6 ◆イソトマと現状
◆◇◆
「イソトマ、彼女が君の婚約者だ。仲良くするように」
そう言って養父に紹介されたのは、ネモフィラの花のような青い髪と檸檬色の瞳を持った少女だった。
年齢は同じで、名前は青春院ルリカというらしい。
花の妖精のように可愛らしい彼女に、イソトマは彼女に一目で惚れた。
まだ恋愛というものをよく分かっていなかった小学生の頃は、仲のよい幼馴染として過ごし、良好な関係を築いていた。
しかし、中学に上がり、世界が広がるとイソトマは焦りを感じ始めた。
成長したルリカはますます美しくなり、男子生徒の間でも人気を集めるようになった。
その上、ルリカは青春院本家の実の娘だ。
珍しい〝天賦〟を持っていたからというだけで玄冬院本家の養子になった自分とは違い、ルリカは正統な血筋を引いている。
その焦りから、イソトマはルリカを無理やり自分のものにしようとした。しかし、激しく抵抗され、未遂に終わった。
それ以来、彼女との関係はぎくしゃくしてしまった。中学を卒業し、高校へ進んでも、その関係は変わらず、イソトマが彼女に謝ることもなかった。
高校に入ると、都合のいい連中とつるむようになり、恋人も作った。
完全な浮気だったが、ルリカに嫉妬してもらいたかったのだ。
だが、思うようにはいかず、素直になれないイソトマはルリカを自分に都合よくこき使い、恋人と一緒になってルリカを蔑み、嘲笑った。
次第にそれが当たり前となり、ルリカへの愛情は、歪んだ執着へと変わっていった。
そして、卒業記念パーティーのあと、いつもの仲間や学生の間だけ付き合うつもりだった恋人と、最後のひとときを過ごすために婿取山へ向かった。
もう一つの目的は、腕試しだった。
この山には、男を食い物にしている人型の神異が大昔から住み着いている。
婿取山へ入っても、男女が一緒にいる間は男が攫われることはない。だが、神異を惹きつける香を焚けば、こちらから誘い出すことができるはずだ。
イソトマたちは、自分たちの力量もわきまえず、それを実行した。
その結果──。
◆
「イソトマ様。昨夜のお勤め、ご苦労様です。湯殿の準備ができております」
「……ああ」
翌朝、目を覚ますと、専属の男の使用人が呼びに来た。
イソトマは湯殿に入ると、手桶で湯をすくい、頭からかぶった。
熱めの湯が肌に刺さる。
しかし、それだけでは昨夜の忌まわしい行為の痕跡を消せない気がして、石鹸で念入りに体を洗った。
久しぶりに婚約者の夢を見たせいで、イソトマの気分は沈んでいた。
(ルリカは今頃、どうしているだろうか?)
泡を洗い流して湯船に浸かると、イソトマは改めて婚約者へと思いを巡らせた。
(ここに囚われてから、一ヶ月近くが過ぎた。もう玄冬院家は、オレのことを諦めているだろう。
卒業したら、結婚するはずだったのに……)
二人は高校卒業の一年後に結婚する予定だった。
イソトマは卒業旅行から戻ったら、ルリカに対する態度を改め、関係を築き直すつもりだった。その前に婿取山の主を倒し、退異師としての実力を証明して、結婚に箔を付けようと考えたのだ。。
だが、まさか婿取山の主があそこまで強いとは思わなかった。
イソトマたちは手も足も出ずに嬲られ、捕まった。
女嫌いの婿取山の主により、一緒に来ていた女たちは逃がされたが、いまだに助けに来る気配はない。
そして、婿取山の主に囚われた男たちに、逃げ出すという選択肢はない。
理由は……。
「ぐ……」
腹の中で、何かが蠢く気配に、イソトマは眉をひそめる。
彼の逃亡の意思を察知して、反応したのかもしれない。
いや、思考まで読み取る機能はないだろうから、恐らく湯の熱に反応したのだろう。
イソトマはこの〝迷い家〟に来た時のことを思い出す。
婿取山の主に負け、イソトマと男の友人二人はこの迷い家へと連れてこられた。その直後、一人の男が外へ逃げ出そうとした。
しかしそれは、叶わなかった。
彼は〝迷い家〟の結界に設けられた出入口から外へ出た途端、爆ぜた。
「ああ、妾の婿どもは皆、腹の中に〝端末〟となる爆破蟲を宿しておる
それがあれば、妾は婿がどこにいるか把握できるし、この〝迷い家〟から無断で出れば、あのようになる」
婿取山の主は、爆ぜた男を指差した。
イソトマたちは、声も出せなかった。
「まあ、妙な気は起こさぬことだな?」
それからのことは、思い出したくもない。
イソトマたちは、戦闘で負った怪我を治療され、傷が癒えたところで、婿取山の主の相手をさせられた。
そして、そのとき三人の腹の中にも、逃亡を防ぐための〝端末〟が入れられた。
もはや、逃げることはできない。
初めのうちは、三人一緒に婿取山の主の相手をしたが、そのうち相手をさせられるのはイソトマだけになり、友人二人の姿も見かけなくなった。
(ウメキにトキオ。二人は本当に無事なのか?)
