恋敵 一
見合いがお雪からお春へと変更になった時、黒田家の主人は淳を気遣って手紙を送った。
この度当方の手違いで、見合いはお雪ではなくお春であった旨の内容である。
淳は手紙を受け取り、大きく安堵するとともにご主人の心遣いに深く感謝した。
しかし危機は回避したが、状況が良くなったわけではない。そもそも淳はまだお雪に何も話していないのだ。
両親を説得する方法を考えなくてはならないが、まずはお雪と話をし、結婚を申し込みお雪の気持ちを聞かなければならない。
黒田家への往診は毎月行っているが、お雪に会えるとは限らない。
しかし、今まで会えたのは往診の時と釣りの時くらいだ。淳は心づもりをし、もし往診の時に会えればその場で手短に話をする。後は運良くお雪のお使いにばったり会うしかない。時間がある時は出来る限り川で釣り糸を垂らすことにした。
ある晴れた日の午後、黒田家の庭では梅の木の精とツワブキの精が何やら相談している。
何やら良い策を思いついたようだ。
「あら、お醤油を切らしているのを忘れていたわ。お雪、悪いんだけどちょっと買ってきてくれないかしら。夕飯の準備までにはお願いね。」
奥様はそう言うと、お雪に醤油の代金を渡した。
「今日は良いお天気だから、お使いも気持ちいいわね。」
空を見上げそう言うと、お雪はお使いに出かけた。
晴れた空の下を歩きながら、お雪は淳のことを考えていた。
ご主人は先生が私を嫁にもらいに来た、なんて言ってたけど、そんな夢みたいなことあるわけがない。今回はお見合いがなくなったけど、またお見合いの話が来たら次は私が行くようね。
そう言えばあのお見合いの時、お春が私がかわいそうだから身代わりになる、なんて言っていたけど、そんな殊勝なことするわけがないわ。庄太さんはなかなか男前だったから、どこかで見かけて自分が代わろうって思ったのかもしれないわ。そんなところよね。
そんなことをとりとめもなく考えいつもの土手沿いを歩いていると、釣り糸を垂らし座っている淳を見つけた。
お雪の心臓がドクドクと高鳴る。どうしよう。今までなら、近寄って挨拶をするところだけど、あの話を聞いた今ではどうしていいかわからない。
お雪が立ち止まっていると、ふと淳が振り向いた。
「お雪ちゃん。」
淳は急いで立ち上がり、お雪のところに駆け上がって来た。
お雪は照れくささと緊張と嬉しさで、顔があげられない。心臓の音が淳に聞こえてしまうのではと心配だ。
「お雪ちゃん、今日会えてよかった。ずっと話したいことがあったんだ。」
そう言って淳は真剣な目でお雪を見た。
お雪はうつむいたままで何も言えない。
「本当は最初にお雪ちゃんに言わなければいけなかったんだけど、順番がくるってしまって‥。お雪ちゃんが見合いをするって聞いてから、俺はやっと自分の気持ちに気が付いたんだ。」
淳は一呼吸すると、
「お雪ちゃんのことが好きなんだ。お雪ちゃん、俺と一緒になってくれないか?」
お雪は自分の耳が信じられない。自分は夢を見ているんじゃないだろうか。しかし視線をあげるとそこには淳がいる。
あこがれた先生が自分を好きだと言ってくれている。嬉しくて嬉しくて、胸がいっぱいで涙が出そうだ。もちろん先生と一緒になりたい。でも。
お雪はくるっと淳に背中を向けた。
「お雪ちゃん?」
急に背中を向けたお雪に淳はとまどっている。
私がお金持ちのお嬢さんだったらよかったのに、そう思うと涙がこぼれた。でも私は両親もいないただの女中だ。お医者様の淳先生とつり合いが取れない。私なんかを嫁にもらったら、後々先生が困ることになるだろう。
お雪は拳を握りしめた。
「先生、私は幼い頃に両親を亡くして十歳から女中なんですよ。そんな私が先生と一緒になんてなれるわけないじゃありませんか。もし一緒になっても、きっと先生は後悔しますよ。」
うつむきながらお雪はそう言った。
「お雪ちゃん。」
そう言うと淳はお雪の肩をつかみ振り向かせた。
うつむいたお雪の目から涙が落ちる。
淳は思わずお雪を抱きしめた。
「お雪ちゃん、嫌なら俺をはねのけて。」
淳はお雪を優しく、しっかりと抱きしめた。
お雪の中で、はねのけなければという思いがこのまま先生の腕の中にいたい思いに勝てなかった。
お雪は淳に抱きしめられ、淳の温かさ、淳の匂い、淳の息遣いにふれた。幸せだった。この後どんなことが起こっても頑張れると思った。
淳がお雪の顔を見つめもう一度聞いた。
「お雪ちゃん、俺と一緒になってほしい。結婚しよう。」
お雪は小さく頷いた。神様、今だけでいいです。どうかこの幸せな気持ちを今だけ味合わせて下さい。
淳にも不安がないわけではない。それでも二人の気持ちが同じだったことが嬉しかった。自分がしっかりしなければと決意を新たにした。




