恋敵 十二
次の日、長谷川家にはお雪の姿があった。
お雪は朝いちばんに長谷川家にやって来ると、長谷川家の女中と一緒に朝ごはんの用意をし、淳の父に朝食を運ぶと、優しく食事を手伝った。始めいぶかし気な顔をしていた父も穏やかで優しいお雪の態度と言葉に段々と心を許した。
母は、食欲がなく、起きようとするとめまいがするようで布団に伏せっている。
お雪は直接顔を合わせると、かえって負担をかけるだろうと母の部屋には入らなかったが、食欲がないと聞いて持参したりんごをすりおろしたり、葛湯を作ったりと、何くれとなく淳の母のために心を砕いた。
お雪の看病の甲斐もあって、母は1週間もゆっくり休むと、床上げできるまでになった。
お雪の長谷川家通いも終わった。
朝早くから夜遅くまで、長谷川家での看病と手伝いは大変ではあったが、毎日淳に会えてお雪は嬉しかった。淳の父にも穏やかに接してもらえた。
これで、少しは淳先生のお役にたてたかな。お雪はそう思うと達成感と少しの寂しさを感じていた。
母が回復し、またいつもの長谷川家の日常が戻った。
すると、また貴子も戻って来た。まるで長谷川家の様子をどこかから見ていたようである。
「お母様、大変でしたね。私、心配していたんですよ。」
一度も見舞いにも来ていないのに、何と言うふてぶてしさだと淳は挨拶もしなくなった。
お雪の看病に母は全く気が付いていない。
本当はお雪のおかげなんだということを言いたいが、淳も黙っている。
そんなある日、黒田家のお見舞いの品を手にお雪が長谷川家にやって来た。
黒田家の主人の配慮だ。
毎日これだけお雪の世話になって、そろそろ長谷川家にも心を開いてもらいたいと思ってのことだ。
お雪も淳の母と直接会ってはいないので、何を言われるのか、機嫌を損ねてしまうのではないかと心配だが、ずっとこのままではいけないとも思っている。ご主人に今回の話を持ち掛けられ、勇気を出して長谷川家を訪れた。
「ごめん下さい。」
そう言うと、緊張の面持ちでお雪は長谷川家の玄関に立った。
「はーい。」
そう言って奥から、淳の母が出てきた
母はお雪の顔を知らない。
お雪は丁寧に頭を下げると、思い切って言った。
「黒田家の女中、雪でございます。本日は主人から奥様へのお使い物をお届けに参りました。」
雪という名前を聞くやいなや、母の目が見開いた。
そして次にその顔は怒りに満ち溢れた。
淳をたぶらかしているのはこの娘かと思うと言葉が出てこない。
「まあ、よくもこの家の敷居をまたげたものですね。」
そう言うと、母は一歩踏み出した。
「うちの淳をたぶらかしているのは、あなたですか。」
そう言って母は、お雪をにらみつけた。
お雪は返す言葉がなく、うつむいた。
「あなたのせいで、淳がどれだけ迷惑をこうむっているか、考えたことはあるんですか。たかが女中風情が、教養もないくせに医者の嫁になれるとでも思っているの?」
そう言って一度家の中に入ると、塩壺を持って出てきた。
お雪に向かって手一杯に握りしめた塩を投げつけた。
「この疫病神、出ておいき。」
そう言って、お雪に何度も塩を投げつけたのである。
うまくいくとは思っていなかったお雪も、淳の母の剣幕に圧倒され、同時にこんなに結婚に反対されているんだと改めてわかり、泣きながら黒田家に帰って来た。
泣きはらした目で、何も言わずに贈り物を奥様に返した。
いちかばちかの作戦は完敗に終わった。