使用人たちの話では、二人には別の役割が与えられ、そちらで働いているらしい。
そして、イソトマは〝婿〟として、婿取山の主の相手を続けており、それ以外の時間は、〝迷い家〟の敷地内に限って自由に過ごすことを許されていた。
専属の男の使用人も付けられ、表面上の扱いだけを見れば、まさに大切に迎え入れられた〝お婿さん〟だった。
「イソトマ様は、主様のお気に入りですので、このままいけば、〝夫〟になることも可能かと」
「〝夫〟? 〝婿〟とは違うのか?」
「「〝婿〟は、あくまで主様のお気に入りにすぎません。しかし〝夫〟とは、主様に認められ、側近としての信頼を得た男のことをいいます。
また、〝夫〟になれば、主様の能力の一部をお借りすることもできます」
「……」
イソトマの専属使用人になった男は、名をムベといい、見た目は三十代に見えるが、実年齢は四十代半ばらしい。中性的な美人だ。
彼は二十代の頃、男女の友人と婿取山へハイキングに来て、仲間の女性たちと離れ、男だけになった隙に、婿取山の主に捕まったらしい。
彼は、他の友人を逃がすため、自ら一人で残ったという。
一時は〝夫〟にまで上り詰めたものの、年齢が高くなったことで婿取山の主に興味を失われ、捨て置かれた。その後は、ほかの婿たちの世話をするようになったらしい。
現在、〝迷い家〟にはイソトマを含め三人の婿がいるのだとか。
しかし、それぞれ個別の家を与えられているため、イソトマはあと二人の婿のことは、あまり知らなかった。
(まるで歴史ドラマとかに出てくる、皇帝の後宮みたいだ。ここには、男しかいないが……)
「ムベさん、ウメキとトキオに会えますか?」
ここへ囚われてから二週間ほどが経った頃、イソトマはムベにそう尋ねた。
夜長ウメキと南風トキオは、イソトマの学生時代からの友人だった。だから、見捨てることはできなかった。
「それは……主様に確認してみます」
その後、婿取山の主から面会の許可が下りた。
イソトマはムベについていき、〝迷い家〟内のある場所に案内された。
イソトマが、婿に与えられた屋敷の外へ出るのは久しぶりだった。
こは〝迷い家〟と呼ばれているが、実際には一軒の家ではなく、集落に近い。
最初に案内されたのは、炊事場だった。
ここでは、〝迷い家〟に住む男たちの食事作りを一手に引き受けている。
夕食前だからか、炊事場はかなり忙しそうだった。
この〝迷い家〟には、四十人前後の男がいるらしい。
その人数分の食事を朝昼晩用意するのだから、日中も忙しいのは当然だった。
近くにいた料理人に、ムベが声をかける。
「トキオ、お前に会いたい者が来たぞ!」
「はい!」
返事が聞こえ、トキオが炊事場から出てきた。
「トキオ、無事だったか!」
「ああ、イソトマも……その格好は?」
婿となった現在のイソトマは、お姫様のような赤を基調とした豪華な着物を着ている。髪には華やかな飾りまで挿されており、まるで男娼のような姿をしていた。
整った顔立ちをしているイソトマに、不思議と似合っている。
イソトマも、好き好んでこの格好をしているわけではなく、婿取山の主から与えられた衣装を身につけなければ無礼と見なされるため、仕方なくその格好をさせられているだけだった。
「オレは、主様に気に入られて、婿になった。トキオは、今までどこにいたんだ?」
「……こっちで話をしよう。すみません、抜けます!」
イソトマとトキオは、ムベを残して近くの畑へ移動した。
〝迷い家〟の敷地は広く、菜園もある。
「それで、トキオはどうしていたんだ? ウメキは?」
「落ち着け。俺は主様のお眼鏡にかなわなかったらしい。
相手にはされていないが、料理の腕を買われて炊事場担当になったんだ」
「そ、そうか。それで、ウメキは?」
「ウメキは……もう諦めろ」
「え?」
「主様の〝端末〟が体に合わなかったらしい。生きてはいるが、もうまともに意識もない。見ない方がいい」
「……」
血の気が引いた。
「だ、だが! それなら、せめて会わせてくれ。そして、謝らせてほしい。お前にも、ウメキにも……」
すべては、イソトマが原因だ。
婿取山に行こうと提案したのも、それを渋る二人を焚き付けたのも、すべてイソトマだった。すべてイソトマだった。
「……止めなかったのは、俺たちだ。イソトマだけの責任じゃない」
「それでも……」
「……分かった。場所を教える。だが、決して一人では行くなよ?」
「分かった。ありがとう……」
イソトマは、ウメキのいる場所を聞き、ムベと共にそこへと向かった。
◇
そこは、〝迷い家〟の敷地の外れにある小屋だった。
その周囲には、同じ造りの小屋がいくつか並んでおり、小屋へ近づくにつれ、異様な臭気が鼻を突いた。
「ここは、病気や怪我が治る見込みのない者を押し込めておく小屋です。ウメキ様の状態なら、こちらですね」
「──っ!?」
そこは、婿取山の主によって仕込まれた〝端末〟が体に適合しなかった者を収容する小屋だった。
窓から覗いてみると、中には数人の男が寝かされており、その腹は餓鬼のように膨らんでいた。
膨れ上がった腹の中では、何かが絶えず蠢いている。
「主様の端末が体に合わないと、体内で爆破蟲が増殖し、あのような状態になってしまいます。
主様が調節しているようで、すぐに死ぬことはないのですが、意識が戻ることもありません……」
つまり、あの状態になれば、死ぬこともできず長い間苦しみ続けるということか。
「……」
小屋の中にいる者の中に、ウメキを見つけた。
髪を赤く染めているので、すぐに見つけられた。
ウメキもまた、他の男たちと同じ無惨な姿になっていた。……。
◆
「イソトマ様、大丈夫ですか?」
ムベの声に、イソトマは過去の記憶から引き戻された。
いつもより長湯になってしまったからか、湯殿の外からムベが声をかけてきたようだ。
「……大丈夫だ。少し疲れていただけだ。もう出る」
「分かりました」
(逃げることも、逆らうこともできない……。オレはもう、ここで生きていくしかないんだ)
そう絶望しながら、イソトマは湯船から上がった。




