
「応援してくれるのね。ありがとう。」
と、もう数年来の付き合いだが、初めて礼を言われた。よっぽど長谷川先生のことを気に入っているんだろう。
相手はお医者様だから、女中とでは身分が違い過ぎる。せいぜい頑張れ、お春。そう心の中でつぶやいた。
熱田神宮参拝を終え、一行は伊勢谷の暖簾をくぐった。伊勢谷は100年続く老舗の料亭で、黒田家がひいきにしている店だ。
普段女中が入れるような店ではないが、桃の節句や彼岸の折にはご主人がここでごちそうしてくれるのだ。黒田家の食事を賄う女中が旨いものを知っていれば、家でも旨いものが出てくるはず、というご主人の計らいだそうだ。普段贅沢なんてできない女中へのご主人の気遣いなのだろう。ご主人は不愛想で笑ったところなんて見たこともないが、そういった優しいところがあるのかもしれない。
案内されて二階へ上がる。お昼時で店の中はなかなかの混みようだ。
通された和室にはお膳が既に用意されていた。ご主人から席に着いて座る。
お膳の数は全部で七つ。ひとつ多い。
「その、奥のお膳は開けておいてちょうだい。後から来られるから。」
奥様がそう言って、奥の一膳を指さした。
誰が来るんだろう。いつもご主人、奥様と女中が四人で来ていたのに。今まで、誰かが加わったことはなかった。




