恋敵 八
ある日のこと、医院に母の姿があった。
「澄子先生、いただきものがあるので持ってきたんだけど、少しお時間ありますか?」
ちょうど午前の診察が終わった所だった。
「ありがとうございます。ちょうど診察が終わった所です。お母様もよかったらご一緒に。」
そう言って澄子は診察室の椅子を差し出した。
「本当に先生が来て下さったおかげで、うちの医院も助かっております。」
そう言いながら、母はお菓子を机に置いた。
「まあ、美味しそう。私甘いもの好きなんです。」
そう言って澄子はいただきますとお菓子を口に入れた。
「ところで、先生はご結婚はまだとのことでしたけど、どなたか心に決めた方はいらっしゃるんですか?あっ、ごめんなさいね。立ち入ったことを聞いて。」
そう言いながらも、母は返事を待っているようだ。
「心に決めた人、いたんですけどね。先日振られてしまいました。」
澄子は照れくさそうに笑って答えた。
「それは、悪いことを聞いてしまって‥。」
少し反省した様子を見せたが、すぐにとり直し、
「それなら、うちの淳なんてどうですか?そろそろ身を固めてほしいと思っているんですけど、なかなか良いお相手がいなくて。」
そう言って、澄子の顔を見た。
澄子は少し考えていたようだが、
「淳先生はもう心に決めた人がいると言っていましたよ。まだお母様には紹介していないだけですよ。そろそろ話がでるんじゃありませんか。」
と正直に話した。
「まあ、そうですか。」
と母は少し慌てた様子で、お忙しいところ失礼しましたと部屋を出て行った。
そうして淳の母の作戦は失敗に終わった。
しかし、女中との結婚を認めるわけにはいかない。母は次の作戦を考始めている。
長谷川医院の忙しさも少しずつ落ち着き、淳はそれまで通り黒田家に月に一度往診し、お雪にまた会えるようになった。澄子に告白され断ったことも淳はお雪に伝えた。お雪は最初戸惑っていたが、淳の雪への一途な姿勢に安心したようだ。
そんな中、淳の母親が知り合いのお嬢さんだと言って年頃の女性を家に連れてきた。
「こちら松村貴子さん。私の知り合いのお嬢さんで、うちのお父さんが寝込んでいるって話したらお手伝いしてくださるっていうから、これから時々来ていただくことになったから。」
母はニコニコしながら淳に紹介した。
「貴子です。淳さん、よろしくね。」
そう言って貴子は媚びた笑いを見せた。
母の狙いはわかっている。見合いだといえば淳が断るのは目に見えているので、はっきりそうとは言わずに間合いを詰める作戦だろう。わが母ながらあきれてものが言えない。
放っておけばそのうちあきらめるだろう、と淳は思っていた。
貴子はどこぞの金持ちの娘なのだろう。高そうな正絹に金糸を贅沢に使った帯、高い位置で結った髪にはべっ甲のかんざしをさしてきたかと思えば、絹のワンピースにパールのネックレスをつけ、香水のにおいをプンプンさせて着飾っては長谷川家の夕食に同席し、時々病院にも通ってきた。
患者がくる病院もお構いなしに香水をつけてうろうろしているので、看護婦からの評判も悪い。
淳の母は、淳が悪い女中にたぶらかされて困っている、淳が正気に戻れるよう手を貸してほしいと貴子に頼んでいた。そして淳の気持ちがうまいこと貴子に向けば、そのまま長谷川家の嫁になってほしいとのことだった。
面食いの貴子にとって、淳は見た目も、医者という職業も申し分ない男性だった。二つ返事でこの話を受けて、長谷川家に通っているのである。




