恋敵 五
長谷川医院は昔から続く病院で、代々地域の人々に寄り添う診察で人気がある。良一や淳の丁寧で適切な診察が評判で近年ますます医院は忙しくなっている。
今まで行ってきた往診の時間を作ることもままならなくなってきた。
今月ももう黒田家のご主人の往診の日が来たが、どうにも行けそうにない。
「澄子先生、申し訳ないんだけど、今日往診に行ってもらえないかな?」
お雪に会えないのは残念だが、淳は澄子に往診を頼むことにした。
澄子は快く引き受け、黒田家へと向かった。
いつものようにお雪が庭で草取りをしていると、門から誰かが入って来た。
挨拶をしようと立ち上がると、洋装の女の人だった。
洋装の白衣を着て、下は濃紺のスカート、手にはよく淳が持ってくる黒い革の医療カバンを持っている。淳から手伝いに臨時の医者が来ているとは聞いていたが、女性とは聞いていなかった。
「こんにちは。」
慌てがお雪が頭を下げると、
「こんにちは。」
と、澄子は立ち止まって挨拶をした。洋装が良く似合う涼やかな顔立ち、颯爽と立ち去るその後姿を見てお雪が気後れしないわけにはいかない。
淳はこんな素敵な女性が普通にいる世界に住んでいるんだ。毎日庭の草むしりをしている私の世界とは大違いだ。お雪は珍しくそんな卑屈な気持ちになった。
ある日、奥様にまたお使いを頼まれお雪は土手沿いの道を歩いていた。
最近では仕事が忙しい淳をここで見かけることはなかったが、その日は淳がまた釣り糸を垂らしている。お雪は先日の澄子の姿を思い出して迷ったが、淳のところに近寄って言った。
「先生。」
そう言うと、淳が振り向いた。久しぶりにお雪に会えて嬉しそうだ。
「お雪ちゃん。お雪ちゃんに会えたらと思って、待っていたんだよ。」
そう言ってお雪の手を取った。
お雪はうつむいた。淳に会えてとても嬉しい。手を取られて心臓がどきどきしている。でも頭には澄子が浮かぶ。
「何かあった?」
お雪のいつもと違う様子に、淳が心配そうに尋ねる。
「何も。」
お雪は小さく答え、うつむいたままだ。
「そうだ、これ。お雪ちゃんが喜ぶと思って。」
そう言って、淳はきれいな七色の琥珀糖を出した。
「うちの病院に臨時で来ている先生が、お土産に持ってきてくれたんだ。お雪ちゃん、琥珀糖好きだろ。」
そう言われて、お雪は澄子のあの颯爽とした姿が目に浮かんだ。
淳が差し出した琥珀糖を、お雪は受け取らない。
「お雪ちゃん、」
そう言って淳がお雪の顔を覗き込むと、お雪は暗く沈んだ顔をしている。
「何かあったんだね。話して。」
そう言って、淳はお雪の手を強く握った。
「やっぱり、不釣り合いですよ。先生と私とでは世界が違い過ぎます。あの人みたいな女性が先生にはお似合いですよ。」
お雪はそう言うと、言ってしまってからはっとして顔を上げた。
淳はお雪らしくない発言に驚き、どう返事をしていいか困っている。
「お雪ちゃん、」
淳が何か言いかけたところを遮り
「先生、ごめんなさい。」
と言うと、お雪は淳の手を振りほどき足早にその場を去った。
淳は自分の不甲斐なさを考えると、お雪を引き留めることが出来なかった。
そんなことはないと、お雪を引き留めたところで今結婚の話を進められるわけでもない。
淳は大きなため息をついた。
それから一週間が過ぎたが、相変わらず長谷川医院は忙しく、淳はお雪に会って誤解を解くことが出来ずにいた。




